つい先日年が明けたかと思ったのも束の間
今日からはなんと2月です。
またまた今日も、おのぼりさんの旅におつきあいくださいませ。
「運転手さん!皇居までお願いできます?
二重橋に一番近い場所で降ろして欲しいんですけど。」
三連休の中日でもあり、道路はとても空いていました。
運転手さんと話しているうちに、20分足らずで皇居に到着しました。
「ここをまっすぐ行けば二重橋ですから・・・・」
「二重橋は奥ですから・・・その奥ですから・・・」
・・・・もう、見えてますからわかってますよ~!・・・・
いよいよ(母の)念願の場所での記念撮影です!(笑)
なんとか写真は撮れたものの、あまりの広さに
もう歩けないらしい・・・(ため息)
こんなに広いとは思っていなかったとか。
すごいねぇ~! さすがやね~! としきりに申しておりました。
東御苑の見学は諦め、今回も大活躍のステッキチェアーで暫し休憩をとりました。
【皇居正門】
皇居とは、江戸城のあった場所。
徳川家康が太田道灌に造らせたお城です。
道灌は風水学に則ってこの地を選んだと言われています。
鬼門には上野寛永寺を建立し
裏鬼門には芝の増上寺を建立したと伝えられています。
それゆえ東京の中での一番のパワースポット
すべての気(生気)がここに集まる地形となっているのだそうです。
ここでちょっと思いついたことが・・・
上野方面といえばスカイツリーがあり
芝といえば東京タワーがあるではありませんか。
これらも鬼門封じになっているのでしょうか!
そのせいなのかどうなのかわかりませんが、暫く休んだ母はすっかり元気を取り戻ました。
【辰巳櫓】
途中、天皇陛下のご成婚を記念して造られたという和田倉噴水公園にある
レストランでランチをとり
丸ビルで休憩しながら、最後の目的地まで歩くことが出来たのでした。(やれやれ・・・)
ここで、最後の目的地を前に
帰ってからのお話を少し・・・・
旅行案内書を読んでいたら、なんとここが→
二重橋ではないことが判明!!
検索してみると
皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と
鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。
「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。
正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など
特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。
使用される時は皇居前広場〜正門石橋〜正門〜正門鉄橋〜宮殿というルートをたどる。
奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。
そこから、「二重橋」と呼ばれるようになった。
現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。
手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。
二重アーチ構造であることから、 「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。
「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは正確な解釈ではない。
また、手前の石橋を言う場合もあるが前述のとおり誤りである。~whikipedhiaより~
とあるではありませんか!!
知らなかった!!!
慌てて、撮ってきた写真を見直してみると
ありました!
【二重橋】
これが本当の二重橋なのだそうです。
道理で、運転手さんが「奥ですから!奥ですから!」と
繰り返して叫んでいた意味が解りました。
・・・もう、そうならそうとちゃんと言ってくださいませ!・・・
ちゃんと記念撮影もしておりました。(笑)
・・・・めでたしめでたし♪・・・・
この記念撮影にはまだ後日談があるのですが
それはまた、後日ということで・・・