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有名になりたい

2013年01月20日 17時06分32秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

また昔懐かしい8cmシングルCDなんか引っ張り出して、と言う話で。
ファンのシンガー曲、篠原美也子『誰の様でもなく』。まさか携帯からYouTubeでリンク貼ったものが見られるとは思わなかったが。便利なものである。

「誰の様でもなく、誰の為でもなく、誰にも似ていない、I’m no body」と歌われるこの曲であるが、この歌詞に継ぎ足されそうなのが「有名になりたい」の7文字。 誰にもない個性をもってして受け入れられ、その名前をはせることが出来るならどんなに良いだろうとおもう。
この曲にある「誰も知らない所に住み、会えるのはスクリーンの中だけ」と、所在不明であっても確かにどこかにはいて、誰もが会える場所に居て、名をはせて有名である、そんな存在は憧れのたとえになる。そんな風になれたとして、ずっと有名なまま、名をはせて、人気がある、教科書みたいな話は、テレビの中だからこそ良いのか、解らないが、長く水面下や地中の中で、頭や目が出そうで出ないままのあと一歩感なままの横ばいを続ければ、自然と思うようになりそうである。

誰の様でもなく、誰の為でもなく、誰にも似ていないまま、有名になりたい、有名であり続けたい―――そんな夢を今夜流れ行くほうき星に託して、願いが叶ったなら、有難い話である。そんなことを良い歳した私が口にすると、なんとも身なりが悪く映る。
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Mind Feeling 0120-1

2013年01月20日 16時41分51秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

進み行く2013年。毎日、日記なんかつけてなどいないが、心の中に刻まれる行く日々を挙げた画像の様な2013と書かれたノートに描いていく姿を想像しつつファンのシンガー、篠原美也子“Dear”に重ねてみる。

どこにでもある1日、記憶や足跡さえ残せない日々、伝えきれない想い、数えきれない痛み、そんな記憶の数々を2013と書かれたノートに書き込んで、読み返してなにかを感じるのは今より先、かなり時間が経ってからになるんだろう。

年々、このブログの投稿数が減少しているが、もっと書けること沢山あるだろうよ、と思いつつも書かない、書けないその訳は、日々が無機質で、悲しみやめんどくささしかなくそれが同じように続いていくから、と思う。そんな灰色でくすみ重たい感情を形にしても、天使が舞い降りてきて、救ってくれる訳ではない。

言葉にしてみても伝わらない、変わらない、それならば書かなくてもいいじゃん、と言う胸のうちでささやく正義の味方の悪魔を振り払いつつ、こうして形にしているが、正しいのはいつも正義の味方の悪魔。悪魔に見えるのは私だけで、それがヒーローだと言う不条理さを噛み締めると、日々がくすみ重く灰色になっていく。

時間に流されて、流されて、悲しみと言う時間が経てばやがては消え行く足跡を遺して行く日々にいとおしさや親愛なるものを感じられない私は、まだまだガキであり、おしめもとれない半人前にさえなれないまま、変われない変わらないものを手にしてここにいる。

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残雪

2013年01月20日 16時25分13秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

先週降った雪が残雪となり、土埃や小石、枯れ葉やゴミにまみれて残っている。
まるで自分を見てるようだなと思う。私にきれいな時代なんてあったっけ?ではあるけれど、こんな風に薄汚れながら醜く溶け行き、消えるように絶望に苛まれるのか?と思ったりする。希望なんてあってないようなものの、ゆっくりと溶け行く残雪の様に日々を生きていくと消えて行く感じがするとは何て情けない話だろうであるが、生き生きとした他人の様なブライトな生き方は出来ないな、と口の端を歪めてうつむき笑う私は、路傍の残雪のそのものである。

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GREEN GREEN GLASS OF HOME on the TOKYOMX “FEELIND&HEAD LINE NEWS”

2013年01月20日 16時13分54秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

最近、知ったと言うか昨年2012年にはまった東京MXのヒーリングアンドヘッドラインニュース-名車グラフィティ-で流れるSCOTT McKENZIEのSan Franciscoの一個前に流れるTOM JONESのGreen Green glass of homeにはまった私である。調べてみると森山良子やキャンディーズやらが日本語カバーで歌った実績もあるようで、そんなに有名だったのね、とこの期に及んで思う。

The old home town looked the same.As I stepped down from the train.And then there meeting is my mama and papa…と続く歌の様だが、故郷に帰って親が迎えに来るとは古風だなと思う。この曲には、メリーと言う意中が出てくるのだが、金髪で唇がさくらんぼみたいに赤いとあるが美人さんだったのだろうか?

The old house is still standing.Though the painting is cracked and dried.And there is a old alk treethat I used to play on.Down the lane I Walked with my sweet marry hairs gold and ripes like cherry.It's good touch the green green glass of home.
と何だか、そう言う場面に私も行きたいなと思うが、いかにも青々しい、まさに青春と言う雰囲気が出ている。緑色の家、そう言えばいつかどこかで見たようなだが、故郷にそんな親友や親しい知人が居るのはうらやましい話であるけれど付き合い続けるのはそれなりに辛いんだよな、と我が人生を振り返ってしまう。

刑務所で処刑待ちの主人公がこの世の想い出に歌ったとされる曲だが、何故にイタリア語だかスペイン語だかが歌詞に出てくるのだ?とおもう。

For there's a guard and there's a saddlepadre, arm in arm we will walk at daybreak again I'll touch the green green glass of home.
と、padre、これはスペイン語な気がするがイタリア語でもあるのか?神父と言う意味で使われてるようだが、もとは父親と言う意味だったような。

思い出話好きな私にはもってこいな曲で、しょっちゅう口ずさむ最近だが、明日にはマイブームが去ってるかも知れないから呆れるが、それもまさに想い出の…になるのかならないのか決めかねる。
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日曜の空

2013年01月20日 15時40分23秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

空の画像を撮ろうと見上げれば、あら、月ですか、と言う所であった。満月まではしばらくかかるな、と最近思うあたり。

空と言うとこの曲な私である。携帯からのリンク付けなので聴けないかもだが、何回か話には出した、昔のアニメ『ロミオの青い空』の主題歌、空へ…/笠原弘子である。

黒い兄弟、が本当のというか原作のタイトルなのだが、黒くすすけた主人公とその親友がイタリア・ミラノの屋根からみた空はどんなだったのだろうか?と不意に思ってみたり。
リンク付けした曲の歌詞に「遥かなブルースカイ、空は明日へ続いている」と出てくるのだが、空は広く果てしなく、ゆえにそれを希望に例えたのか、と今さら思った私であるけれど、あの物語の二人が見つめた或いは抱いた希望はどんなものだったのだろうか?まだ10代そこそこにして明日を強く描ける彼らは、輝いている、それは物語の中だから、と言えるのだろうか?
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