南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

大正10年の千葉の弁護士

2024年10月26日 | 歴史を振り返る
(大正10年の千葉市の様子)
千葉市史編纂委員会編『千葉いまむかし』の第5号には、「千葉案内」(大正十年七月調査「千葉市実測図」の裏面)と題して、大正10年の千葉市が紹介されています。
「千葉案内」には、千葉市について次のように記しており、当時の千葉市の勢いが感じられます(現代語訳)。
〈明治6年に千葉県庁が設置され、それから裁判所やその他の官庁も出来た。医学校をはじめ、官公私立の各種学校、鉄道連隊、陸軍歩兵学校、同教導連隊なども設置され、現在、戸数は6600戸余、人口は32,000人に達し、さらに毎年発展の傾向を示している。大正10年1月1日には市制が施行され、千葉町は千葉市と改称された。文化も急速に発展し、市の勢いは新しいエネルギーに満ちており、昔日の千葉よりも優れた都市となったのである。〉
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(大正10年の千葉の弁護士)
「千葉案内」には大正10年の千葉の弁護士名が列記されています。
(弁護士)高橋八郎、松野信次郎、鹿島千太郎、 高橋栄蔵、一瀬房之助、羽生長七郎、杉山弥太郎、中川真太郎、古川与、信太武治、清古平吉、遠山重義、神田仲二、長戸路政司、阿部遜、青木勝見、松沢亀治郎
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(安部遜弁護士)
本文には上記のように氏名が記載されているだけなのですが、「千葉案内」には広告欄があり、弁護士の広告も見えます。

━━━━
弁護士 安部遜
事務所
千葉市裁判所裏門通り 電話三七五番
木更津町裁判所前 電話五八番
━━━━
弁護士一覧には「阿部遜」の名前が見えますが、広告で「安倍」となっています。どちらが正しいのかですが、明治29年5月25日判決(大審院刑事判決録2輯5巻79頁)の弁護人に「安部遜」の名が見えます。同判決は、第一審が千葉地方裁判所ですので、「安部遜」が正しいことが確認できました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(一瀬房之助弁護士)
一瀬房之助弁護士の広告です。
━━━━
千葉市新通町(電話252番)
弁護士、特許弁理士、日本法律学士
一瀬房之助
出張所 木更津町、北條町 佐倉町、一ノ宮町、八日市場町
━━━━
この広告によれば、一瀬房之助氏は、千葉市新通町の事務所以外にも木更津町(現木更津市)、北條町(現館山市)、佐倉町(現佐倉市)、一ノ宮町(現一宮町)、八日市場町(現匝瑳市)に出張所を持っていたことがわかります。当時の弁護士法では複数事務所が禁止されていませんでした。現行弁護士法では「弁護士は、いかなる名義をもつてしても、二箇以上の法律事務所を設けることができない」(弁護士法人では可)と規定されており、複数事務所は禁止されていますので、個人の弁護士はこのような「出張所」を設けることができません。
一瀬房之助は市議会議員でもあり、副議長及び議長職についています(千葉市歴代正副議長名簿)。
副議長:大正14年3月〜昭和4年3月
議長:昭和11年12月〜12年3月


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(羽生長七郎弁護士)
羽生長七郎弁護士の広告です。
━━━━
千葉市本町一梅屋敷(亀井橋通り)
弁護士 羽生長七郎
出張所 香取郡佐原町佐原イ3369
浮島屋旅館裏
匝瑳郡八日市場町イ340
下出羽宿
━━━━
羽生長七郎弁護士も、事務所以外に出張所(佐原及び八日市場)を持っています。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(高橋栄蔵弁護士)
高橋栄蔵弁護士の広告です。
━━━━
千葉市市場474番地
弁護士 高橋栄蔵事務所
弁護士 高橋栄蔵
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(鹿島千太郎弁護士)
鹿島千太郎弁護士の広告です。
━━━━
千葉市事務所
千葉県庁前(電話556番)
弁護士 鹿島千太郎
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(杉山弥太郎弁護士)
広告を掲載している弁護士は以上です。広告はないものの、その他情報を得られた弁護士について記しておきます。
杉山弥太郎弁護士は、『千葉繁昌記』(明治28年)にもその名を記されています(過去記事)。
生年月日は明治元年九月八日 (1868)とのことであり、大正10(1921)年時点では53歳ということになります。

同弁護士の事務所は千葉市本町二丁目にあり、『千葉街案内』(明治44年)には大要以下のとおり紹介されています(現代文にしてあります)。
「弁護士杉山弥太郎氏の法律事務所は、千葉町本町二丁目にある。民事訴訟や、刑事訴訟だけでなく法律に関する幅広い業務を親切かつ丁寧に扱っており、信頼を得ている。杉山氏は山武郡大網町の出身で、故父杉山安蔵氏に従って法律業務に従事し、千葉中学校を卒業後、上京して英語学校に通い、その後法学院に進んで学問を深めた。明治22年に法学院を卒業するとすぐに弁護士試験に合格し、静岡市に事務所を設立した。しかし、明治24年に千葉町に戻り、現在の場所に法律事務所を開設して以来、大変な繁盛を見せ、現在に至っている。彼は千葉町でも有数の信頼を集める人物であり、現在は千葉県議会議員の要職についている。」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(清古平吉弁護士)
清古 平吉(せいこ へいきち)氏は、大正10年当時千葉市の議員であり、「千葉案内」の市会議員欄にもその名が見えます。
1901年(明治34年)の法律新聞の『千葉通信』には次のような記載があり、千葉で最も多忙な弁護士の一人に数えられています。
◎千葉通信(現代語訳)
弁護士界:当地の弁護士界で最も忙しいのは、神田仲二、清古平吉、杉山弥太郎の三氏のようである。現在の弁護士組合会長である浅井蒼介氏の任期は、来たる5月で満了するため、その後任には清古平吉氏が就任する予定である。もともと、当組合の会長選任は、最も公平な方法が取られており、開業順に順次就任するのが慣例となっているので、他の地方に見られるような金銭に関する問題とは異なっている。

━━━━


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする