創世記15:1~12、17~18 フィリピの信徒への手紙3:17~4:1 ルカ13:31~35
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二日市教会主日礼拝説教 2025年3月16日(日)
泣いて笑って恭教(やすのり)さん―最終回
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
「泣いて笑って恭教さん」の最終回です。谷口恭教さんは、1931年に熊本市で生まれ、3歳の時に小児麻痺にかかり、その後遺症で一生苦しめられました。しかし母や兄姉たちに守られ、わんぱくぶりも発揮しながら育ちました。ところが戦争中、焼夷弾に直撃された母の無残な死を目の前にして復讐の鬼となりましたが、終戦後一人の素敵な宣教師との出会いで愛と赦しの福音に触れ、洗礼に導かれました。
その後彼は母校である九州学院に就職。英語の教師として43年間奉職しました。本日は、その教師時代の出来事を二つ紹介したいと思います。
さて一つは、彼が高2を担当していた時の話です。彼はSくんの家を訪ねました。父親との仲がうまくいっていないと聞いたからです。家に一歩入って驚きました。6畳ほどの部屋がたった一つ、小さな台所があるだけだったからです。近くの工場で働いている父親を母親が呼びに行きましたが、帰ってきた彼からはお酒の匂いがぷんぷんしていました。そのまま眠りだした夫を見ながら彼女は言いました。「先生、聞いてください。息子はこぎゃんおやじはいらんというて、いつも喧嘩です。この前は、おやじば殺すというて、首ば締めかかりました。私がやっと止めたら、息子は毛布をかぶって泣いとりました。息子は優しか子です。この前のクリスマスには、私に手拭ば一本買ってくれました。かまどの灰のかからんごつ頭にかぶれと言うてですな」。
そこで恭教さんはSくんに噛んで含めるように言いました。「君、明日から当分の間、学校に来なくていいよ。働け。そしてその金でお父さんのために酒を買え」。さてSくんは、次の日から働いてお父さんに酒を買いました。それを渡しながらお父さんに「父ちゃん、きつかったいね。ま、一杯飲みなっせ」と声をかけたのでした。この言葉は父親の心をやわらげ、酒量が少しずつ減ってゆきました。間もなくSくんは再び学校に来始めました。恭教さんはクリスマスのたびにこの親子を思い出すのでした。
さて、もう一つは中学生のA君とその家族の話です。恭教さんのクラスで盗難事件が起き、犯人がAくんと分かりました。そこで恭教さんは親を学校に呼び出しました。ところが来たのは母親だけでした。恭教先生は言いました。「ご両親そろってとお願いしたはずです」。母親は言いました。「主人が『お前だけ行ってこい。この俺がどの顔下げて行けるか』と言うものですから」。恭教さんは言い返しました。「するとお母さんには下げてゆける顔があるんですか」。母親は、わあっと泣きながら言いました。「みんな私が悪いのです。主人が言うように、子供の成績が悪いのは私のせいなのです。主人に対しては何も言えません」。
恭教さんは烈火のごとく怒りました。「子どもというのは、勉強ができないから盗みに走ることは断じてありません。責任の半分はご主人にもあります。あなたはご主人から責められるたびにAくんをうとましく思いませんでしたか」。「はい、この子がいるばかりに私は責められます。この子を嫌いになりかけています」。「それで分かりました。彼は、もうお母さんから愛されてないと思っているのです。彼はいま出口のない闇の中にいます。」
このあとは恭教さんと母親の真剣勝負となりました。彼は言いました。「さあ、家に帰ってご主人に立ち向かってください。今まで口答え一つなさらなかったでしょ?」。「はい、主人は怖い人です」。すかさず恭教さんは言った。「お母さん、死ぬまでに一回くらい喧嘩をしたいと思いませんか?」するとお母さんは笑い出したのでした。「思います。何回でも百回でもやりたいです」。「じゃあ、今日から始めてください。ただし、Sくんをかばう立場でやってくださいね。それを見たら彼は自分がいかに母親から愛されているかを知るでしょう」。
さて、この日以降、Sくんはみるみる明るくなってゆきました。彼女からはその後何の報告があったわけでもありません。けれども恭教さんは想像することが出来ました。ふだん何一つ反発しない妻が反旗を翻した。夫はびっくり仰天だったことだろう。それと同時に夫は、彼女の新しい魅力を発見したに違いないのだ。そして、母親が顔色を変えて必死に夫に抗議するのをSくんは目撃し、この人は本気でボクを守ろうとしている。そのような人がいる限り自分の人生は安心だと思えるようになったはずだ……そのように想像することが出来たのでした。
恭教さんは書いています。「人は自分が守られていると分かったとき、心が穏やかになる。そんな時、人は人に対してとてつもなく優しくなる」。
なお私が恭教さんと会ったのは彼の定年退職後の時でした。そして、その優しさと厳しさにおけるスケールの大きさに圧倒されたのでした。なお、あとで知ったことですが、彼は聖書に徹して生きる信仰者でありました。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
※このブログを開いて読んでくださりありがとうございました。本日をもって白髭の執筆は終了です。4月からは大和友子牧師が担当です。
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二日市教会主日礼拝説教 2025年3月16日(日)
泣いて笑って恭教(やすのり)さん―最終回
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
「泣いて笑って恭教さん」の最終回です。谷口恭教さんは、1931年に熊本市で生まれ、3歳の時に小児麻痺にかかり、その後遺症で一生苦しめられました。しかし母や兄姉たちに守られ、わんぱくぶりも発揮しながら育ちました。ところが戦争中、焼夷弾に直撃された母の無残な死を目の前にして復讐の鬼となりましたが、終戦後一人の素敵な宣教師との出会いで愛と赦しの福音に触れ、洗礼に導かれました。
その後彼は母校である九州学院に就職。英語の教師として43年間奉職しました。本日は、その教師時代の出来事を二つ紹介したいと思います。
さて一つは、彼が高2を担当していた時の話です。彼はSくんの家を訪ねました。父親との仲がうまくいっていないと聞いたからです。家に一歩入って驚きました。6畳ほどの部屋がたった一つ、小さな台所があるだけだったからです。近くの工場で働いている父親を母親が呼びに行きましたが、帰ってきた彼からはお酒の匂いがぷんぷんしていました。そのまま眠りだした夫を見ながら彼女は言いました。「先生、聞いてください。息子はこぎゃんおやじはいらんというて、いつも喧嘩です。この前は、おやじば殺すというて、首ば締めかかりました。私がやっと止めたら、息子は毛布をかぶって泣いとりました。息子は優しか子です。この前のクリスマスには、私に手拭ば一本買ってくれました。かまどの灰のかからんごつ頭にかぶれと言うてですな」。
そこで恭教さんはSくんに噛んで含めるように言いました。「君、明日から当分の間、学校に来なくていいよ。働け。そしてその金でお父さんのために酒を買え」。さてSくんは、次の日から働いてお父さんに酒を買いました。それを渡しながらお父さんに「父ちゃん、きつかったいね。ま、一杯飲みなっせ」と声をかけたのでした。この言葉は父親の心をやわらげ、酒量が少しずつ減ってゆきました。間もなくSくんは再び学校に来始めました。恭教さんはクリスマスのたびにこの親子を思い出すのでした。
さて、もう一つは中学生のA君とその家族の話です。恭教さんのクラスで盗難事件が起き、犯人がAくんと分かりました。そこで恭教さんは親を学校に呼び出しました。ところが来たのは母親だけでした。恭教先生は言いました。「ご両親そろってとお願いしたはずです」。母親は言いました。「主人が『お前だけ行ってこい。この俺がどの顔下げて行けるか』と言うものですから」。恭教さんは言い返しました。「するとお母さんには下げてゆける顔があるんですか」。母親は、わあっと泣きながら言いました。「みんな私が悪いのです。主人が言うように、子供の成績が悪いのは私のせいなのです。主人に対しては何も言えません」。
恭教さんは烈火のごとく怒りました。「子どもというのは、勉強ができないから盗みに走ることは断じてありません。責任の半分はご主人にもあります。あなたはご主人から責められるたびにAくんをうとましく思いませんでしたか」。「はい、この子がいるばかりに私は責められます。この子を嫌いになりかけています」。「それで分かりました。彼は、もうお母さんから愛されてないと思っているのです。彼はいま出口のない闇の中にいます。」
このあとは恭教さんと母親の真剣勝負となりました。彼は言いました。「さあ、家に帰ってご主人に立ち向かってください。今まで口答え一つなさらなかったでしょ?」。「はい、主人は怖い人です」。すかさず恭教さんは言った。「お母さん、死ぬまでに一回くらい喧嘩をしたいと思いませんか?」するとお母さんは笑い出したのでした。「思います。何回でも百回でもやりたいです」。「じゃあ、今日から始めてください。ただし、Sくんをかばう立場でやってくださいね。それを見たら彼は自分がいかに母親から愛されているかを知るでしょう」。
さて、この日以降、Sくんはみるみる明るくなってゆきました。彼女からはその後何の報告があったわけでもありません。けれども恭教さんは想像することが出来ました。ふだん何一つ反発しない妻が反旗を翻した。夫はびっくり仰天だったことだろう。それと同時に夫は、彼女の新しい魅力を発見したに違いないのだ。そして、母親が顔色を変えて必死に夫に抗議するのをSくんは目撃し、この人は本気でボクを守ろうとしている。そのような人がいる限り自分の人生は安心だと思えるようになったはずだ……そのように想像することが出来たのでした。
恭教さんは書いています。「人は自分が守られていると分かったとき、心が穏やかになる。そんな時、人は人に対してとてつもなく優しくなる」。
なお私が恭教さんと会ったのは彼の定年退職後の時でした。そして、その優しさと厳しさにおけるスケールの大きさに圧倒されたのでした。なお、あとで知ったことですが、彼は聖書に徹して生きる信仰者でありました。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
※このブログを開いて読んでくださりありがとうございました。本日をもって白髭の執筆は終了です。4月からは大和友子牧師が担当です。