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「オオイヌフグリが咲く頃に」

2009年02月21日 20時26分33秒 | 物語・小説
「オオイヌフグリが咲く頃に」


(白梅は満開か)
 春が来たとは言え、まだまだ寒いと言うある日、そう思いながら、駅へと私は向った。
 
 空席の目立つ、各駅停車の車内。
 窓の向こうは、いつもの見慣れた景色が広がりあまり面白くは無い。街は2年や3年という月日をかけて変化していくのが常だが、空模様は、1日単位で同じようで僅かに変化していき、やがて1年が終わり、繰り返していく。自分の心境もそんな物で、言葉が違うだけで同じような変化が続く。
 鮮やかな水色。
(冬の空よりかは、少し青の色が違う)
 格好つけて、そんな事を思う。本当は何1つ解っていやしないのに、偉そうな事を言いたくなる私である。
 やがて、電車は目的の駅についた。

 用事を終えて、家に戻る頃は、陽射しがたっぷりの午後2時。再び私は駅に向かって歩いていた。
 やがて、左に行くと駅という小さな角についた時、右手側にあった舗装されていない駐車場の地面に目が行った。そこには、小さな青い花が咲いていた。
(オオイヌフグリか。今年もこれが咲く時分になったか)
まだまだ寒いが、春は着実にやって来ているんだなと思う。
 春というと、暖かくてしのぎやすく、冬で縮こまった体を、大の文字を描いてノビをするイメージがある反面、花粉症に追いやられるというマイナス面もある。春の兆しはあっても、肌寒さはぬぐえない。春であって冬である。今は季節の同居の時期なんだろうか?
(季節の同居というと雨か?)
 折りしも明日は雨という予報があった事を思い出す。季節の変わり目は、天気が安定しないのが特徴としてある。同じ物同士、言ってみれば、磁石の同極をくっつけると反発する、それと天候は似ているな・・・と思いつつ、「雨の日」と言われるお気に入りの歌を私は口ずさみながら、道を急いだ。

 自分の住む街に戻って、そのまま帰るのも難だったので、ふらりと比較的大きな書店に寄ってみた。特に読みたい本がある訳ではない。
昨今、活字離れが著しく、反省しなければならない反面、言い訳が口をつく。
 まざまざと今の現実を突きつけられ、自分のふがいなさに似た感情が湧いてくる恋愛小説。「人の生死」をありありと描くノンフィクションは、意味も無く目をそらしたくなり、サスペンスやミステリーは、どうもそっちには逃げたくない、という訳のわからない頑な気持ちがあり、手が伸ばせないでいる。これを、客観的には「逃げの一手の言い訳」と呼ぶ様だ。まったくもって認めたくない話でではある。
 そんな聞こえない耳の痛い声をどこかで聞きながら、店の中に入る。当ても無く、単行本が並ぶフロアをうろついている時、ふと、壁に貼ってある店内の案内図に目が行った。

教科書

 その3文字が思わず目に入った。
(あの物語は、まだあるだろうか)
 不意に、小学校6年の頃に、国語のテキストにあった1つの話を私は思い出し、もう一度あって見たいと思い、そのフロアへ行ってみた。
(相も変わらず、色々あるんだな)
 表紙の絵が、いかにも、

「この教科書は、読むと楽しいですよ」

 と言わんばかりの表情を浮かべている。殊に、「算数」、「数学」に「理科」と、どちからと言うと、昨今は、犬猿されがちな分野のテキスト程、そんな感じがするな、と私は思う。
(一発で解る人が羨ましいよな。解る人には解る、楽しさ、面白さ)
 英語なんかも案外そうだよな、といかにも「外国」を意識した国際的な感じの写真が印刷された表紙に目が行く――私は、その時本来の目的を逸しそうになったので、探している物を見てみたが、さすがに、掲載されていなかった。
(20年も経てば、消えてあたり前か)
 ちょっとがっかりして、私は棚に本を戻した。その時、ふと、高校の「現代国語」のテキストが目に入った。
(そう言えば、あの話はまだあるだろうか?)
 「出会い」について書かれた随筆というのかエッセイというのか解らないが、そんな話があったのを思い出す。春先の講義で、取り上げられたものだった・・・が、やはり、これもなかった。
(昔に捕らわれ過ぎだな)
 さすがに馬鹿馬鹿しくなって、私は店を後にした。
(思い出したくなくても、思い出す「過去」ってなんなんだろう)
 解んないなぁ・・・と1つため息をついた。


(こんな時間に何の用だよ)
 その夜の10時過ぎ、いきなり、友人から、
「これから会えないか」
というメールがやって来た。
 再び私は、駅へと向かった。
 夜の人影は、昼間と違う、いつかのテレビゲームの攻略本の一説が頭を過ぎる。それが基で「夜は特殊なもの」という印象が私に植付けられた。

「夜なんて、何も見えなくて、寝るためのものだろ」

という内容の話を、夜が好きになった中学時代に、誰かが言った。その声が耳の奥でよみがえる。

混み合っていた、車内もいくつもの駅を通過していくうちに、いつしか、がら空きになった。



(変な話じゃないと良いけどな)
 車内の光の反射を手でかざして、窓の向こうの夜景を見るが、まばらな街灯の青淵の白い光しか目につくものはなく、あとは闇が広がるばかりだった。
(こんな時に似合うのは、やっぱり失恋かな)
 別に、女友達に会いに行く訳ではないけれど、仮にそうだったとしたら、話的にはありきたりかもしれないが、ドラマチックである。
あるいは、付き合っている異性の友人から、「好きだ」と人知れぬ夜に、街灯の下で告白されても、また一興かな、と、妄想が浮かぶ。
(何か良い事ないかなぁ)
 昨今の、止めたいと思う口癖が、胸の中で始まる。
(オオイヌフグリが咲く頃だし、新しい出会いの1つでもあると良いよな)
 流れ星を期待して、空を見上げるが肝心の星は見えなかった。
(そう言えば、昔、その花とシロツメクサを間違えて、覚えていたんだよな)
 私は、景色を見るのを止め、出入り口ドアの上にある液晶モニターを何とはなしに見上げた。沿線の宣伝やらなにやらが楽しいが、今は占いがみたいなぁ、と思う。
(期待したって、何か起こるわけじゃないのに)
 私はため息を1つついた。さっきから想い描いて広がった妄想に妙な興奮が芽生え、疲れてきた。
(あと、2つか)
 駅につき、ドアが開く。乗り降りはない。
車内の明かりが、ホームのアスファルトと黄色いブロック線を照らした時、どこか切ない予感がした。
 

(あの日から5年が経つのか)
 私は、再びやって来た肌寒い春先の道端に咲く、オオイヌフグリを見つめながら、過ぎ去った日を思い出した。
 その日呼び出されて、友人から聞かされた言葉は、付き合っていた彼女と結婚するという話だった。幸せな話を聞いて、表面的に私は祝福を示しはしたものの、「もうこいつとかかわるのは止めよう」と決意した。付き合いの長い、話の合う奴だったが、どうしてもその時、私は「嫉妬」により、その友人を許す事が出来なかった。向こうから、メールに電話に年賀状をもらいはしたが、私は、1度も返信や応答はしなかった。もはや、私と言う存在は、そいつにとっては必要の無い物であり、他人の幸せを素直に喜べる程、大人ではない。
(この花に、思い出したくない記憶を刻むなんてな)
好きだったものを憎むのは、やはりつらい。時々、あいつに会いたいと思う事と同時に「どうしているかな」、と思うが、

きっと幸せになってるんだろう。

 その言葉しか浮かばない。会わなくても解りきった結果は、読めば必ず面白いという「ベストセラー本」と同じで、中身が解らない蓋を開けたくはない。開けたいのは、中身が解らない箱の蓋。「この中身はなんだろう?」とわくわくしながら開けるような「機会」という名の箱を見つけたい。そんな感じの春を一度経験してみたい。決して、簡単には訪れる物ではないと解っていても。

 それから、やや経って、オオイヌフグリの小さな青い花があちらこちらで咲き誇り、力強い「満開」を迎えた時、桜の花がさいた。そして、ようやく私は、毎年やってくる小さな春の憂鬱から開放される。状況は何1つ変わりはしなかったけれど・・・。

 
 あとがき
 勢いで書いてしまったが、物語というよりは、エッセイになるんだろうか?いつかの『つつじが丘三丁目物語』よろしく、花をタイトルに話を創ったが、書いていて、なんか「止めてお願い」という思いに何度か駆られた。全てが本当な訳は、あたり前の話ないが、自分の生活の一部を切り取って延長した様で、向き合うのが怖い。そんな気持ちに物語を書いて、想いを抱いたのは初めてであり、更正がややし難くかった。
 オオイヌフグリが咲く頃には、春。この花が満開となる時、桜の花がさくのは、経験談。まさかそんな思いついた話を文章で形にする日が来るとは思いもしなかったが、とりあえず話を書き終える事が出来てほっとした。何を意図しているのか、自分でもよく解らないが、全ては「単なる思い付き」で出来たいつもの急行特急TH小説という事で、許して欲しい。
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Mind Feeling0221-3 妄想スタジオからの生放送?

2009年02月21日 16時44分16秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「みなさんご機嫌いかがですか?‘‘リリー,,こと、百合早喜(ユリ ハヤキ)です。2月21日土曜日、今日はお出かけ日和ですね。今、この、“FM91.0”のスタジオの向こうは、いつもの週末の様に、賑やかな人通りです。不況な世の中ですが、こんな風に、人が買物したりしなくても集まって、どこか豊かな表情を浮かべて行き交う姿が1つでも多くなって、満足行く週末を過ごせたら良いなぁ~と思います。美辞麗句しか聞こえないのは解っていますが、理想はそんな風にいつでも、辛辣な現実を超越して、そぐわないものですね。ふーっ、とため息でテンションが下がった所で、ウィークエンドプラザ、今週も始まりました。今、あなたはどこで何をしていますか?彼女や家族を乗せて車を運転中ですか?お仕事中ですか?はたまた家事に追われていますか?皆様の今の気持ちや今、ラジオからこんな曲が流れて来たら良いなぁ~とか、こんな言葉が今に相応しいから私に言ってもらいたいなぁとかありましたら、メール、ファックス等でお願いします。宛
先は、この曲の後に致します。曲は、ラジオネーム...」

なんていう放送を画像の様な感じの景色があるスタジオから流していたら、雰囲気でるかなぁ…と思い書いてみた。

鬼キャラ急行特急TH「けっ、どっかで聴いた事ある話だな。もうちょっと、オリジナルな物はかんがえられねーのかよっ!」

管理人・急行特急TH「そーまで言うなら、テメーで書けよっ!」

鬼キャラ急行特急TH「何逆ギレしてんだよ!お前のブログだろ!俺は、あくまで1傍観者として、ありがた~いアトバイスしてやってんだから、感謝しろよ、ちったー!」

涼風鈴子「(鬼キャラ急行特急THをなだめながら)それが管理人・急行特急THなんだから、とがらない、とがらない」

鬼キャラ急行特急TH「なんだ、またお前か、インチキDJ。何、出番がないからってしゃしゃり出てんだよ」

涼風「た゛ってぇ~、インチキなんだも~ん(エコー)」

もはや、インチキが合言葉になっているが、このブログの方向もそっち方面、やま無しおち無し行き急行特急電車になっていたりしてね汗。

涼風「あら、なかなか粋な事、言うじゃない」

管理人・急行特急TH「当たり前だ。何せ、急行特急電車なんだ。行き先はあって当たり前だっ!」

鬼キャラ急行特急TH&涼風「エラソーに言うなっ!!(2人で管理人・急行特急THの頭を押して、地面にたたき付ける)」
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Mind Feeling0221-2 Saturday cafe

2009年02月21日 16時10分32秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
ある繁華街にある、フランチャイズの喫茶店で、食した。

鬼キャラ急行特急TH「昨日も同じネタで書いて、だからマンネリ化が甚だしいって言われるんだよ」

管理人・急行特急TH「悪かったな(怒)!同じ事の繰り返しが、この‘‘急行特急は行く,,なんだよ。文句あっか!」

鬼キャラ急行特急TH「あるねぇっ!観ててつまんねーんだよ!」

涼風鈴子「(さえぎって)ねえねえ、管理人、最近、あたしの出番、なくない?どーなってるの?」

木田麻衣子「“Morning on”すっかり下火になりましたよね。」

涼風「(木田の肩に手をあてて)だから、木田さん、いつもの無機質な声で喋らないでちょーだいな。空気が冷えるでしょ」

放送作家・急行特急TH「そこが、木田さんのウリであり、キャラですから」

涼風「うっさい!この、ヘタレ金失ヲタがっ!」

アドバイザーイドワイザー「やかましいや、このインチキDJがっ!いきなり出て来て、さわぐんしゃねーよ(ハリセンで涼風を叩く)」

涼風「痛いわねっ!自分だって、イ・ソ・チ・キ、方丈 送 イ ′F 家 のくせに、生意気なっ!」

放送作家・急行特急TH「どこかのサイトで使われている妙な文章表現を使わないで下さ~い(泣)」

涼風「た゛~力ヽ ~ら、いっぺんくたばってろっての、インチキ金失ヲタはっ!(放送作家・急行特急THの首根っこをぎゅっと掴んで、ガクガク揺さぶる)」

管理人・急行特急TH「(涼し気な顔で)始まったよ、始まったよ、暴走インチキなんとかのお祭りが。嫌だねぇ~」

鬼キャラ急行特急TH「だから、み~んな、てめぇが悪いんだろ。ちったー反省しろよ、この69で無しがっ!(管理人・急行特急THに体側中心部に飛び蹴り入れて、地面に叩きつける)」

もはや収拾がつかなくなった所で、この話は糸冬。あーあ(謎なため息)。
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Mind Feeling0221-1 Weekend with Azure Sky

2009年02月21日 14時20分23秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
“Weekend with NO NAME ”の間違いじゃないのけ?というツッコミが入るの必至だが、言葉は模倣によって始まり模倣に終る…ではないが、真似てほんの少し変えて進化。

晴れた土曜日。



昨日のグレイ色模様から一転し、クリアな空が広がっている。



キャンバスに絵を描く一人の青年に、ある時出会った。
「何を描いているんだい?」
そういってキャンバスを覗いてみると、そこには何も描かれていなかった。不思議に思って、青年が手にしているパレットと筆をみると、水気はおびはしてもやはり色はなかった。そしてキャンバスの近くにおいてある小さな台には、鮮やかな薄青が入った瓶と白が入った絵の具と静かに輝く様に光る銀色が入った瓶がおいてあった。
「空を描いているんですよ」
すまし顔で青年は、キャンパスの上で、筆を動かし続けた。だが、やはりそこには何も見えない。
「何も描かれていないけれど」
「そうなんです。色なんて本当は無いんですよ。光の反射でそう見えるだけで」
少し表示を緩めて青年はそういった。
「その絵の具、不思議ですよね。色があるのに色がでないんですよ。ほら」
得心のいっていない私を気遣ってか、青年は、筆を薄青が入った瓶にすくう様にして見せたがやはり色は無かった。
「信じられない」
「形ある全ての物が掴める訳じゃないって事みたいですね。ちなみに、この白も銀も色はあっても、この青同様に、何も色はつきません。虚構の絵の具です」
私は、各色が入った瓶とキャンバス、そして空を見上げてみて、どこと無く、青年が言わんとする意味が解った気がした。
「形があって無いものを形にしたい。それで、この虚構の絵の具を手に入れたんです。私の目には映りませんが、きっと描けている筈です。この青々とした空が」
まだ描き上がってませんけれど…と青年は口にし、再び手を動かしはじめた。 (『虚構の絵の具』)

そんな物語なんぞありやしないが、不意に書きたくなったので書いてみた。気が向いたら、もう少し、肉付けしてみようか。
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Mind Feeling0220~0221-2 活字離れの昨今から…

2009年02月21日 02時42分24秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
昨今、新聞・雑誌を含め、活字に触れる機会が、皆無となっている。ブログで文章をこんな風にして書いたりするが、表現がワンパターンだろうと私は感じないが、きっと多くの方が感じているだろう。
手持ち無沙汰な時間を使って、小説の1つでも読もうかあるいは漫画本でも良いから読みたいなぁ…と想う物の、実行に移せない。 小説にしても漫画にしても、ジャンルは多くあり、ベストセラーがありと様々…こうやっと書くあたり、

「所詮、口でそういっているだけで、読む気なんて、さらさら無いんだろ?」

という声が聞こえてくるが、全くその通りで、最もらしい「理屈」並べる時は、たいてい、「逃げの手段」に過ぎないのは否めないが、そんな場合でも「話をきっちり最後まで聞いてもらいたい」と思うのは、横暴なんだろうか?過去に「お前の言ってる事は言い訳だ」
と切り込まれて、言い返せず、うらみだけが残った事があるので、そのあたり過敏になっているのは、お許し願いたい。

物語というと、多く目につくのが、

「恋愛」

「サスペンス」

「ミステリー」

「ノンフィクション」

「SF(含、サイエンスフィクション・サイエンスファンタジー)」

「エッセー」

「学園物」

「スポーツ系」

「歴史物」

と様々。
私は、好きな特定のジャンルは無く、理由がはっきりしない、単なる食わず嫌い的な所から、「サスペンス」、「ミステリー」の系統に「ノンフィクション」、“SF”に「エッセー」、「歴史物」は、嫌いである。たいてい、それは、

「読んでいて、面白い」
解っているからでありかつ、「ベストセラー」のニオイが濃く、手を出しにくい。
昨今は、「恋愛物」すらも、何だか手がだしにくくなっている。色濃い沙汰や恋愛からは、縁が無い暮らしをしている自分が、「負け組」的に思えてしまい、まざまざと今の自分の「無能さ」やら「情けなさ」を思いしらされるので、嫌なのだ。ノンフィクション系は、「滅びの美学」系の話ばかりが目につき、「生前思い出話」が多く、やはり嫌だ。それで、感動を呼ぶのだろうが、それはどこか違う気がして。
また、昨今、飛蚊症で、活字が読みにくい事もあり、余計に文字から離れつつある。
結局、こんな「認めたくない‘‘言い訳,,」を並べてしまう事になるが、学生中期から後期に至る間で、僅かながらに、小説に触れた事がある。それが、以下の画像の物である。


↑(向かって左から、『ハング・ルース』-1995年-、『少年達の終わらない夜』-1993年-、『スタイリッシュ・キッズ』-1993年- 全て、鷺沢 萌著 河出文庫より出版。※萌の文字は、草冠に月2つが正しい)
 

↑(向かって左側より小林麻美著『ブルーグレイの夜明け』-1984年- 三田誠広著『いちご同盟』-1994年- 全て河出文庫より出版)

学生時代の中期から後期にかけた、ある時、「推薦図書」や「話題小説」以外の作品に触れたいなぁ…と思っていたら、書店の片隅で見つけたのが、鷺沢氏の本だった。ぱらみしたら、なかなか面白いと感じ、手を伸ばしたのがきっかけである。名前の知らない作家という印象が強く、ベストセラーとしてタイアップされていた訳でもなかったので、「これは行ける」的にして手に入れた。残りの2冊は、鷺沢氏の本の後ろページにあった目録から知った。
こんな風な出会い方をもう1度したいが、1度感じた新鮮さはもはや味わえず、「先入観」が入ってしまい、2の足を踏んでいる。そーまでして読まないとならないか?活字。という話だが、難しい所。
書店には、今や、「売れている本」に「話題の本」ばかりが目立ち、私が求める所は、もはや無理な話になっている。多分、私自身がもはや求めていないのが大きいが、物を豊かな表現・言葉数で書くには、一般的には「書物を読む」事と言われ、また、「考えも豊になる」というのも否定出来ないが、だからとて再び、いつかみたいには行かない。開けていけない扉の向こうを早く開けすぎてしまったのだろうか?
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Mind Feeling0220~0221 I'm walking o n the late night street.

2009年02月21日 00時43分20秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
また英語のタイトルですかい、にーさん?という声が聞こえるが、本文は普通にジャパニーズ。
風が冷たくも、どこか興奮気味で、寒くて気持ちが6割悪くて3割良くて、1割表現出来ない。
レイトナイトタウンで、その日事件は起きた--闇に吸い込まれる様に市長の娘が…とどこかか古いゲーム“FINAL FIGHT”みたいなイメージとギャグ漫画『奇面組』にあった刑事物アレンジの話を思い出してしまう、訳の解らない自分自身を持て余しつつ、風に吹かれ、アイムウォーキングオンザレイトナイトストリート。レイトナイトストレートという深夜特急があったりしたら楽しいねぇ……。
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