【中山道 妻籠宿 200年続く旅籠;松代屋】
赤沢自然休養林の紅葉を楽しんだ後 こんなところに立ち寄りました。
【木曽八景:小野の滝】
国道19号線のすぐ脇にある滝です。
何度と無く通っている場所なのですが
初めて車を停めて 写真を撮って来ました。
【中仙道六十九次 上松】 左上の氷柱の様に描かれて いるのが「小野の滝です。 大胆な構図と表現方法には 驚かされますね。 | 広重・英泉の合作である中山道六十九次の 浮世絵に描かれている上松は この小野の滝の絵です。 かつてここを旅した戦国時代の武将で 歌人でもあった細川幽斉は「老の木曽越」 のなかで「木曽路の小野の滝は 布引や 箕面の滝にも をさをさおとらじ これほどの物をこの国の歌枕に とは いかにもらしける」と手放しで 誉めています。 また長野県歌「信濃の国」の作詞者として 有名な詩人浅井洌は この地を訪れて ふきおろす 桧の嵐も音たえて あたりすずしき小野のたきつせ と歌を詠んでいます。 ~観光案内板より~ |
それなのに・・・ な~んと明治42年には この真上に 鉄道が開通したのです。 そしてこの後 すぐ前に国道が走る ことになりました。 木曽川沿いに山が迫っているこの地では 他に線路を走らせる場所がなかったのでしょう。 | |
木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり
あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて
二十二里余に亙る長い渓谷の間に散在していた。
道路の位置も幾度か改まったもので、古道はいつの間にか深い山間に埋もれた。
名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危ない場処ではなくなって
徳川時代の末には既に渡ることの出来る橋であった。
~島崎藤村 『夜明け前』より~
このすぐ近くに 江戸の町並みの姿をそのまま残す妻籠宿があります。
妻籠宿は 中山道42番目の宿場であり 蘭川(あららぎがわ)東岸に位置しています。
文明開化を経て中央本線が敷かれることになり 国道が走り
開発の波によって昔の面影をなくしていく宿場町が多い中
妻籠から馬籠にかけての部分はその交通ルートから離れてしまったため
「山の中に置き去りにされた」形になりました。
しかし それが幸いして 今も当時の姿を残す観光地として賑わいを見せることになりました。
【妻籠宿:旅籠いこまや】
経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中
いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され
1976年 国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれたのです。
【妻籠宿の中にある現役の郵便局】
【脇本陣:奥谷1877年の建築】
歴史資料館・妻籠宿本陣を併せた南木曽帳町博物館にある妻籠宿の脇本陣です。
庄屋・問屋を代々務めた林家の旧宅を資料館として公開されています。
それまで「木一本 首ひとつ 枝一本 腕ひとつ」として
自分の山でありながら 幕府の管轄下に置かれ 切り出すことの出来なかった木曽桧。
明治の世になり 漸く自分の山の木を使って家を建てることができるようになりました。
それまでの鬱憤を晴らすかのように 御禁制だった木曽桧がふんだんに使われた建物になっています。
今建築中の名古屋城本丸御殿の高さが12mであるのに対し この奥屋は13mの高さがあるのです。
そしてこの家は 藤村の初恋の人で後に林家に嫁いだおゆふさんの嫁ぎ先でもあります。
座敷の鴨居に掛けられた額には おゆふさんが70歳のときに 藤村先生から贈られたという
「うてや鼓」の書が掲げられています。
この書を贈った数ヵ月後に藤村先生は亡くなられ
最後の直筆の書とされているそうです。
| うてや鼓 島崎藤村 うてや鼓の春の音 雪にうもるる冬の日の かなしき夢はとざされて 世は春の日とかはりけり ひけば濃染の春霧 かすみの幕をひきとぢて 花と花とをぬふ糸は けさもえいてし春柳 霞の幕をひきあけて 春をうかがふこと勿れ 花咲き匂ふ陰をこそ 春の臺といふべけれ 小蝶よ花にたわむれて 優しき夢をみては舞ひ 酔ふて羽袖もひらひらと はるの姿をまひねかし のはねのうぐひすよ 梅の花笠ぬひそへて ゆめ静かなるはるの日の 調を高く歌へかし |
鉄道や主要幹線道路から外れてしまったことが 今になって有難いことになるとは
誰も思わなかったことでしょう。
ところで これは何だと思います?
【目玉親父が並んでいるよう・・・】 【割ってみると 中からご飯が!?】
旦那様が子供の頃よく食べたというお饅頭です。
急にまた食べたくなったというので 妻籠宿から近いJR南木曽の駅前にあるお店に寄ってみました。
小豆餡(あん)の代わりにほんのり甘い赤飯が入った『赤飯饅頭』です。
素朴な味で お菓子というよりパンのような感覚で食べられる不思議なお饅頭です。
長野ではお祝いのときに食べられるお饅頭として ポピュラーなものなのだそうです。
最後までお付き合いくださって ありがとうございました。