昨日のジャパンカップでは、17番オルフェーブル号が針路妨害した疑いで、審議となった。ビデオで見ると、ジェンティルドンナ号が、ビートブラック号との間から抜け出るとき、オルフェーブル号に接触したように見えた。
結果として、ジェンティルドンナが抜け出て1着となった。ルーラーシップ号が、3着に食い込んだ。3連複で買っていたが、馬券の人気順では、1番で配当は約10倍にしかならなかった。昨年に続き、牝馬が1着となった。確かに、オルフェーブルに比べ4キロのハンデはあったものの、上手く差したのは間違いない。1番人気ということもあり、押さえとして買ったので、全体として損はしなかったが、儲かりもしなかった。3連複を買うときは、レースの読みに自信がないときが多い。馬連だと、本命馬券を厚く買う。厚く買えないとき、私は、3連複を狙う。
それにしても、あの長い審議はいただけない。
[訂正]オルフェーブルは、オルフェーヴルに訂正。テレビでは、オルフェーヴル号の進路妨害と聞こえたのですが、日経新聞のスポーツ欄に依りますと、ジェンティルドンナ騎乗の岩田騎手の強引な進路取りが問題となったようです。
[補論]娯楽のなかった昭和30年代だと、競馬場に家族連れで来るというシーンもあった。その後の高度経済成長の中で、忙しい時代に突入し、もともとうさんくさい競馬が、いくら理由付けを考えたとしても、紳士のスポーツのような対象にはなり得なかった。唯一、例外的に、90年代前半頃、武豊騎手にも人気が出たこともあって、競馬場に若い女性の姿も見られたこと時期があった。90年代半ばを過ぎると、再び、何とも言えない競馬場の雰囲気に戻った。その頃に、競馬友達もいなくなったので、自然消滅することとなった。90年代半ばには、アマチュア無線も、固定やモービルもなくして、ハンディー機のみで、時折聞く程度になっていった。
90年代半ばは、多くのものを失った時代でもあった。その最も大きな原因は、バブル崩壊後の長期不況だと思われる。京都に放送大学の学習センターが出来た頃、生涯学習に目覚めて、入学した。しかし、放送は、まだなくて、画集センターでテープを見たり聞いたりする学習形態だった。不便さもあったが、余裕がどんどん失われていく時機でもあったため、続けることは出来なかった。