【百日紅の花と大黒屋~馬籠宿にて】
先日、久しぶりに馬籠宿に行って来ました。
馬籠とは、中山道の69宿のうち43番目の宿場町として栄えた所です。
妻籠とともに古い町並みが保存されています。
この馬籠は文豪『島崎藤村』の故郷であり、本陣であった生家には
藤村記念館が建っています。
この情景は、当時8,9歳だった藤村の想い出を詩に認めたものとされています。
この時代の女の子は10歳くらいになると、それまでおかっぱだった髪を
桃割れに結うのがしきたりでした。
ずっと隣に住んでいた幼馴染の女の子が、ある日突然髪型が変わり
少女になった驚きと、美しい花の付いた髪飾りでもある
花櫛を挿した姿に大人の女性を見出し恋心を感じたのではないでしょうか。
そんな男の子の気持ちに気付きながらも、優しく接してくれた彼女への
感謝の気持ちも感じられます。
そんな勝手な解釈をしてみました。
【記念館の入り口に並べられた藤村の作品たち】
その後間もなく上京した藤村にとって、故郷の甘く美しい想い出として
ずっと心の中に留まり続けたことでしょう。
この詩が刊行されるまでの17年もの間、心の中で温め続けていた想いなのでしょう。
【島崎藤村の勉強部屋のある離れ】
明治28年に生家は焼失し、この祖父母のための離れだけが残ったのだそうです。
帰省した藤村は、ここであの『夜明け前』の構想も練っていたとされています。
ここからは、『夜明け前』にも登場するお寺や山々を眺めることが出来ます。
【裏庭の文学碑と立て札】
誰でもが太陽であり得る。
わたし達の急務は、ただただ目の前の太陽を
おひかけることではなくて
自分等の内に高く太陽を掲げることだ。
随筆集『春を待ちつつ』所収太陽の言葉より
敷地内の彼方此方にある立て札や文学碑には、藤村の小説のモデルになった風景と共に
作品の一部分がかかれています。
ところで、初恋の想い出とは誰でもそっと胸に秘めておきたいものです。
それが誰であったかが、こんなに有名になってしまったおゆふさんの
心中はいかばかりであったかを知ってみたくなりました。
誇らしい思いだったのでしょうか、それとも恋多き藤村に
呆れていたかもしれません。
今では知る由もありませんが
このおゆうさんの嫁ぎ先のすぐ近所に住んでいた義母は
彼女にとても可愛がられていたそうです。
私が結婚したばかりの頃、その母である今は亡き義祖母は
藤村先生や、おゆうさんの話をよく聞かせてくれました。
もっとたくさんの話を聞いておけばよかったと
今になって後悔しています。
こんなことを思いながら歩いた馬籠で
郷土の生んだ偉大な文豪『島崎藤村』という人が
今更ながら、急に身近な人に思えてきたのでした。
いつの頃に植えられたのか
中庭の林檎の木に薄紅の秋の実が実っていました。
最後までお付き合いありがとうございました!
先日、久しぶりに馬籠宿に行って来ました。
馬籠とは、中山道の69宿のうち43番目の宿場町として栄えた所です。
妻籠とともに古い町並みが保存されています。
この馬籠は文豪『島崎藤村』の故郷であり、本陣であった生家には
藤村記念館が建っています。
【大黒屋】 街道時代には造り酒屋だった店も 今は民芸店とお洒落な茶房になっています。 【大黒屋】 | 藤村記念館の中庭からは、藤村の詩『初恋』の モデルとなったおゆふさんの生家 『大黒屋』の屋根が見えます。 『初恋』~若菜集より~ まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたえしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな 林檎畠の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみとぞ 問ひたまふこそこいしけれ 明治5年にここで生まれた藤村は、明治14年 遊学のため上京します。 (遊学!…なんて 優雅な言葉でしょう!} 明治学院大学卒業後、教師をしていた彼は 明治30年に第一詩集『若菜集』を刊行します。 『初恋』はその『若菜集』に載せられたものです。 |
この情景は、当時8,9歳だった藤村の想い出を詩に認めたものとされています。
この時代の女の子は10歳くらいになると、それまでおかっぱだった髪を
桃割れに結うのがしきたりでした。
ずっと隣に住んでいた幼馴染の女の子が、ある日突然髪型が変わり
少女になった驚きと、美しい花の付いた髪飾りでもある
花櫛を挿した姿に大人の女性を見出し恋心を感じたのではないでしょうか。
そんな男の子の気持ちに気付きながらも、優しく接してくれた彼女への
感謝の気持ちも感じられます。
そんな勝手な解釈をしてみました。
【記念館の入り口に並べられた藤村の作品たち】
その後間もなく上京した藤村にとって、故郷の甘く美しい想い出として
ずっと心の中に留まり続けたことでしょう。
この詩が刊行されるまでの17年もの間、心の中で温め続けていた想いなのでしょう。
【島崎藤村の勉強部屋のある離れ】
明治28年に生家は焼失し、この祖父母のための離れだけが残ったのだそうです。
帰省した藤村は、ここであの『夜明け前』の構想も練っていたとされています。
ここからは、『夜明け前』にも登場するお寺や山々を眺めることが出来ます。
【裏庭の文学碑と立て札】
誰でもが太陽であり得る。
わたし達の急務は、ただただ目の前の太陽を
おひかけることではなくて
自分等の内に高く太陽を掲げることだ。
随筆集『春を待ちつつ』所収太陽の言葉より
敷地内の彼方此方にある立て札や文学碑には、藤村の小説のモデルになった風景と共に
作品の一部分がかかれています。
【萩の花と石畳】 | 【街道として栄えた頃の衣装を来た人たち】 |
ところで、初恋の想い出とは誰でもそっと胸に秘めておきたいものです。
それが誰であったかが、こんなに有名になってしまったおゆふさんの
心中はいかばかりであったかを知ってみたくなりました。
誇らしい思いだったのでしょうか、それとも恋多き藤村に
呆れていたかもしれません。
今では知る由もありませんが
このおゆうさんの嫁ぎ先のすぐ近所に住んでいた義母は
彼女にとても可愛がられていたそうです。
私が結婚したばかりの頃、その母である今は亡き義祖母は
藤村先生や、おゆうさんの話をよく聞かせてくれました。
もっとたくさんの話を聞いておけばよかったと
今になって後悔しています。
こんなことを思いながら歩いた馬籠で
郷土の生んだ偉大な文豪『島崎藤村』という人が
今更ながら、急に身近な人に思えてきたのでした。
いつの頃に植えられたのか
中庭の林檎の木に薄紅の秋の実が実っていました。
最後までお付き合いありがとうございました!
こんばんは!
姥捨山から見た千曲川を思い出しました。
小諸の懐古園には、30年ほど前に訪ねたことがあります。
安曇野に行かれるときは、高速でひろってくださ~い!(笑)
秋の安曇野は一段と風情があっていいでしょうね。
こんにちは
島崎藤村と言えば・・「小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ・・緑なすは・・・」位しか知りません。
長野県は坂城(千曲川をまたぐ断層があります)安曇野のわさび農園と水車と北アルプス連峰の景観は最高ですね~
涼しくなったら直ぐにでも跳んで行きたいスポットですね~
今日もお蔭様でお利口になりました。ありがとう~笑
森鴎外とか、夏目漱石の方が馴染み深いと思います。
こういう詩の読まれた時代って、今のように慌しくなかったんでしょうね。
聴いていると、ほわっとした気持ちになります。
え~!私の初恋の話を覚えていらしたのですか?
あはは…恥ずかしいです
ハイジさんは、恋多き乙女だったのですね。
桑田さんに、高中さんに…マイケル!!
私も男性の恋は箇条書き、女性の恋は上書き保存という話を聞いたことがあります。
旨いこと言うなと感心しました。
女性の方が現実的なのかもしれませんね。
作品や生い立ちについては、あまり知りません。
pinkyさんのブログで、知識がまた一つ増えました。
詩の朗読を聞きながら、アップしてある写真を見ていると
この時代にタイムスリップしたような気になります!
ところで初恋ですが、たしかpinkyさんは、今でもたまに会う
「お兄さん」のような方が、初恋のお相手ではなかったですか?
私の初恋は・・・小学校の同級生だった、とも思うし
中学校での先輩だった、とも思うし・・・
あら!藤村に負けず、恋多き幼少時代だったのかしら???
ずい分前に聞いた事があるんですが、男性は、今までつき合った女性のことを
なかなか忘れる事ができず、ずるずると後に引きずったまま人生を送る。
女性は、新しい相手ができたら、それまでの気持ちは何処へやらで
全く新しい気持ちで、過去の事などさっさと忘れるそうです。
何となく、そうかもねぇ・・・と思います(笑
そうそう!あの舟○一○さんの歌ですね。
イメージ違いましたか?(笑)
桃割れを結った美人の叔母様!
素敵ですね。
やっぱり着物には日本髪がいいですね。
最近の盛り盛り頭には、どうも馴染めません。
ところで、有名な作家や詩人の人って
作品を生み出すためだったのか、自分の気持ちに
正直だったのかはわかりませんが、恋多き人が多いですね。
せめて聞いた話を書き留めておけばよかったと思っています。
ここにはとても書けない様なお話も、色々聞いたんですけどね・・・(汗)
情景がありありと思い浮かぶ素晴らしい詩ですよね。
義母はあまり多くを語りませんが、義祖母から
島崎藤村というひとの話
『夜明け前』の登場人物のモデルとなった人たちの話を聞かせてもらいました。
激動の歴史の生き証人のような人でした。
Ba-Chamaもこの詩を読んで、思い出と重なる部分があるんですね!
そうなんですよね~。
誰もがもっている初恋の思い出と重なるから
こんなにも長く人々の心に残っているんでしょうね。
子どもの頃から何度も訪ねた場所ですが、こんな風に
「初恋」をじっくり味わったことはありませんでした。
実は私も、「夜明け前」をまだ呼んだ事がありません。
何度も読み始めるのですが、途中で眠くなってしまいます。(笑)
古い文体で書かれているので、じっくり考えながら読まないといけないもので・・・と言い訳してみました~。
少なくとも、凡人(普通の人)ではなかったのでしょう。
幼い頃から彼の才能は際立っていたのでしょうね。
そして、鉄道からはずれた場所になり寂れていくところだった
宿場町は、彼のお蔭で今も観光客が途切れることがありません。
暗記したものです、
でも後になって某歌手が歌にして~
嫌だ~!!って(笑)
桃割れ…
実家に叔母が娘時代に初めて結った時の写真があります。
ちょっとおすましして写してる写真はかなりの美形(若い頃は子供が後について歩くくらい美人だったと近所のおっちゃんから聞いた事があります、もう亡くなってしまいましたが…)
お話沢山聞いておけばよかったね、
私は有名人の話は身近には無いなぁ~…
藤村、プレイボーイだったみないた印象があるけど、
どうなんでしょう???
(すみません、勉強不足で)
ま、文学者はみんな恋多き人生だったのかな?
こうして ひさしぶりに読み
うっとりなります。
お義母さま この女性をしってらっしゃるんですか
わ~~~
初恋は この年齢のことはおおいですよね
恋 というか
異性を意識した そんな 思い出は ありますね
恥ずかしながら島崎藤村は読んだことがないんです。
動画の『初恋』にはメロデイでもついているのかと思ったら、これがまた古文の語り!う~ん、畳の上にでも座してゆっくり味わいたいですね。
義母さまが、この初恋の相手さんに可愛がられたって!!~若菜集より~から飛び出してこられたんですね。すごいすごい。
この文豪もあっちこっちで女を泣かせていた口なんですか?昔はもてるには詩が読めて文が書けなければいけなかったんでしょうか。携帯しか書けない今の若者は失格ですね(笑)
「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり・・・・」
いやー、古典的プレイボーイはこんな語彙を持ってなきゃーいけないんですね(笑)
馬籠宿の写真とともに文学散歩ができました。