読む前は、本の題名といい、著者の名前といい、ふざけたカンジ、他人を茶化すようなものなんだろうなあ、と思っていた。
それはそれでいいかな、と。腹が立ったら途中で止めればいいと思っていた。
内容は、裁判を傍聴して感じたことを書いているだけ、なのである。
裁判は主に「罪」を犯したとされる人が「罰」をどのように受けるか、ということであったり、何かの「権利」について争っているので、その攻防はある意味死活問題である。
人の死活問題を傍聴していることは「不謹慎」と思われがちであるが、傍聴が許されるということは、裁判というものの本質を我々日本人がよく理解していないことなのではないか。
もっとも著者はそんなことなど考えず、「おもしろい」から裁判を傍聴する。おもしろい、というのは人に興味があるから面白いのである。
人とは何なんだろう?
という思いが裁判を傍聴していて著者が感じたことなんだろうと思う。
「死刑」の宣告を目の当たりにして、死、について考える。
交通裁判を傍聴して、絶対飲酒運転なんかしないぞ、と誓う。
ヤクザの裁判を傍聴して、映画の1シーンのような場面にであう。
離婚裁判で、「愛情」とか「信頼感」とか目に見えないものが夫婦をつないでいるのかと思う。
どうしようもない被告にがっかりしたり、かわいそうな被告に同情したり
著者は裁判を傍聴してイロイロ考えるのである。
この本を読むと裁判を傍聴したくなる、のである。
ただし、傍聴してすべてが「おもしろい」わけではなく、面白い裁判に出会うにはそれなりに大変らしい。
それにしても、日本には多くの事件が起きているんだなあ。
そして、我々がまったく知らないところで裁判で人が喜び人が傷つき闘っているということに、なんだか感動したりするのである。
なんだか「続編」を期待したりするのである。
それはそれでいいかな、と。腹が立ったら途中で止めればいいと思っていた。
内容は、裁判を傍聴して感じたことを書いているだけ、なのである。
裁判は主に「罪」を犯したとされる人が「罰」をどのように受けるか、ということであったり、何かの「権利」について争っているので、その攻防はある意味死活問題である。
人の死活問題を傍聴していることは「不謹慎」と思われがちであるが、傍聴が許されるということは、裁判というものの本質を我々日本人がよく理解していないことなのではないか。
もっとも著者はそんなことなど考えず、「おもしろい」から裁判を傍聴する。おもしろい、というのは人に興味があるから面白いのである。
人とは何なんだろう?
という思いが裁判を傍聴していて著者が感じたことなんだろうと思う。
「死刑」の宣告を目の当たりにして、死、について考える。
交通裁判を傍聴して、絶対飲酒運転なんかしないぞ、と誓う。
ヤクザの裁判を傍聴して、映画の1シーンのような場面にであう。
離婚裁判で、「愛情」とか「信頼感」とか目に見えないものが夫婦をつないでいるのかと思う。
どうしようもない被告にがっかりしたり、かわいそうな被告に同情したり
著者は裁判を傍聴してイロイロ考えるのである。
この本を読むと裁判を傍聴したくなる、のである。
ただし、傍聴してすべてが「おもしろい」わけではなく、面白い裁判に出会うにはそれなりに大変らしい。
それにしても、日本には多くの事件が起きているんだなあ。
そして、我々がまったく知らないところで裁判で人が喜び人が傷つき闘っているということに、なんだか感動したりするのである。
なんだか「続編」を期待したりするのである。
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