読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

新三河物語(下) 宮城谷昌光 新潮文庫

2011-05-05 21:10:30 | 読んだ
いよいよ大詰めである。

本能寺の変で、旧武田領を治めようとしていた織田の諸将はこれらを投げ出し帰った。
その後を徳川家は北条家と争いながら治めようとしていた。

大久保忠世は心からの言葉で旧武田遺臣を徳川に引き込んだ。
しかし、上田の真田昌幸だけはなびかなかった。
それは、徳川と北条の和解の中で、真田昌幸が苦心をして大きな犠牲を払って得た「沼田城」を北条に差し出すことにしたからである。

そして真田は大久保忠世の真心を踏みにじった。

私は、真田太平記を読み真田びいきであるが、真田昌幸についてはチョット馴染めない。それは我が前面に出て、その我のための小技が多すぎるからである。

別の見方をすれば、己を貫きそのためには誰にも屈しなかった、ということでもあるが、それはコジツケではないかなんて思っていた。

今回、この物語を読んで、やっぱり真田昌幸は私好みでないことを確認した。

さて、上田城攻めの失敗は、徳川軍団のまとまりのなさから来たものである、というのがこの物語の解釈である。
それは、徳川信康のシンパであった鳥居元忠・平岩親吉と信康について信長にきかれ「そのとおり」と応えた大久保忠世の不和が原因、というか家康の心の内部の揺れ、信康を失ったことの自分自身に対する後ろめたさ「別の方法があったのではないか」という思いと「あれでよかったのだ」という思いが表面に現れたものである。

そして、それは徳川が天下を取ったときにもっと大きく現れ、遂に大久保党は些細な罪で追放されてしまう。

その怨みが大久保彦左衛門に三河物語を書かせた。

大久保家の基本は
「人知れず善行を積んでいくと、いつか天に褒められる」
というものであるが、その善行を善行と認める者がいないかぎり、現実には褒められることはない。

大久保党は許されることとなるが、三河以来のその考え方は失われてしまったのではないか。

さて、本書でこの時期だからこそ気になる部分があった。

「天下を主宰する者が正しくないと、天は、天変地異をもって主宰者をいさめます。さきの大なえ(大地震、この場合は慶長伏見大地震)は、あきらかに関白の不正を天下に知らしめたのです。(後略)」

ということは東日本大震災は、誰をいさめたものだろうか。
私は日本人全てに対してのものではなかったのか?と思う。
主宰者とは日本人全てのことだと思うからである。

新三河物語を読んでいろいろと考えさせられた。

歴史というのは、それを受け止める側の心構えによって変わるものだが、その心構えをどのように持つべきなのか・・・
まだまだ考えなければならない。

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