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嘉永7年9月上旬・大原幽学刑事裁判

2024年10月17日 | 大原幽学の刑事裁判
嘉永7年9月上旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳(気になった部分のみ)。

嘉永7年は閏7月が存在したため、一か月ズレが生じています。年末の帰村で帳尻が合いますので、年内は一か月ズレたままとなります(今月は9月の日記となります)。 #五郎兵衛の日記 #大原幽学刑事裁判
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嘉永7年9月1日(朔)(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、御床下げ、楊枝削り。本日殿様は御登城。正六ツ半時に出発(御本供)、九ツ時に御帰館。八ツ半過ぎ、幸左衛門殿は松枝町の借家へ行って泊まり。良左衛門君が江戸に戻った。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
・殿様の御登城日。正六ツ半(午前7時)出発で、御帰館が九ツ(正午〜午後1時)ですから、現代よりも早い。現代は夜型です。
・幽学先生の一番弟子格の良左衛門は、息子(良祐)の結婚の関係で村に戻っていました(8月22日条)。必要な用を済ませただけですぐに江戸に戻ってきたようです。
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嘉永7年9月2日(1854年)非番
#五郎兵衛の日記
掃除、楊枝削り。八ツ半時に松枝町の借家へ行くと、幽学先生、良左衛門君と大家の三人で碁を打っていた。晩の九ツ時まで碁を打っていて、借家に泊まる。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
休みを利用して松枝町の借家へ行くと、幽学先生、碁を打っていました。幽学先生が碁を打つことが記録されているのは珍しい。ついこの間までは、五郎兵衛が借家に来ると、幽学先生は顔も見たくないと、出かけてしまっていましたから、落ち着きを取り戻した光景です。

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嘉永7年9月3日(1854年)
#五郎兵衛の日記
朝食後、幽学先生からの奉公の心得。
「五郎兵衛よ、藪様での御奉公は何から何まで気をつけ、御家中衆が感心されるように勤めるのだぞ、親切で実意を尽くすのだ」
御屋敷に戻る。初午の準備で忙しい。夕方から御家中衆は酒盛り。小生は九ツ半から夜番。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
・五郎兵衛は旗本藪家で江戸滞在費稼ぎのバイト(奉公)をしています。幽学先生からは、奉公先で御家中衆が感心されるように勤めよ、とのお言葉。屋敷に戻ると、明日は初午の祭りなので、奉公人は初午の準備に忙しく、一方で御家中衆は酒盛り。
・「初午祭」は稲荷神社の祭りです。毎年2月の最初の午の日=初午(はつうま)の日に行われるとされていますが、なぜか今回の日記では9月です。

〈詳訳〉
六ツ時に起床。借家で朝飯を食べる。帰りがけに、幽学先生からお声をかけられた。「五郎兵衛よ、藪様での御奉公は何から何まで気をつけ、御家中衆が感心されるように勤めるのだぞ、親切で実意を尽くすのだ。性学者と名乗りながら、つまらない者と思われてしまうようでは道がすたる。これまで学んだことを、一緒に奉公している幸左衛門や宜平とよく相談して、日々過ごすようにしなさい」
五ツ時、借家を出る。藪様の御屋敷に戻って、宜平殿と二人で髮結い。
初午の仕度のため、御用多し。
昼より幸左衛門殿、宜平殿と三人で薬店の湯に入る。
宜平殿は松枝町の借家に行った(本日泊まり)。御屋敷に戻ってから、楊枝づくり。暮れに御床上げ、四ツ半頃迄御次で御家中衆は酒盛。九ツ半から夜番を勤める。


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嘉永7年9月4日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、御床下げ。初午の祭礼で賑わしい。御用多く、九ツまで夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛は昨夜は途中から夜番、今日は本番ですから、ほとんど寝ていないのではないでしょうか(それとも暇を見て寝ているのか)。初午の祭礼ですが、奉公人は楽しむ余裕もなく、様々な仕事をこなされなければなりません。

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嘉永7年9月5日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は非番だが、平作が二日酔い(原文:「前夜の酒つかれ」)のため添番。朝掃除、時触れ。夕方御床上げ。九ツ半から夜番を勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
同僚の平作が二日酔い。昨日は初午祭で、かなり飲んだのでしょう。五郎兵衛は休みの予定を返上して、添番勤めです。五郎兵衛が幽学先生に会いにいくのに、シフトを替わってもらうこともありますから、この辺りはお互い様です。

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嘉永7年9月6日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は非番だったが、同僚の平作が病気というので勤めを替わる。朝掃除、宜平殿と二人で御床下げ、時触れ。九ツ時に宜平殿と湯に行き、帰りに芋一俵買って帰る。平作は夜に用事があるとのことで下町へ行った。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛は、平作のために本日も休みを返上して仕事。平作は「病気」を理由としていますが、夜に下町に行っているところをみると、どうやらサボりのようです。

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嘉永7年9月7日(1854年)添番
#五郎兵衛の日記
・朝掃除、楊枝削り。昼から池田様に頼まれ牛込の質屋へ、田中様に頼まれ飯田町へ行く。暮れ方に御床上げ。九ツから夜番も勤める。
・幸左衛門殿と宜平殿は七ツ時に松枝町へ行き、泊まり。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日の記事に出てくる「池田様」「田中様」は藪様家のご家中と思われます。池田様からは、牛込の質屋に行ってくれとのオーダーが出ています。藪家の用事か、個人の用事なのか判然としませんが、いずれにせよ武家の財政が楽ではないことが窺えます。わ

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嘉永7年9月8日(1854年)
#五郎兵衛の日記
本日は本番だったが、松枝町の借家に行くため、平作殿に仕事を替わってもらう。四ツ時に出たが、御成りがあり、小川町出口で止められる。借家に九ツ過ぎ着。この日、借家に泊まる。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛がいる旗本藪様の御屋敷は番町にあり、神田松枝町の借家までは4キロほどですから、いつもなら1時間あれば行ける距離です。しかし、今日は御成りがあり、通行規制がかかっているため、小川町出口で足止め。借家についたのは九つ過ぎというので、2時間以上かかったのかもしれません。

〈詳訳〉
・本日は本番で朝掃除、御床下げまでしたが、
松枝町の借家に行くため、以降の仕事は平作殿にお願いした。
・髪結いの後、四ツ時に出発。しかし、御成りがあり、小川町出口で足止め。松枝町の借家に到着したのは九ツ過ぎ。
・文平・儀八が来ていて、腰物についての話しをした。文平から国元の様子を色々伺った。
・稲荷下の太次兵衛が今回の出府について相談に来た。
・龍角の七郎右衛門殿から手紙が届いたので、返書を作成。幽学先生に確認してもらいってから送る。
・夕方、節五郎殿が来る。国元へ送る手紙を認める。田安家の磯部様の御検見前に国元の問題をお頼みしなければならない。
・そんな話しをしていたら、小生が土用の日程を間違えていたことが分かった。幽学先生からは、「そんな大切なことをなをざりにして大丈夫か。奉公勤めばかりに気がいってしまっているのではないか。」と心配をおかけしてしまった。
・夜、借家に泊まり。

(解説)
「検見」とは
検見(毛見)
之は収税吏が毎年村方に出張して坪苅を行ひ、田一坪当り初幾合の収穫あるか、合毛を 実見して其の村田地の総収穫を算出し、其の年の取米を定むる方法である。
(中田 薫『日本法制史講義』)

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嘉永7年9月9日(1854年)
#五郎兵衛の日記
暗いうちから良左衛門君起き出し、炊事を始める。朝食後、幽学先生から「五郎兵衛よ、まだ食べることが気になっているな。そんなことでは、予はいつまでも安心できないぞ」とご指導いただく。七ツ時に御屋敷に戻り、夕方から仕事。九ツ半から夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
昨日は松枝町の借家に泊まった五郎兵衛。幽学先生から食欲にとらわれないようにと注意を受けてしまいました。五郎兵衛、やはり食いしん坊のようです。

〈詳訳〉
・七ツ時に良左衛門君が炊飯を始めたため、皆起きて御茶の準備。幽学先生もお目覚めされ、お茶をお出しした。
・食事を終えると、幽学先生からお話し。
「五郎兵衛よ、まだ食べることが気になっているな。そんなことでは、予はいつまでも安心できない。このことさえ、改善してくれれば、予も気楽になれるのだ。自分で食べるよりも人に振舞いたくなり、それが楽だという腹になってほしい。汚い根性が無くなれば、予の前でも遠慮なく、誠に気持ちも良く、清々としていられるだろう。食べ物に執着しているような心境では、何かと気が引けて、心も清らかではなく、実につまらない。良いことをすれば、後から気持ちも良くなる、楽しみも尽きることがなくなる、また多くの人にも慕われる、人のことを思う心になれば良いだけである、難しいことは何もないと、色々とご指導いただいた。
・文平と儀八が幽学先生に暇乞い。江戸から出立。扇橋から船に乗るというので、浜町まで一緒に行った。
・本町で安達様から頼まれた葛を買い、両替町で髪付油を買って四ツ時に御屋敷に戻る。
・昼より田中様からの頼まれ事で、酒井雅楽頭様御屋敷にお使いに行き、七ツ時に戻り、夕方には御弓場の片付け、御床上げ。九ツ半から夜番も勤める。

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嘉永7年9月10日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
早朝に麹町の大崎方へ給金を受取りに行ったが留主。御屋敷へ戻り、夜具上げ、楊枝削り、御弓場の設営。七ツ時に再度大崎方へ行き、暮六ツ頃迄待って、ようやく給金受け取り。九ツ迄夜番も勤める。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
「給金の受取り」というのは、これまでの記事に出てこないので、何の給金なのかははっきりしません。奉公人の給金であれば、給料の支払い方が現代とは違い、職場ではなく、別のところで支払われることに仕組みであったことになりますが…

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