失った筈の物がいきなり復活…という自分史には例が少ない話が朝からあって、びっくりである。偶然に感謝と奇跡に感謝を…。
毎度、今日、月曜も含めて、朝の心境は「右に行くほど値が大きくなる数値直線の‘‘原点より左側,,」という感じで、良くて「原点Oと等しい」のが常である----と言葉にすると「回りくどさが爆発」しているが、素直に「後ろ向きな心境にしかなれない」 と言えば良いのだが、過去のある事をきっかけに“NEGATIVE”(スペルがあっているかはあやしいが、カタカナにしたくないので、あえて横文字で) だの「負の感情」だの「マイナス」だの「後ろ向き」だの「プラス」だの「前向き」だの“POSITIVE”(こちらもスペルがあっているかはあやしいが、カタカナにしたくないので、あえて横文字で)だの、「ストレイト」な表現は「極力」したくなくなったので、こんな言い回ししか出来なくなってしまった…というのがある。また、「プラス」、「前向き」、“POSITIVE”という言葉はどうも「追い詰められたのを必死になって否定」している様にしか見えず、「美辞麗句」にしか聞こえない。殊に、「追い詰められた時」にこの
様な「美辞麗句を使いたがる」傾向が昨今はあるようで、私はそれが嫌いである。「追い詰められた時、「美辞麗句だけで、全てがうまくいく訳はない」と知っているのに…。
「気持ちは、誰かに‘‘強制されない,,」ものだと思うのだが、どうも「強制されている」様にも思う。
朝から力説する話でも無いが、いい加減「誰かをかりそめだけで実態がない‘‘美辞麗句,,」は「避ける」べきだろう。「正なる気持ち」は「胸の中で留め、抱きしめて」こそ意味がある筈。「安易」に「使ってはならない」。
様な「美辞麗句を使いたがる」傾向が昨今はあるようで、私はそれが嫌いである。「追い詰められた時、「美辞麗句だけで、全てがうまくいく訳はない」と知っているのに…。
「気持ちは、誰かに‘‘強制されない,,」ものだと思うのだが、どうも「強制されている」様にも思う。
朝から力説する話でも無いが、いい加減「誰かをかりそめだけで実態がない‘‘美辞麗句,,」は「避ける」べきだろう。「正なる気持ち」は「胸の中で留め、抱きしめて」こそ意味がある筈。「安易」に「使ってはならない」。
やはり、私のような人間に渋谷は似合わないなぁ…と昨日と同じような事を考えつつ、篠原美也子ワンマンライウ゛2デイズの最終日に向かう途中である。
行きがてに、文庫本でも買おうかと思ったが、たぶん読み切れないと判断し、ちらみして終であった。活字離れが叫ばれる昨今、私も例外でなく、読まない読まないのパレイドである。
国語力が不足している事が露呈された学生時代中期の初め。私なりに読んだつもりだったが、学力の向上には結局繋がらず、なんだったんだろうな…と思う反面、自分だけの名作に会えた様に思う。 あの頃、小説を読んで、情景を妄想しつつ読めて、楽しめたのだが、今はダメである。時間が無いといえばそーであるが、休みの日に一人、物語を読むのはなんか気が引ける所があるし、何より「文字だけでは‘‘飽きる,,」。それは、このブログの話も例外ではないが、どうも致し方無い。
故に、昨今は、漫画にアニメに逃げている。想像をするよりも即興的に情景がみえてきて楽しめる。だが、何作品もみていくと、だんだんと1つ1つの作品に対する思い入れや、印象が薄く成ってくるのも事実。学生時代、篠原美也子氏のアルバムから知った作家2人と自分の手で見つけだした作家諸氏達の作品に触れ、手当たり次第、人目についた有名所の作品を避け、「これだ!」と思う作品に幾つか手を伸ばして、いつしか活字から離れた私である。どうも「魅力に欠ける」ような感覚を覚え、触れようとさえしなくなっている。
気がつけば、こぼれたインクみたいに文字を羅列してしまったが、昨今は読むよりも「書く」が先行し、「読み返しはしない」悪い傾向にある。ある意味では、刻々と過ぎる時間に「汚点」とも言える「感情の塊」を刻みつけているのだが、過去に書き出した文章を読み返すと、ありありと当時の醜いとさえ言える心境が見えて来て、遠ざけたくなるのはまだまだ子供である証拠である。
行きがてに、文庫本でも買おうかと思ったが、たぶん読み切れないと判断し、ちらみして終であった。活字離れが叫ばれる昨今、私も例外でなく、読まない読まないのパレイドである。
国語力が不足している事が露呈された学生時代中期の初め。私なりに読んだつもりだったが、学力の向上には結局繋がらず、なんだったんだろうな…と思う反面、自分だけの名作に会えた様に思う。 あの頃、小説を読んで、情景を妄想しつつ読めて、楽しめたのだが、今はダメである。時間が無いといえばそーであるが、休みの日に一人、物語を読むのはなんか気が引ける所があるし、何より「文字だけでは‘‘飽きる,,」。それは、このブログの話も例外ではないが、どうも致し方無い。
故に、昨今は、漫画にアニメに逃げている。想像をするよりも即興的に情景がみえてきて楽しめる。だが、何作品もみていくと、だんだんと1つ1つの作品に対する思い入れや、印象が薄く成ってくるのも事実。学生時代、篠原美也子氏のアルバムから知った作家2人と自分の手で見つけだした作家諸氏達の作品に触れ、手当たり次第、人目についた有名所の作品を避け、「これだ!」と思う作品に幾つか手を伸ばして、いつしか活字から離れた私である。どうも「魅力に欠ける」ような感覚を覚え、触れようとさえしなくなっている。
気がつけば、こぼれたインクみたいに文字を羅列してしまったが、昨今は読むよりも「書く」が先行し、「読み返しはしない」悪い傾向にある。ある意味では、刻々と過ぎる時間に「汚点」とも言える「感情の塊」を刻みつけているのだが、過去に書き出した文章を読み返すと、ありありと当時の醜いとさえ言える心境が見えて来て、遠ざけたくなるのはまだまだ子供である証拠である。
ライヴの興奮を引きずっていたら、妙な偶然?が起きた。小田急10連オール1000形の急行が3連発でやって来た。編成をひかえたので掲出したい。
←新宿1054-1004-1104-1154<=>1251-1201-1301-1351-1401-1451小田原→
←新宿1064-1014-1114-1164<=>1753-1703-1803-1853-1903-1953小田原→
←新宿1094-1104-1144-1194-1294-1244-1344-1394-1444-1494小田原→
<=>は、連結を意味するので、3台目は貫通編成であった。
こんな事もあるのかとびっくりである。
←新宿1054-1004-1104-1154<=>1251-1201-1301-1351-1401-1451小田原→
←新宿1064-1014-1114-1164<=>1753-1703-1803-1853-1903-1953小田原→
←新宿1094-1104-1144-1194-1294-1244-1344-1394-1444-1494小田原→
<=>は、連結を意味するので、3台目は貫通編成であった。
こんな事もあるのかとびっくりである。