○千葉県監獄署
【はじめに】本稿は、松風散史編『千葉繁昌記』(明治28年)の「千葉県監獄署」の項を現代語訳したものです。監獄は現在の刑務所です。現在は国(法務省)の施設ですが、当時は県の管轄でした。
現在千葉刑務所は千葉市貝塚町にありますが、当時は寒川(現千葉市中央区寒川)にありました。寒川の地に監獄があったのは、1874(明治7)年から1907(明治40)年までの33年間です。寒川にあった監獄について書かれているものは少ないので、参考になります。
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○千葉県監獄署
監獄署は県庁の一部に属しており、拘留、禁錮、禁獄、懲役に処せられた者、および婦女で徒刑に処せられた者を収容し、また未決囚を拘留する。この監獄は県庁から数町離れたところに位置している(千葉町寒川片町)。昔、この場所は佐倉藩の米倉であり、その中には米倉をそのまま獄舎にした部分もあったという。この監獄を新しい場所に移して新築しようとする計画があり、設計も終わり、担当者は県内の著名な林業者から材木の払い下げを受ける手続きを完了したものの、残念ながら、いまだ昔のままの状態である。囚人に対しては、明治22年7月の勅令第93号の監獄則の改正により、以前よりも大いに寛大になったといわれている。
囚人の従事している作業(明治27年8月現在)
●抄紙工(男163名)
●簾工(男5名)
●機織工(男98名)
●染工(男3名)
●裁縫(女24名)
●麻工(男49名)
●鍛冶工(男)
●鉄葉工(男1名)
●理髮工(男1名)
●木工 (男9名)
●米麦搗工
●水引工(男)
●罫紙摺工(男)
●外役土工(男)
●藁工同(男145名)
●小亀形工(男42名)
●陶器工(男29名)
●炊夫工(男19名)
●看病夫工 (男4名)
●掃除夫工(男27名)
上記のように就役後は工業に従事し、作業開始からが100日経過により各自の工賃を定め、が決められます。重罪の囚人には10分の2、軽罪の囚人には10分の4、無定役の囚人や懲治人および刑事被告人で作業を行う者には10分の6が与えられると規定されている。獄則を遵守し工業に勉励する者には、報奨金が与えられる。
また、教誨師により、罪を悔い改め善へと導く道を教えられる。16歳未満の囚人や懲治人には、毎日4時間以内で読書、習字、算術を教え、懲治人には毎日5時間以内で農業や工芸が教える。
現在の担当官吏は以下のとおり。
監獄長 正八位 千石 学
○第一課
監獄書記兼看守長 長 阿部武之進
看守長兼監督書記 三恵由哲
武藤周蔵
教誨師 富士原 大岳
○第二課
看守長兼書記 長 大須賀光顕
看守長兼書記 白坂旅
小泉扇造
兼看守教習所教師 河村新蔵
麻生德三
○第三課
監獄書記兼看守長
長心得 菅谷寅四郎
天野六三
鈴木駒次郎
監獄署傭野 中 富次郎
村井孝一郎
萩野恭斉
宗像正七
川口貞吉
尾形栄性
安達盛義
医務所
兼千葉病院司療医 長監獄医 森理 記
酒井巻二
小沿東逸
看守教習所
長 大須賀光顕
第二課僚 教師小泉扇造
看守(以下略)