錯乱坊の彷徨える日々

フィールドでの出会いに癒しを求めて…

雲巌禅寺へ・・・

2017年09月19日 | 放浪雑記

河内町岳の『峠の茶屋』から河内方面へと少し下ると、小さな平山橋を挟んだ左手に岩戸の里公園と書かれた大きな看板が見えてくる。
※バス停-岩戸観音入口付近
そして、その平山橋を渡り岩戸の里公園へと向かうと、その先を下った所に1336年 ~ 392年にかけての南北朝時代に寧波より渡来した元の禅僧・東陵永璵により建立されたと伝えられる曹洞宗の雲巌禅寺がある。


そして、この脇から拝観料を支払い中へと進むと雲巌禅寺に縁のある品々が・・・
と、言うことで、剣聖・宮本武蔵が巌流島で使用た(?)と言われる四尺二寸の木剣や武蔵筆の掛け軸(写し?)が展示されている。
ちなみに左から枯木鳴鵙図・宮本武蔵肖像・蘆葉達磨図。


で、ここからはコンクリートで舗装されてはいるものの薄暗い道を進むと右手の斜面に五百羅漢が見えてくる。


この五百羅漢は今から200年ほど前に熊本の商人であった渕田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納した羅漢像と云われています。


さて、ここから先が目的とする場所です。
自然の地形を削っただけの起伏の激しい狭い道となり、これを上り下りしながら先へと進むと、視界が開けて、その坂道を下ると右手上に霊巌洞の祠が見えてくる。


早速、霊巌洞へと向かう石段を登ると、そこには禅を組む石であろうか?大きな石があり、その前には馬頭観音が祀られている。
そして・・・
その昔、晩年の宮本武蔵は、この雲巌禅寺の霊巌洞に籠り世界的にも有名な兵法書「五輪書」を書き記している。

いやぁ・・・
先の記事でも触れていましたが、細かい事を全て書いていたら限がない。
だから、『その一部だけを・・・』だったんですぅ。
と、言うことで長々となりましたが、最後までお付き合いを頂きありがとうございました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋を求めて一ノ岳(金峰山)へ・・・

2017年09月19日 | 放浪雑記
昨日は台風一過の青空が広がったことから、秋を求めて熊本市の西側に位置する一ノ岳(金峰山と言った方が通りが良いかな?)へと出かけてきました。
しかーし、〇〇へ行って・・・、〇〇をして・・・ なーんて、細かい事を全て書き込んでいたら限がないので、ここでは、その一部を・・・


では早速ですが、お昼頃に熊本県熊本市西区に位置する標高665mの金峰山山頂へと向かうも、下山する頃になと腹も減る。
そこで、草枕(夏目漱石著)の中で“お-い!と呼んだが 返事がない”で有名な河内町岳の“峠の茶屋”で腹ごしらえです。


で、Cherryが注文したのは熊本県民に親しまれている“だご汁“に焼き魚定食。
そして、この『峠の茶屋』は茶屋と言っても漱石が訪ねた茶屋とは全くの別物。


ならば、この茶屋の上にある資料館が、それかと言えば、これもまた別物。
良く、漱石が訪ねた茶屋を移設されたものと言うが、実際は夏目に縁のない建物を移設したもの・・・
とは言っいても、昔は、この峠付近には幾つかの茶屋があり道路の改修などでコースが変更されると、その度に茶屋も移転していたようで、現に、このCherryが子供の頃と比べると、今の峠付近は道路改修に伴い当時の面影が全く失われてしまった。
ならば、草枕の中で“お-い!と呼んだが 返事がない”という漱石が訪ねた茶屋は何処なのよ?と言われそうなので・・・


その茶屋はと言うと・・・
ここです。
ご覧のように、今では木々に枝葉に覆われた薄暗い茶屋の跡地となっています。


そして、この更地に当時から残るものと言えば、ここ写る井戸くらい。
と、言うことで・・・
ここを訪れた漱石は、この井戸の水を使った茶を飲んでいたのかもしれない。

まぁ、この茶屋の話は、これくらいにして・・・

次は、あの剣豪、宮本武蔵にゆかりの雲巌禅寺と続くのであった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする