日々いろいろな方と出会い、知らなかった世界がどんどん広がっているのを感じています
これを知りたいわ・・・と思ったらちゃんとそのことを知っている人と出会います。
そして自分が欲してないことなのに、出会い、そしてお話していると・・
「え~もしかしてこれってふるらんに必要なことよね」と思いながら聞いている時もあります。
そしてお話の途中で「ああ」と思った時に相手の方に
「今日は会ってくださってありがとうございます」と感謝の言葉を話させていただいています。
ああ・・・そうなのよ、そうなの。
気がついたわ、忘れていたこと
スーパーで買い物をしていたら、急に冷蔵庫の中の画像が出てきて
「あ、あれがあったわ」ぐらいのポン状態。(女子ならありますよね?)
昨日もスピリチュアルのお仕事とは関係ないのですが60代の女性と話していて、あ~この人に言わなきゃならないことがあるとポンと思いまして、それでお話すると
「いいこと聞いたわ。そういう手があったのね」と言われて喜ばれました。
話していて思ったのですが、やはりこの女性の方にも前世でお世話になっている、と思っていました。
ここ数ヶ月は確実に中国の前世でふるらんが一般の普通~の生活から少しずつ人生の出会いが変わり、経験してきた世界がとっても様々に持っている人達がたくさんいる街にスライドしていく“あの頃”が再現されて経験しています。
前世がたくさんあって・・・そのうちの一つの舞台が中国。
ただ今の現実は日本、そして名前が変わっているだけです
起きている現象が前(世)と同じ。
たぶん・・こうなるな、と思ったらそうなるのが面白い(・・と言っては変な言い方かもしれませんが)
それで前世通りにならないで・・違う方向に行ったときに
「ああ、わたしは今世で違う道を歩き始めたんだわ。前と同じ答えにはならない道を選んだのね」と心に静かに広がる感じを受け止めています。
ちなみに前世は5~6回、とか、○教によっては前世など無いという諸説ありますので、諸説の考え方のどれがどうの、ということは考えておりません。
全員が全員同じ回数だとは思っていませんし、人によっては中有(あの世とこの世の間)に居て、行き来をされている人もおりますし、何百回も生まれ変わっても記憶が消えている場合もあると思っています。
ふるらんはこの年齢になるとおとといの晩ご飯は?と聞かれると、答えられなくなっている自分がいますから前世の数なんて・・と苦笑いです
確実に加齢も重なっています
おとといの晩ご飯のおかずを覚えていませんのできっと何回目かの前世なんて覚えていません
ただ記憶に深く残っているものだけが覚えているのだと思います。
この世で一番古い記憶が・・一度目を開けたときに目の前にたくさんの血管が走っていたこと。
生まれてきて最初に聞こえてきたのが母親が何かを看護師さんに言っていたこと。
生まれてきてすぐお母さんのお腹に乗っけてくれるのですがその記憶はなし。
あるのはまっすぐベッドに寝かされたこと。
・・・の後の記憶は・・目を開けたら上に神棚が見えて、そこに半紙にお習字で名前が貼ってあったこと。
・・・記憶・・・
大切な事だけ、幸せなことだけ覚えていたいですね
ふるらんの中国で覚えている前世の一つ。
今動いているのは・・宗教は全く違いますが、思想、方向性が一緒であり、大切な事で一緒に感動できることですし、互いの情報が必要であることを確信している人達と出会えます。
共に同じ場所で経験を積んだ人達と考えの違うことで離れた人もいますが今世で急接近で仲良くなりました。良い意味で意見交換がはっきり出来ますので自分の良くない部分を反省できることもあります。
前世と同じであれば、出会いと別離は当然前世と同じタイミングで起きるということもあります。でも前世で別れた人達と今世で「相手との違いを認める」を大切にした場合、関係が変わっているいることもあります。
そして今の配偶者、恋人、友人関係で自分の考えが変わることがあります。
好きですからね、嫌われないように自分の思考を変えてしまい自分の心に嘘をつかなければならない場合もありますしね。
でも前世と同じ人とすべて完璧に時間が流れているわけではないですし、時代が違いますから、その時間の流れが微妙にずれて・・ですね。
春が来ているのです
人が動きます。
いろいろな人が(意味深)
ですから注意しなければならないことがあります。
ほんの少し脇を締めて、足のあげ方に注意して歩くように言われているのでそうしています。
行く先々の土地の勉強もしています。
大阪のパワーの凄さも慣れました。
チューリップが咲いています
桜の芽も少し膨らんできています
あのころは・・庭に綺麗なお花がたくさんありました。
結構華やかなお花でした。
服装も軽く、そして柔らかい女性的な笑い声で中庭に明るさが響いていました。
着物の袖の中に手を入れて、見えないようにして、静かに立ち、中庭から空を見ながら切り取られた一部分の青さを“美しい”と思う心と昔の自分が見ていた無制限の空の青さを比べながら、得られたモノと失われたものを比べる心が沸いてきたとき、
「今、必要なものを学んでいるのよ、ワタシ」と言い聞かせている自分を思い出しているふるらんでした。
(今世でみんな整理して終わらせたい、でも今世だけでは間に合わないわ、というのが確実よね)