河内町岳の『峠の茶屋』から河内方面へと少し下ると、小さな平山橋を挟んだ左手に岩戸の里公園と書かれた大きな看板が見えてくる。
※バス停-岩戸観音入口付近
そして、その平山橋を渡り岩戸の里公園へと向かうと、その先を下った所に1336年 ~ 392年にかけての南北朝時代に寧波より渡来した元の禅僧・東陵永璵により建立されたと伝えられる曹洞宗の雲巌禅寺がある。
そして、この脇から拝観料を支払い中へと進むと雲巌禅寺に縁のある品々が・・・
と、言うことで、剣聖・宮本武蔵が巌流島で使用た(?)と言われる四尺二寸の木剣や武蔵筆の掛け軸(写し?)が展示されている。
ちなみに左から枯木鳴鵙図・宮本武蔵肖像・蘆葉達磨図。
で、ここからはコンクリートで舗装されてはいるものの薄暗い道を進むと右手の斜面に五百羅漢が見えてくる。
この五百羅漢は今から200年ほど前に熊本の商人であった渕田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納した羅漢像と云われています。
さて、ここから先が目的とする場所です。
自然の地形を削っただけの起伏の激しい狭い道となり、これを上り下りしながら先へと進むと、視界が開けて、その坂道を下ると右手上に霊巌洞の祠が見えてくる。
早速、霊巌洞へと向かう石段を登ると、そこには禅を組む石であろうか?大きな石があり、その前には馬頭観音が祀られている。
そして・・・
その昔、晩年の宮本武蔵は、この雲巌禅寺の霊巌洞に籠り世界的にも有名な兵法書「五輪書」を書き記している。
いやぁ・・・
先の記事でも触れていましたが、細かい事を全て書いていたら限がない。
だから、『その一部だけを・・・』だったんですぅ。
と、言うことで長々となりましたが、最後までお付き合いを頂きありがとうございました。