この身が朽ち果てても想いは残る。
それはとても性格が良い人でも自分の胸に残した思いやあの世へ旅立つ時に辛かったか“その時に残っている一番深い情念”が左右すると言われています。
極端な言い方をすると
「あの世に行きます、の時の寸前に思っていた苦しみかもね」と言われた方もいらっしゃいました。
あのですね。
亡くなって「やっと楽になれたね」は一部分だそうです。
自分で消化できる人ぐらいだそうで、ほとんどの人はあの世へ行っても
「痛い痛い」とか、「わかってくれ」と続いているそうです。
それだけあの世へ行くときは辛い。
一瞬で命が失った人はまた違う思いがあるそうです。
友達も私も含めて「痛くなくあの世へ」と思うのが大部分の願いですものね。
でしょうね・・
「なぜ自分なんだ」と理解もできないですし、したくもないでしょうし。
それが人間ですし、愛があれば有るほどこの世の未練は辛いですし、
現実を受け入れがたしですし。
そしてその想いが深いほど・・まだずっとお家に残るようです。
「子供が誰かと話しているようでして・・たぶん父だと思います」
状態を聞きました。
息子さんがずっと壁に向かって話しているそうです。
そして
「痛いって言ってるよ」と言ってくるのはいいのですが、「助けてあげないの?」とまで言われると、というお話でした。
おじいちゃん、納得とかできない人みたいでして。
この調子ですと、息子さんが他のところへ行ってもおじいちゃんにいろいろ言われても。
おじいちゃん、生前の行いもあまり・・・でしたが、あの世でも人まかせと寄りすがり?
「困りましたね」と言うと
「そうなんです。周りからも言われるようになると」
あの世では肉体がない。
だから唯一の方法の「徳積み」ができない。
生きている人達が手を合わせこの世から応援するしかない。
おじちゃん、おばあちゃんと会話をしたらいいのに、不仲だからといってこっちにきてなぜ孫に面倒をかける?
不条理。
あの世へ行く時にその人の性格がでてこっちに容赦なく来る。
・・だからあっちでも苦労するのに。
お母さんから息子さんに言葉を伝えてもらい、それを実行してもらうのみ。
それとご家族さんでできることを勧めてもらいました。
じ~ちゃん・・こまった人ね。
でも仕方ないのよ。
成仏するってなかなかできないし、この世の行い次第、と聞いているし。
さて、じ~ちゃん。
行き先を変えてもらうしかないし。
しばらくしてご連絡を頂きまして、お子さんもまったく言わなくなったそうで。
ええ、あっちとつながらなければなんのことはないので。
ただ守りをしっかりしてもらわないと。
じ~ちゃんは守りにはならないので(意味深)
落ち着いてもらえればの一点のみ。
それにお盆も近いですし(苦笑)
お盆にしなければならないことは守ってもらいたいですし。
私もまだ完了していないこともありますのでしなきゃ・・・
今日、郵便物を出すために近所のポストへ。
あら、ポストの前に子供を乗せたママチャリさんがある。
どうやら子供に郵便物を投函させているらしく・・
お母さんが私に
「待たせてすみません」と言いながら子供は可愛く不器用に投函している。
それを後ろから見ていて・・投函し終わった子供に
「おばちゃんのも入れてくれる?」と声をかけると私の方を振り返り、
私の顔を見て、それから郵便物を持って、
宛先を見て(3才ぐらいなのでわかる訳がないのですが)何か読み取ったらしく、難しい顔を一瞬して、元の顔に戻り、ニッと笑ってポストに投函してくれました。
ん、何の封筒(普段あまり送らない特殊な場所なので)わかったかな?とちょっと思いながら、
「ありがとうね~」と子供にご挨拶。
お母さんが私に
「ありがとうございました」と頭を下げられたので、
「こちらこそありがとうございました」と頭をさげてお別れしました。
母子の自転車の後ろ姿をみて
「この時期、ここもじ~ちゃんね」と思うのはきっと私ぐらいかな?と思うと少し笑える気持ちになったのは言うまでもありません。
愛する孫のそばに来るのは愛しい孫だからですものね。
ただ、孫にいろいろ頼んでも、こまったことを愚痴ってもだめよ。
まだ、この世に出てきてから数年の人に言うのは筋違いということも大人なのだからわかりなさいね(ちょっと強気でモノを言っているワタシ)。
・・と言える年齢になりました(苦笑)