遠く霞んで見えるのは 映画「潮騒」の舞台となった神島~伊良湖岬にて~
先日、愛知県にある渥美半島に出掛けました。
10年近くの間、あるボランティア活動をご一緒させて頂いたお仲間との会でした。
お仲間と言っても、私が一番年下で
年長の方は母と変わらない年齢です。
たまたま出会った方々ですが、とても気が合い
集まるごとに笑い皺が増えてしまう様な気がしています。
そんな方たちと
「新鮮で美味しいお魚を食べに行きたいね~!」
との誰かの声に皆賛同!
早速、小型バスをチャーターしました。
家事を片付け、ゆっくり目に出掛けました。
途中寄った道の駅では、渥美半島名産のメロンを購入!
シーズンも終わり近く、数はあまりありませんでしたが
産地ならではの大きなマスクメロンが驚くほどお値打ちだったんです。
「お昼は大型バスが行かない地元の人が通うお店」を探していただきました。
その日港に上がった魚(12種)のお造りから始まり
大きな煮魚や焼き立ての大ハマグリ等々・・・
もう海無し県人は大喜びでした。
食事の後は、渥美半島の先端の伊良湖岬にある恋路ヶ浜に立ち寄りました。
ここ伊良湖岬は島崎藤村作詞、大中寅二作曲の「椰子の実」という唱歌でも知られています。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月・・・♪
明治34年、8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されています。
この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が
浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、
それを題材に藤村が詩にしたものなのだそうです。
藤村先生は私たちが住む市出身の文豪、なんだかとても身近な話に思えてきます。
昭和54年、北マリアナ諸島より放流した椰子の実が漂着したのだそうです。
そしてそれが事実なのか調べるために、昭和63年から
沖縄県石垣島から椰子の実の投流実験が始まりました。
毎年毎年繰り返されれ、14年目の2001年8月
初めて渥美半島の浜辺に石垣島の椰子の実が漂着したのだそうです。
それ以来椰子の実放流は毎年行われているそうです。
今ほど通信技術のない時代、南国から流れ着いた椰子の実は
ロマンそのものだったに違いありません。
恋路ヶ浜で思いきりロマンに浸った後は
再び、道の駅やらお魚広場に寄り
家に帰るころには持ちきれないほどの野菜やお魚でいっぱいになっていました。
あ~愉快なロマンの旅・・・いえグルメの旅でございました。
先日、愛知県にある渥美半島に出掛けました。
10年近くの間、あるボランティア活動をご一緒させて頂いたお仲間との会でした。
お仲間と言っても、私が一番年下で
年長の方は母と変わらない年齢です。
たまたま出会った方々ですが、とても気が合い
集まるごとに笑い皺が増えてしまう様な気がしています。
そんな方たちと
「新鮮で美味しいお魚を食べに行きたいね~!」
との誰かの声に皆賛同!
早速、小型バスをチャーターしました。
家事を片付け、ゆっくり目に出掛けました。
途中寄った道の駅では、渥美半島名産のメロンを購入!
シーズンも終わり近く、数はあまりありませんでしたが
産地ならではの大きなマスクメロンが驚くほどお値打ちだったんです。
「お昼は大型バスが行かない地元の人が通うお店」を探していただきました。
その日港に上がった魚(12種)のお造りから始まり
大きな煮魚や焼き立ての大ハマグリ等々・・・
もう海無し県人は大喜びでした。
食事の後は、渥美半島の先端の伊良湖岬にある恋路ヶ浜に立ち寄りました。
ここ伊良湖岬は島崎藤村作詞、大中寅二作曲の「椰子の実」という唱歌でも知られています。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月・・・♪
明治34年、8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されています。
この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が
浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、
それを題材に藤村が詩にしたものなのだそうです。
藤村先生は私たちが住む市出身の文豪、なんだかとても身近な話に思えてきます。
昭和54年、北マリアナ諸島より放流した椰子の実が漂着したのだそうです。
そしてそれが事実なのか調べるために、昭和63年から
沖縄県石垣島から椰子の実の投流実験が始まりました。
毎年毎年繰り返されれ、14年目の2001年8月
初めて渥美半島の浜辺に石垣島の椰子の実が漂着したのだそうです。
それ以来椰子の実放流は毎年行われているそうです。
今ほど通信技術のない時代、南国から流れ着いた椰子の実は
ロマンそのものだったに違いありません。
恋路ヶ浜で思いきりロマンに浸った後は
再び、道の駅やらお魚広場に寄り
家に帰るころには持ちきれないほどの野菜やお魚でいっぱいになっていました。
あ~愉快なロマンの旅・・・いえグルメの旅でございました。
おはようございます
今朝もポッリ々と秋雨が降り続いています。湿っぽい中に清々しい伊良湖岬の画像に嬉しい悲鳴です。
ありがとう。
私も伊良湖岬近辺は大好きなところです。伊良湖岬からは知多港、鳥羽港へカーフエリーが出航する便利さも最高です。
年に一度は安曇野と同じ足を運びたいところです。
素晴らしい親孝行をなさいましたね。
恋路ヶ浜の画像素敵です~。
椰子の実の話は聞いたことがありましたが
此処の浜とはイメージが結びついていませんでした。
お造りも新鮮で美味しそう!ハマグリも大きいですね。
14年目に確信が楽しいお話を有難う。
今日は一日湿っぽくてまるで台風がやって来たようでしたね。
こんなことも珍しいのではないでしょうか。
今夜は霧で外は真っ白のようです。
伊良湖には子供の頃、家族で行っていました。
高校生のときには友達とフェリーに乗って鳥羽への旅をしました。
いいところですよね~。
懐かしい場所でもあります。
今回はお友達との日帰り旅で、連れて行ってもらう楽ちん旅でした。^^)/
嬉しいです
伊良湖岬は願いがかなう恋人の聖地となっているらしいです。
一緒に鐘をつくところもありました。
カップルで来たい場所でもあります。
椰子の実の話が想像の話なのかどうか、事実だったのか
知りた意と言う思いが実ったようで
ちょっと嬉しくなりました。
南の島から波にもまれながらやっと流れ着いた椰子の実に思いを馳せて
一緒に旅をしてきたような気分になれる歌ですよね。
小型バスチャーターの旅、いいですねぇー!
旅行会社のバスツアーに比べたら、自由だし、アットホーム。
私もプチ旅行したいなぁー。
でも年内は無理ねぇ、(^◇^;)
そうなんです。
小回りが利いて、予定変更もできて良かったです。
ランチのお店も地元の人たちがと言うから、とても庶民的な処を想像して行ったら
なんと真新しいお洒落な料亭みたいなお店でした。
う~ん・・・
流石に12月はちょっといけませんよね。
年末年始が過ぎたらですね。
転勤族ですが、海と山は常にもれなくついてきたので
それが普通になっていました。
旦那の実家以外は、日本海側ですけどね~
やはりそういうロマンは、太平洋側のような気がします。
楽ちん旅もたまにはいいでしょう?(笑)
楽ばかり考えている私です。
pinkyさんの添乗員が、一番楽ちんな気がしますけど・・・
頭のものなんて玄人が裸足で逃げ出すんではないかと思います。
まるでお芝居の舞台装置とその背景ですね。
お忙しい中、よく時間が作れますね。
いやいや、人生はう~んと楽しまなくてはとつくづく思います。
今日は渥美半島まで連れて行っていただけるとは(笑)ブログならではの機会です!
地理の勉強にもなります。
>早速、小型バスをチャーターしました
行動に移されるのが早いです。
メロンの産地だとは!
温暖なんでしょうか?
>その日港に上がった魚(12種)のお造りから始まり
お~お~お~、牛ならずともよだれが落ちてきそうです(笑)。
>「椰子の実」という唱歌
これ中学の時、歌の試験があったので家で練習していたら、親父さんに「よかった」と誉められた記憶があります(笑)
親父の生まれが明治33年ですが、その頃に詩集が刊行されたとは!
日本の文藝も立派なものですね。
さらにその3年も前に柳田國男が語ったとは日本の文化がいかに即席に出来あがっていないかが窺い知れます。
椰子の実の行きつく先の実験までやっているんですか。
あら、又砂浜にブログ用の舞台装置が!(笑)
真ん中の字がちゃんと読みとれないんですが最後はe
なんですか?
「恋路ヶ浜」なんてあるんですか!
そして「グルメの旅でございました。」と結ばれところがさすがの舞台監督pinkyさんですね
我が家も海なし県、美味しいお魚にはあこがれますね。
10年も続けたボランティア仲間と今でも
交流が続いているんですね。
よほど素敵なお仲間なのでしょう。
小型バスをチャーターした旅だなんて良いですね!!
愛知県に住んでいた頃、渥美のメロンをよく買って食べました。
東京に居た頃はメロンなんて高くて手が出なかったのに、愛知に来たらこんなに安く手に入るなんてと驚いたものです。
でも、愛知にいながら渥美半島には行ったことがないんですよ。
こどもが小さかったからあまり出かけることもなく奈良へ越してきてしまいました。
やしの実の話、実験までしたなんて面白いですね。
海を見ると思わず「海!」と未だにはしゃいでしまいます。
今まで生きてきたうちで海の水に触れた回数はきっと数えることができると思います。^^
もう海水浴に行ける歳ではありませんしね~。(笑)
人生の大先輩ばかりとの旅ですから、雑用係に徹します。^^