第31回巨峰の丘マラソン参加が、ランナーとしての大会参加200回目になったこともあり、過去のラン歴を整理してみました。
1998年3月20日に初めて参加した多摩ロードレースのことは今でも鮮明に覚えています、テニスで痛めた膝のリハビリで通っていた病院の若いスポーツドクターの勧めで、恐る恐る5Kの部に参加したのがランナーになったきっかけでした、しばらくは5Kと10Kの大会に参加、初めてハーフを走ることになったのは、2003年7月6日のゴールドコーストマラソンでした、数人の仲間と一緒でしたが私以外はフルマラソンへの参加でした。
無事完走しましたが、頂いた完走メダルの大きさと立派さがフルマラソン完走者のほうが格段に良かったのに発奮し、来年のフルマラソン参加をひそかに誓ったことを思い出しました。
初めてのフル参加は、2003年12月14日のホノルルマラソン6時間41分18秒の苦闘でした、ゴールした時の感激は今でもはっきりと記憶にあります。
以来2015年までの17年間にフルマラソン参加回数34回、ハーフマラソン43回、10Kが59回、5K16回、さらに2009年からはトライアスロン8回、ウルトラマラソン7回、トレイルラン2回、その他巨峰の丘20K、山中湖一周13.5K、青梅マラソン30Kなどの変則が31回で合計200回となり、巨峰の丘が記念すべき大会参加となりました。
1998年3月20日に初めて参加した多摩ロードレースのことは今でも鮮明に覚えています、テニスで痛めた膝のリハビリで通っていた病院の若いスポーツドクターの勧めで、恐る恐る5Kの部に参加したのがランナーになったきっかけでした、しばらくは5Kと10Kの大会に参加、初めてハーフを走ることになったのは、2003年7月6日のゴールドコーストマラソンでした、数人の仲間と一緒でしたが私以外はフルマラソンへの参加でした。
無事完走しましたが、頂いた完走メダルの大きさと立派さがフルマラソン完走者のほうが格段に良かったのに発奮し、来年のフルマラソン参加をひそかに誓ったことを思い出しました。
初めてのフル参加は、2003年12月14日のホノルルマラソン6時間41分18秒の苦闘でした、ゴールした時の感激は今でもはっきりと記憶にあります。
以来2015年までの17年間にフルマラソン参加回数34回、ハーフマラソン43回、10Kが59回、5K16回、さらに2009年からはトライアスロン8回、ウルトラマラソン7回、トレイルラン2回、その他巨峰の丘20K、山中湖一周13.5K、青梅マラソン30Kなどの変則が31回で合計200回となり、巨峰の丘が記念すべき大会参加となりました。