たまたま小さく集まって咲いていた、オオイヌフグリ。きれいに見えたので、撮影してみた。やはり撮ってしまうと、どうも味気ない。自然で咲く姿を生で見るのがやはり1番良い様である。
拡大して形にするとやはり奇妙な物があるが、光の反射で紫に見える昇陽時の空に浮かぶ雲である。
紫、という色の話を、昨年あたりにした記憶がある。「格好良さ」を示す面があるかも知れないみたいな話をしたと思う。それでも個人的には、さほど好きな色という訳でもない。
紫、というと、タイトルにもある様に、桃色と空色を混ぜる事で形成される。それを知ったのは、学生時代後期だった様な気がするのだが、桃色と空色の蛍光マーカーがたまたま混じった事で解った事である。それは自分にとっては、1つの発見であり、鮮やかな色合いが出来て印象深い所だった。しかし、同時に、その発見は、苦言を提される事があった。「汚い」と。多分、親切心でそう口にしたんだろうが、あの当時の私からすれば、「ふざげんなこの野郎」と胸蔵掴んでやろうかと思うくらいに苦言を口にした人物に嫌悪の情を抱いたものである。自分の個性は、私の場合、多くそんな風に、「否定」されるので、いつしか、他人を認めるのが難しくなった面がある。それを「自尊心の念が高い」と勘違いされるのは、言語道断である。
そんな半ば、良くて半ば悪い想いがある「紫」という色が、たまたま目にした空にあったので、記事にした次第。
紫、という色の話を、昨年あたりにした記憶がある。「格好良さ」を示す面があるかも知れないみたいな話をしたと思う。それでも個人的には、さほど好きな色という訳でもない。
紫、というと、タイトルにもある様に、桃色と空色を混ぜる事で形成される。それを知ったのは、学生時代後期だった様な気がするのだが、桃色と空色の蛍光マーカーがたまたま混じった事で解った事である。それは自分にとっては、1つの発見であり、鮮やかな色合いが出来て印象深い所だった。しかし、同時に、その発見は、苦言を提される事があった。「汚い」と。多分、親切心でそう口にしたんだろうが、あの当時の私からすれば、「ふざげんなこの野郎」と胸蔵掴んでやろうかと思うくらいに苦言を口にした人物に嫌悪の情を抱いたものである。自分の個性は、私の場合、多くそんな風に、「否定」されるので、いつしか、他人を認めるのが難しくなった面がある。それを「自尊心の念が高い」と勘違いされるのは、言語道断である。
そんな半ば、良くて半ば悪い想いがある「紫」という色が、たまたま目にした空にあったので、記事にした次第。