3月11日(金)14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震発生。
宮城県栗原市では震度7を観測。
えー、とりあえず元気です。
復旧作業で疲れてはいますけれど。
地震発生時、私は東京に居て、とある講堂で会議をしていた。
で、これは関東大震災だろう、と思ったのである。
ところが、会議室のテレビを見ていると、東北地方しかも私の住んでいる登米市の隣の栗原市で震度7、登米市は震度6強、とあるではないか!
登米市は大変なことになっていると思い、電話をするもつながらず、メールも返事は来ない。
そのうちに「大津波」がくるとの報道。
最初は6m級、続いて10m超というではないか。
私の近くにいた石巻市の人間は「そんなのくるわけがない」といっていた。
そんなこんなをしていると、津波の被害の情報がテレビで映されるたびに、衝撃は大きくなっていく。
結局11日は、交通事情の関係から動けず、そのまま会議会場に宿泊をした。
よく12日は2箇所をめぐり帰る手立てを探すがいい案がなく叔父の家にとまる、
13日になりふと思いつく。
私のパソコンには、ソースネクストの「本格読取 おまかせ名刺整理」がインストールされデータを入力したばかり。
そこからデーターを探し・・・というわけで帰ってきたのであった。
帰ってきたら帰ってきたで大変で、今も復旧作業中でありなお復旧支援も行っているのである。
復旧支援で、隣町の南三陸町を何度か訪れている。
言葉では言い尽くせぬ悲惨な惨状である。
いつも行っているところなので道路はわかっているつもりだったのだが、全然様相がかわり、道に迷ってしまうようであったし、自分が今どこに居るのかわからなくなってしまうようであった。
昔、東京の夢の島というゴミ捨て場をトラックが走っていた風景に似ている、と思った。
友人・知人も行方不明になっており、複雑な気持ちで車に乗っている。
我々の復旧作業はまだ継続しているが、復旧支援はいつまで続くかわからない状況である。
ゆっくりと読書ができるまでまだしばらく時間がかかりそうだが、その間は、災害状況などを織り交ぜて、何とかブログを継続していこうと思う。
このブログを完成させるまで5日間もかかってしまった・・・
宮城県栗原市では震度7を観測。
えー、とりあえず元気です。
復旧作業で疲れてはいますけれど。
地震発生時、私は東京に居て、とある講堂で会議をしていた。
で、これは関東大震災だろう、と思ったのである。
ところが、会議室のテレビを見ていると、東北地方しかも私の住んでいる登米市の隣の栗原市で震度7、登米市は震度6強、とあるではないか!
登米市は大変なことになっていると思い、電話をするもつながらず、メールも返事は来ない。
そのうちに「大津波」がくるとの報道。
最初は6m級、続いて10m超というではないか。
私の近くにいた石巻市の人間は「そんなのくるわけがない」といっていた。
そんなこんなをしていると、津波の被害の情報がテレビで映されるたびに、衝撃は大きくなっていく。
結局11日は、交通事情の関係から動けず、そのまま会議会場に宿泊をした。
よく12日は2箇所をめぐり帰る手立てを探すがいい案がなく叔父の家にとまる、
13日になりふと思いつく。
私のパソコンには、ソースネクストの「本格読取 おまかせ名刺整理」がインストールされデータを入力したばかり。
そこからデーターを探し・・・というわけで帰ってきたのであった。
帰ってきたら帰ってきたで大変で、今も復旧作業中でありなお復旧支援も行っているのである。
復旧支援で、隣町の南三陸町を何度か訪れている。
言葉では言い尽くせぬ悲惨な惨状である。
いつも行っているところなので道路はわかっているつもりだったのだが、全然様相がかわり、道に迷ってしまうようであったし、自分が今どこに居るのかわからなくなってしまうようであった。
昔、東京の夢の島というゴミ捨て場をトラックが走っていた風景に似ている、と思った。
友人・知人も行方不明になっており、複雑な気持ちで車に乗っている。
我々の復旧作業はまだ継続しているが、復旧支援はいつまで続くかわからない状況である。
ゆっくりと読書ができるまでまだしばらく時間がかかりそうだが、その間は、災害状況などを織り交ぜて、何とかブログを継続していこうと思う。
このブログを完成させるまで5日間もかかってしまった・・・