放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

iPadminiを手にして

2012年11月04日 | 生活全般

今日のお楽しみは、映画を見ることと、ヨドバシカメラに行くことの2点であったが、残念なことに、ヨドバシカメラのポイントカードを持って行くのを忘れた。

ヨドバシカメラは、年に2~3回ぐらいしか行かなくなったので、カードを別のところに仕舞っているのである。

そんなわけで、今使っているiPhone4s用のイヤホーンを買おうというもくろみはなくなってしまった。

 

iPadminiであるが、楽天のkoboぐらいの大きさで、軽いし小さいので持ち歩くには便利だろうと思われた。

ただ、店頭に置かれているサンプルでは、使いたいソフトがインストールされているわけでもないので、たとえば、電子書籍の写真集がどのように見えるかが

わかりにくい。iPhone4sだと、かなり縮小されるので、見ていても迫力がない。文字も、英語の雑誌のサンプルを見る限り、iPhone4sより見やすいだろうとは

わかっても、老眼鏡なしに使えるかは疑問が残った。

 

iPadに最適化された電子書籍は、言わずもがなiPhone4sでは、部分的に拡大しないと読めなかったりする。そういうのが、どうなのかについては、

今後の雑誌等による検証を必要とするが、せっかくなら、このサイズのスマートホンでもよいような気がする。

 

 

 


某レストランで牛ヒレカツを食す

2012年11月04日 | 生活全般

ヨドバシカメラで、Windows8の実装機やiPadminiなどを見たあとで、某レストランで牛ヒレカツを食べた。

牛肉のヒレカツというと、カツレツなので、フライパンで焼いたものを期待していたら、とんかつの牛肉バージョンのようなものが出てきた。

わたしの幼い頃は、家にガスがまだ通っていなかったので、調理用具としては、炭火や豆炭を七輪で熾して使うか、おくどさんで、薪をくべて煮炊きをするかぐらいしか

なかったので、焼くか煮るかぐらいの調理しかできなかった。ただ、火というものが、身近にあった。おくどさんで薪をくべると、家中が煙りだらけになるし、大変ではあったが、

それで沸かしたお湯には、独特の香りがあった。

あの時代には、戻りたくもないが、あれはあれで懐かしい思い出ではある。


大阪駅にできた駅ナカ「エキマルシェ大阪」は、実は、改札の外にある

2012年11月04日 | 生活全般

エキマルシェ大阪は、JR大阪駅の構内にあるので、駅ナカ商業施設とされているが、普通に感じる「駅ナカ」とは、やや趣が違う。

駅の中にあるキオスクのようなイメージがあって、改札を出なくとも買い物ができる便利な施設をイメージしてしまうが、実は、そうではなくて、改札を出ないと買い物ができない。

しかも、阪急への道がある中央口とは反対側にあるため、そちら側に出てしまうと、阪急まで行くのには、別のルートを探さないといけないので注意が必要である。

わたしも、ちょっと覗いてこようと思ったが、方向が反対なのであきらめた。また、梅田の景観が変わっていて、確かヘップだったかのビルの上にある観覧車が見えなくなっている。

そのかわり、あたらしいエスカレーターが設置されていて、地下街から阪急電車に向かう人と、JRからヘップのほうへ向かう人が交差して混雑した道を回避して、ナビオのほうへ行けるようになった。


デヴィッド・クローネンバーグ監督「危険なメソッド」鑑賞

2012年11月04日 | 哲学・思想・雑感

アルド・カロテヌート「秘密のシンメトリー」入江良平ほか訳、みすず書房、1991年という書物が話題になった頃には、「ユング心理学」が流行っていて、私も、当時目を通したことがあった。その後、シュピールラインを巡る話題を取り上げた書物も発刊されている。精神分析は、フロイトにより編み出された一種の「治療論」であって、たとえば、無意識の図式化に関しても、学問的体系化の過程で変化しており、初期の理論では予定されていなかった「タナトス(死の本能)」を概念として取り入れたのであるが、その源泉がシュピールラインの洞察にあったとされ、そのシュピールラインがユングのクライエントであったことなどから、様々な憶測が飛び交いこの三者関係は、注目されていた。

ちなみら、この映画のストリーは、ウキペディアによると「1993年のノンフィクション本『A Most Dangerous Method』の舞台版である『The Talking Cure』(2002年)を原作としており、その脚本家でもあるクリストファー・ハンプトン自らが脚色した」となっている。

この映画は、背景となる精神分析や分析心理学のような深層心理学の知識なしに見ることは、日本史の概要を知らずに坂本龍馬のドラマを見るのに似て、分かりにくいかもしれないし、ユングの家の玄関に掲げられた「ことば」が、そのストーリーとどう関係するのかを見逃すかもしれない。逆に言えば、細かいディテールをいくつ指摘できるかが、見るものに問われているのかもしれない。たとえば、フロイトは葉巻をくわえているのに対し、ユングはパイプをくわえている。また、連想心理実験のシーンなども興味深い。

 

いろんな連想がわき起こってくるが、第二次世界大戦前後の精神療法の状況が、このようなものだとすれば、たとえば、千里眼研究で有名な福来友吉のありようなども、解釈可能かもしれない。