「東日流外三郡誌」は『つがるそとさんぐんし』と読む。
青森県の日本海側に十三湖というのがある。
吉幾三の『津軽平野』のなかに
♪十三湊(じゅうさんみなと)は西風強くて♪
とうたわれているところである。
その十三湊は古代、世界に向かって開かれていた。
この国は「安東国」といい、日本の中の別の国、つまり独立国として栄えていた。
蝦夷と呼ばれて、日本(天皇国)から蔑視・阻害され続け、日本に負け続けてきた東北地方が、実は優れた国家であった、ということが、書かれている古代文書が『東日流外三郡誌』である。
その『東日流外三郡誌』が発見された、そして、それが村史の資料として発刊された。
そこからこの事件が始まる。
題名にあるとおりこの「東日流外三郡誌」或いはこの文書を含む「和田家文書」は偽書である、ということについて、青森県の東奥日報という新聞社の記者である著者が、取材を通して知りえたこと学んだことを、時系列で書いてある。
これが、この事件に関わった人たちには非常に申し訳ないのだが、『非常に面白い』のである。
私は、この「東日流外三郡誌」そのものを読んだわけではないが、いろいろな小説でその断片を、つまり噂を聞いていた。
そして、その噂を「好ましい」と感じていた。
それは、古代から東北地方が蔑視され、全ての戦いで負け続け、なんともいえない劣等感或いは敗北感のようなものを、私自身感じていたからである。
しかし、どう考えても「バカバカしい」話であり、眉唾物である。
もしそういう国が存在したとしたら、全てが跡形もなくなくならないだろう。なにかその痕跡を残す風習や文化などがあるはずである。
ということから「好ましい」とは感じていたが、いわば「与太話」の類であろうと思っていた。
まさか、そのことを巡って真剣に真偽を争っていたとは思わなかったのである。
というわけでこの本は非常に興味深くそして面白く読んだ。
真書か偽書かという問題よりも、「和田文書」といわれる文書の発見者であり、作者でもあるとされている和田喜八郎という人が興味深い。
金のためだとか色々といわれているが、すさまじい執念である。
これでもかこれもでかというくらい「偽」である証拠というか印を突きつけられても、最後の最後まで認めなかったというのは、どういうことだったのだろうか。
すでに故人となってしまったため、真相は推理するしかないのだが、「すさまじい」としか言いようのない人生であったように思える。
ともあれ「東日流外三郡誌」は多くの人や団体を巻き込んだものであり、いまだにその渦から逃れられないものもいるということが、本書を読むとよくわかる。
追伸
その後「東日流外三郡誌」をインターネットで検索すると、一杯でてきてびっくりした。そして、今なお真実であるという主張をしている人や、信じている人がおおいことにも驚いた。
まだまだ「生きている」のだなあと思ったのである。
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青森県の日本海側に十三湖というのがある。
吉幾三の『津軽平野』のなかに
♪十三湊(じゅうさんみなと)は西風強くて♪
とうたわれているところである。
その十三湊は古代、世界に向かって開かれていた。
この国は「安東国」といい、日本の中の別の国、つまり独立国として栄えていた。
蝦夷と呼ばれて、日本(天皇国)から蔑視・阻害され続け、日本に負け続けてきた東北地方が、実は優れた国家であった、ということが、書かれている古代文書が『東日流外三郡誌』である。
その『東日流外三郡誌』が発見された、そして、それが村史の資料として発刊された。
そこからこの事件が始まる。
題名にあるとおりこの「東日流外三郡誌」或いはこの文書を含む「和田家文書」は偽書である、ということについて、青森県の東奥日報という新聞社の記者である著者が、取材を通して知りえたこと学んだことを、時系列で書いてある。
これが、この事件に関わった人たちには非常に申し訳ないのだが、『非常に面白い』のである。
私は、この「東日流外三郡誌」そのものを読んだわけではないが、いろいろな小説でその断片を、つまり噂を聞いていた。
そして、その噂を「好ましい」と感じていた。
それは、古代から東北地方が蔑視され、全ての戦いで負け続け、なんともいえない劣等感或いは敗北感のようなものを、私自身感じていたからである。
しかし、どう考えても「バカバカしい」話であり、眉唾物である。
もしそういう国が存在したとしたら、全てが跡形もなくなくならないだろう。なにかその痕跡を残す風習や文化などがあるはずである。
ということから「好ましい」とは感じていたが、いわば「与太話」の類であろうと思っていた。
まさか、そのことを巡って真剣に真偽を争っていたとは思わなかったのである。
というわけでこの本は非常に興味深くそして面白く読んだ。
真書か偽書かという問題よりも、「和田文書」といわれる文書の発見者であり、作者でもあるとされている和田喜八郎という人が興味深い。
金のためだとか色々といわれているが、すさまじい執念である。
これでもかこれもでかというくらい「偽」である証拠というか印を突きつけられても、最後の最後まで認めなかったというのは、どういうことだったのだろうか。
すでに故人となってしまったため、真相は推理するしかないのだが、「すさまじい」としか言いようのない人生であったように思える。
ともあれ「東日流外三郡誌」は多くの人や団体を巻き込んだものであり、いまだにその渦から逃れられないものもいるということが、本書を読むとよくわかる。
追伸
その後「東日流外三郡誌」をインターネットで検索すると、一杯でてきてびっくりした。そして、今なお真実であるという主張をしている人や、信じている人がおおいことにも驚いた。
まだまだ「生きている」のだなあと思ったのである。
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