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尾張名古屋は城でもつ~それでもやっぱり食欲の秋!・・・ 

2010-10-31 | 小さな旅の思い出
  

10月10日の晴れた日曜日 名古屋城に行って来ました。



 名古屋城は関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が
慶長14年(1609)江戸幕府の東海道の要所として
また 大坂(現大阪)方への備えとして 清須から名古屋へ遷府を決定し
加藤清正・福島正則・前田利光等北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ
天守閣や諸櫓の作事(建築工事)は、慶長17年(1612)にほぼ完成した代表的な平城です。

その後、明治維新をむかえるまで名古屋城は、徳川御三家の筆頭尾張家の居城として栄えました。
第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿はじめ
建物のほとんどを焼失しましたが、幸いにも焼失をまぬがれた三つの櫓(西北・西南・東南)
三つの門(表二之門、旧二之丸東二之門、二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は
重要文化財として現在に伝えられています。
 …wikipediaより…


【お堀の鹿】                        【角~!】

内堀には鹿が飼われいています。
元は昭和27年東山動物園から3頭の鹿を譲り受けたものが
一時期は自然繁殖により40頭以上にまで増えたそうです。
そういえば子供の頃 この鹿を見に来た記憶があります。
この日目にしたのは3頭。
角の生え変わる時期で 取れた角が落ちていました。


10月9、10、11日の三日間に開催された名古屋大茶会で姪がお手前を披露するというのでやってきたのです。
二の丸広場の広大な芝生庭園には 各流派に所属する多くの団体の野点が行われていました。

   
【お菓子】菓匠「花桔梗」謹製 お抹茶は 妙香園の「葵の白」(名古屋大茶会特別仕様)でした。

あの活発な姪がおしとやかにお茶をたててくれる姿に吃驚!!(笑)
若いと覚えも早いのですね。
「結構なお手前でございました。」
まだ初めて二年なのに 無駄の無い所作に驚きでした。
(残念ながら 姪の写真は本人の許可が下りず断念いたしました。~)

美味しいお茶とお菓子を頂いた後は 名古屋城見学をしてきました。



そういえば しょっちゅうやって来る名古屋ですが まだ一度も名古屋城を見学したことがありませんでした。
いつでもいけるという思いと
鉄筋コンクリートのお城?エレベーターで上がる天守閣?なんて 風情が無いでしょう。
そう思っていたのです。

しかしながら 忠実に再現することに拘ったという天守閣は 間近で見るとそれは圧巻でした。
「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」と詠われたのが頷けます。


【天守閣より名古屋駅方面の眺め】

天守閣からの眺めは まさに殿様気分です♪

   
天守閣の内部は 博物館になっています。



かつて名古屋城の本丸には 天守閣の南側に本丸御殿がありました。
この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と言われ国宝に指定されていた建物で
現在、国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と言われていたそうです。

勇壮な天守閣と優美な御殿が並び建つことで 名古屋城は城郭建築としての風格を形成しており
1930年(昭和5年)に国宝に指定されました。
しかしながら1945年(昭和20年)5月 空襲により天守閣 本丸御殿ともに焼失してしまったのでした。

そして現在 その本丸御殿の復元工事が行われています。

総工費150億円
建築工事 110億
建築面積 1000坪 建築坪単価 1100万/坪
直接工事期間 10年
壁画模写開始から 25年というビッグプロジェクトです。


建築に用いられる木材は、尾張藩の御用材だった「木曽ヒノキ」を使用
御殿に用いられる障壁画の復元については、当時の絵師が使っていた素材や技法を用いるため
顕微鏡やコンピュータ、資料などで研究・分析。ミクロ単位の観察をもとに緻密な作業が行われるという
最新の技術も活用されているそうです。


    
【本丸御殿】

大きな体育館のような鉄骨の建物の中で 着々と工事が進められていました。
使用されている木材は 木曽檜(ヒノキ)をはじめとして 杉・松・栗・桑。

何故 説明にこんなに力が入ってしまうかと言えば この木曽ヒノキは
我が市から切り出された樹齢400年の檜だからなのです。

復元工事の見どころはこちら




清正公石曳きの像】

この名古屋城築城の際に活躍したと伝えられる加藤清正の像もありました。

この工事の際 着飾った小姓たちを引き連れ見物人には酒を振舞い 
威勢のよい掛け声を上げたといわれる清正は たった3ヶ月で天主台を
完成させ熊本へと帰っていったと伝えられています。
人夫には賃金を支払い 工事は農閑期にさせ 現代でも通用する土木の技術を駆使したという清正。
とても興味深い人物です。



この期間 特別公開されている二つの建物も見学してきました。

   【乃木倉庫】    
名古屋城内御深井丸には 乃木倉庫と呼ばれる煉瓦造り漆喰塗りの平屋建ての倉庫が残っています。
名称の由来は、陸軍少佐・乃木希典からとされていますが本当のところはわかっていません。
ただこの時代にこの地に赴任していたのは 確かなようです。

入口上部や床下にアーチ構造がみられるほか 建物の角は色漆喰で石積風に造られています。
また、入口扉には銅板が張られています。

第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)名古屋空襲により天守閣、本丸御殿等は焼失してしまいましたが
この倉庫に非難してあった障壁画は今も残っています。


【西北櫓(重要文化財)】

清須櫓ともいわれ、他の建物の古材を転用して建築されています。
櫓とは、物見のほか、防戦、食糧・武器貯蔵などを目的に、城地の四隅の石垣に建てられたものです。

一説には 清洲城から移した小天守閣とも言われているそうですが
それを裏付ける記録は何も残っていないのだそうです。

この櫓の最上階からは 清洲城のあった方面がよく見渡せます。



【西北櫓より名古屋城天守閣を見上げて】



ちょっとした歴史の勉強をした後は すっかりお腹も空いてしまって・・・

名古屋能楽堂にあるレストランでお昼を頂くことにしました。


【能面かけ体験】

公演の無いこの日でも 内部を見学することができます。
衣装や道具の展示場もあります。

般若の能面を被ってみることも出来ます。
・・・・ちなみに写真は能面を被っておりますが なにか?・・・

  
【能楽堂:レストランにて】

名古屋名物きしめんの中に 金のしゃちほこのかまぼことは!

   
【マリオット・アソシアホテル:ティールームにて】

盛りだくさんな一日の〆は こちらのティールームにてキャラメルボワールパフェで「食欲の秋」を満喫いたしました♪


最後までお付き合いくださってありがとうございました。