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日が昇り、月が降りる。夜と朝が同居は、絵的には悪くないが、やはり、「始まり」時の「憂鬱感」は拭えない。水色の空が皮肉に見える。空がきれいだから、その日、1日が丸く納まるという訳でもなく、曇も雨もまたその色を心に映す。それぞれの日の「朝」に、描かれる「胸の中の重さ」は、変わる事はない。
思い込みに暗示の類でそー見えるのではないか、そんな声がする。私は思う、
「そんな言葉で誰に、褒めたたえられたいのか」
と。現実を知っていて、それを口にしてるんだろうが、あまりにも「無責任」。しかしこんな些細な事で、「責務」を負う必要はまったくもって無い。だからこそ、「醜くどうにもこうにもならない現実を知っていても」、そう言えるのだろうが、言葉の叩き売りでしかない。私も時として、「言葉の重み」を叩き売ってしまうことがあるので大きくは出られないが、叩き売りをしなければならないほど、苦境はいつまで続くのだろうか?