読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

斜陽に立つ -乃木希典と児玉源太郎- 古川薫 文春文庫

2011-05-28 18:23:20 | 読んだ
乃木希典というひとは、私が小さかった頃は英雄であり偉人であった。

それがいつの間にか「愚将」「無能の将軍」というレッテルを貼られ評判が悪くなった。

私も司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだとき、不運な人だなあと思うのと一緒に戦下手なんだなあと思った。

さて、本書はそういう乃木像を覆す、というか本当はどうだったのか、という視点で描かれている。

つまりは司馬遼太郎が「殉死」とか「坂の上の雲」で描いた乃木像の否定でもある。

著者が冒頭で司馬遼太郎を「長州嫌い」というふうに語っているが、確かに司馬遼太郎は薩摩びいきで長州嫌いだと思う。更に言えば「豊臣秀吉びいき」で「徳川家康嫌い」である。

それを承知で著書を読むのと読まないのでは受け取り方が違う。
だから「司馬遼太郎しか読まない」という人はそれはそれでいいと思うが、歴史或いは歴史上の人物に関しての客観性に欠けると思うのだ。

といいながら、私は司馬遼太郎の大ファンである。

著者は長州である。
従って、若干長州びいきである。
であるが、熱烈ではない。

さて、乃木は本当に愚将であったのか?
この本を読むと、そうではないような気がする。
「不運な人」というカンジはする。

本人は「文」に進みたかったが生い立ちが「武」に進まなければならないようになっていた。

そして驚いたのが若いころは相当の「遊び人」であったことである。
若いころに酒や女に溺れた人が、幅の広いに人になると思っていたが、そうでもないらしく、徐々に自らに厳しくなっていった。

それは「田原坂」の戦いで軍旗を奪われたことが、年をとるにつれて重くのしかかってきたのかもしれない。

といいながら、ずいぶんと休職もしていたらしい。
それは、世俗と自律の隔たりから来るものらしい。

さて、乃木といえば日露戦争の「203高地」であるが、その戦いかたが多くの犠牲をはらったということから「愚将」ということになっているが、どうもそうではないらしい。

このあたりを読むと、今進行中の原発事故における政府、東京電力本社と現地の考え方が違うということに思いが至る。

どこまで現地に本部は指揮を委任しているのか?
或いは現地の意見を本部は、本部の意向を現地は理解しているのか?
また、現地と本部の人間関係はどうなっているのか?

そんなことが、今回の東日本大震災で我々が実際に体験したことと併せて考えさせられる。

何かをしようというとき、目的や目標、或いは手段や理論ではなくて「人との関係」であることが、この本を読んでそして私の実体験から思うのだ。

そういう意味では乃木は人間関係を築くのが下手だった。
児玉源太郎はうまかった。
そんな風に思うのである。

そして、人間関係が下手だったからダメな人というのは違うと思う。

乃木は立派だった、と思うのである。

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