小説の題名みたいですが、最近このお話が出てきています
現実からの逃げでもなんでもなく、仏教のお勉強がしたい、という思いが深い方ですね。
在家でも勉強ができるのですがやはり女性は家にいるとあれこれと動き回らなければならない存在。
男性のように(ちゃんと協力してくださるご主人もおられますが少数で・・)座って居られないのでお勉強もままならない。
でも・・出家は超~~難しいですよ。
まして尼寺の関門はとっても大変。
・・と家族さんと縁を切れますか?です。
もう身内も誰もいない・・と言われても、お寺とのご縁が無ければとっても難しいです。
ただ、こつこつと仏教のお勉強はできます
なぜ仏教のお勉強なのか?
・・きっと心が呼ばれているのでしょうね。もちろん前世の関係もありますし。
やり残したことを今やりたくなったという“目覚め”も。
ただ先日お話していた女性が
「友達の女性が結婚して、子供を産んで・・でも尼さんになりたくて、子供のことを後回しにしていたら結局子供が大変なことになって手が離れるはずなのにできなくなったということがあって、やっぱり今世の役目を果たさないとダメなのね。その役目が終わったらもしかして年をとってからお寺とのご縁が深くなると思うし、実際年を取ってからお寺に入った人もいるし」というお話を聞かせてくださいました。
やるべき事の順番があるのでしょうね。
ふるらんは○○才まではとにかく使命を、その後は天にお任せすると思っていました。
そしてその○○才が近づいてきています(早っ)
そして圧倒的に足りない「神様貯金」
ちょこっと積んだつもりでもたった一つの行動や思考で吹き飛ばしている心境を毎日過ごしている感じです。
だって・・・仏様は私の心を見透かしていると思うので
ほんの数秒心に思った「間違った考え」や「感じ方」も
もっとたくさんの人に教えを頂こう。
もちろん大人の考えや智恵、そして子供の純真さまで。