前回は、日本語訳の本を読むのにあたってその覚悟が必要なワタシについて、長々と書き綴ってしまい、とうとう本題に入る前に、書き続けることに飽きてしまい、本題は次回にということで終えてしまった。
というわけで、今回は短編集の内容について、である。
23編の短編では、例えば「最後の一葉」とか「賢者の贈り物」などはよく知られていると、つまりは『ワタシも知っている』ということであったが、実はよく知っていないことが判明した。
「最後の一葉」のラストなどは『あれ!?そうだったけか』というものだった。
で、今までも思っていたのであるが、あの葉が落ちたら私は死ぬ、という人物の我儘さに怒りを覚えるというか、その葉を落ちないようにしてあげようと思った人物の人の良さにこれまた怒りを覚えるのである。
アタシャ、無理やりに葉っぱを落としてしまって「ホラ、まだ生きているじゃないか」と言ってやりたい。
と、思わせるほどのめりこんでいるわけで、そういうところが、O・ヘンリーの綴る物語の面白さ(=多くの人が読んでいる)ということなのではないだろうか。
短編の評価にあたって「(オチの)意外性」「納得性」「余韻」「(私の)嗜好性」ということを以前挙げたのであるが、今回この短編集を読むと「設定」というのも重要であるということがわかる。
つまり主人公を取り巻く環境を簡潔にわかりやすく表すことで、主人公への感情移入を早くさせ、ゆえに最後のオチが響くのではないだろうか?
なかにはあまりにも「わざとらしい」というような物語もあるが、概ねイイカンジで読むことが出来た。
お薦めを何点か挙げておこう。
「赤い族長の身代金」
こちらの想像どうりに物語りは動いていくのであるが、なんというかドリフターズのコントのように次はこうなるぞというものをちゃんと期待どうりに展開していくような面白さである。
「1ドルの価値」
珍しくハードボイルド風な作品であり、オチが数段になっているようなカンジである。
「甦った改心」こちらの期待どうりのオチであって、その期待にこたえてくれたことに、にこっとしてしまう。
「10月と6月」
読み終えると騙されたという印象である。途中からオチには気づくのであるが、ホントにそうなるとはなあ、と。まあ設定だけで出来たお話とも言える。
「幻の混合酒」こういう、間の抜けた、というかバカバカしいような喜劇がすきなのである。「赤い族長の身代金」にも似た喜劇である。
「意中の人」この話も「10月と6月」と同じで、設定そのものがオチになるわけであり、こちら側が勝手に想像してヤキモキするから、オチが効いてくるのである。
「心と手」「水車のある教会」キレイなお話である。この手の話はどこまでこちら側を本気にさせるか、物語に入り込ませるかが、カギなのであるが、筆者の思惑どうりに入り込んでしまうのである。「心と手」はオチの意外性に「水車のある教会」は余韻に感動した。
このほか「恋愛モノ」については甘ったるいというか甘すぎるようなところもあるのだが、ハッピーエンドに終わるとほっとするし、逆な場合ではその意外性に笑ったりもするのである。
また、こちらの期待どうりのオチであっても、意外性の高いオチであっても、納得性の高いところがO・ヘンリーの小説の特徴かと思うのである。
解説(立正大学文学部教授:齋藤昇)のO・ヘンリーの一生も面白い。
短編集なので一気に読んでしまうのではなく、一日一話を読む、くらいがいいかもしれない。
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というわけで、今回は短編集の内容について、である。
23編の短編では、例えば「最後の一葉」とか「賢者の贈り物」などはよく知られていると、つまりは『ワタシも知っている』ということであったが、実はよく知っていないことが判明した。
「最後の一葉」のラストなどは『あれ!?そうだったけか』というものだった。
で、今までも思っていたのであるが、あの葉が落ちたら私は死ぬ、という人物の我儘さに怒りを覚えるというか、その葉を落ちないようにしてあげようと思った人物の人の良さにこれまた怒りを覚えるのである。
アタシャ、無理やりに葉っぱを落としてしまって「ホラ、まだ生きているじゃないか」と言ってやりたい。
と、思わせるほどのめりこんでいるわけで、そういうところが、O・ヘンリーの綴る物語の面白さ(=多くの人が読んでいる)ということなのではないだろうか。
短編の評価にあたって「(オチの)意外性」「納得性」「余韻」「(私の)嗜好性」ということを以前挙げたのであるが、今回この短編集を読むと「設定」というのも重要であるということがわかる。
つまり主人公を取り巻く環境を簡潔にわかりやすく表すことで、主人公への感情移入を早くさせ、ゆえに最後のオチが響くのではないだろうか?
なかにはあまりにも「わざとらしい」というような物語もあるが、概ねイイカンジで読むことが出来た。
お薦めを何点か挙げておこう。
「赤い族長の身代金」
こちらの想像どうりに物語りは動いていくのであるが、なんというかドリフターズのコントのように次はこうなるぞというものをちゃんと期待どうりに展開していくような面白さである。
「1ドルの価値」
珍しくハードボイルド風な作品であり、オチが数段になっているようなカンジである。
「甦った改心」こちらの期待どうりのオチであって、その期待にこたえてくれたことに、にこっとしてしまう。
「10月と6月」
読み終えると騙されたという印象である。途中からオチには気づくのであるが、ホントにそうなるとはなあ、と。まあ設定だけで出来たお話とも言える。
「幻の混合酒」こういう、間の抜けた、というかバカバカしいような喜劇がすきなのである。「赤い族長の身代金」にも似た喜劇である。
「意中の人」この話も「10月と6月」と同じで、設定そのものがオチになるわけであり、こちら側が勝手に想像してヤキモキするから、オチが効いてくるのである。
「心と手」「水車のある教会」キレイなお話である。この手の話はどこまでこちら側を本気にさせるか、物語に入り込ませるかが、カギなのであるが、筆者の思惑どうりに入り込んでしまうのである。「心と手」はオチの意外性に「水車のある教会」は余韻に感動した。
このほか「恋愛モノ」については甘ったるいというか甘すぎるようなところもあるのだが、ハッピーエンドに終わるとほっとするし、逆な場合ではその意外性に笑ったりもするのである。
また、こちらの期待どうりのオチであっても、意外性の高いオチであっても、納得性の高いところがO・ヘンリーの小説の特徴かと思うのである。
解説(立正大学文学部教授:齋藤昇)のO・ヘンリーの一生も面白い。
短編集なので一気に読んでしまうのではなく、一日一話を読む、くらいがいいかもしれない。
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