依然として、登場人物の関係があやふやである。
ともかく明治6年の暮れ、大川端の「かわせみ」では「若先生」といえば神林麻太郎であって、神林東吾ではないのだ。
千春は、東吾とるいの間の娘で「かわせみ」の若女将修行中、そしてかわせみには、老番頭の嘉助と女中頭のお吉は健在、番頭見習いに正吉がいる。
年の暮れ、麻生花世が狸穴に実家にも帰らずかわせみで年を越すとやってくる。花世は、東吾の兄嫁・香苗の妹・七重と東吾の友人で医師の宗太郎の子である。
といったふうに整理をしながら読み進めるなければならないのが、新・御宿かわせみの欠点である。(物覚えが悪くなったのをそちらの所為にしている)
今回の事件は「蝶丸屋」という商家の「おきみ」が殺された?ことである。
この蝶丸屋には娘が二人いて、一人は「おりん」もう一人が「おきみ」である。
この二人が姉妹のようでいて姉妹でないことが、事件の複雑性をうみ、なおかつどうやって殺されたのか、ということも謎なのである。
神林麻太郎、麻生花世、畝源太郎がこの謎に挑むが・・・・
「どんでん返し」とでもいうような結末ではあるが、事件解決後、麻太郎がるいに向かって<少々のためらいを捨てて>言う。
「有難うございました。わたしはおるい叔母様が、こんなにも凄い人だとは、気がつきませんでした。尊敬します。感動しました」
るいは
「今日の麻太郎様をみていて、私、或る人を思い出していました」
「或る人ですか」
「ええ、その人は、昔、この『かわせみ』で、あなたと同じように、若先生と呼ばれて居りました」
神林東吾は戻ってくるのか?
というのもひとつの楽しみである、新・御宿かわせみ、なのであった。
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ともかく明治6年の暮れ、大川端の「かわせみ」では「若先生」といえば神林麻太郎であって、神林東吾ではないのだ。
千春は、東吾とるいの間の娘で「かわせみ」の若女将修行中、そしてかわせみには、老番頭の嘉助と女中頭のお吉は健在、番頭見習いに正吉がいる。
年の暮れ、麻生花世が狸穴に実家にも帰らずかわせみで年を越すとやってくる。花世は、東吾の兄嫁・香苗の妹・七重と東吾の友人で医師の宗太郎の子である。
といったふうに整理をしながら読み進めるなければならないのが、新・御宿かわせみの欠点である。(物覚えが悪くなったのをそちらの所為にしている)
今回の事件は「蝶丸屋」という商家の「おきみ」が殺された?ことである。
この蝶丸屋には娘が二人いて、一人は「おりん」もう一人が「おきみ」である。
この二人が姉妹のようでいて姉妹でないことが、事件の複雑性をうみ、なおかつどうやって殺されたのか、ということも謎なのである。
神林麻太郎、麻生花世、畝源太郎がこの謎に挑むが・・・・
「どんでん返し」とでもいうような結末ではあるが、事件解決後、麻太郎がるいに向かって<少々のためらいを捨てて>言う。
「有難うございました。わたしはおるい叔母様が、こんなにも凄い人だとは、気がつきませんでした。尊敬します。感動しました」
るいは
「今日の麻太郎様をみていて、私、或る人を思い出していました」
「或る人ですか」
「ええ、その人は、昔、この『かわせみ』で、あなたと同じように、若先生と呼ばれて居りました」
神林東吾は戻ってくるのか?
というのもひとつの楽しみである、新・御宿かわせみ、なのであった。
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