日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

11月26日

2023-11-30 13:54:16 | 日記
エレミヤ23:1~6,コロサイ1:11~20、ルカ23:33~43
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二日市教会主日礼拝説教 2023年11月26日(日)
永遠の王キリスト(聖霊降臨後最終主日)

「パラダイスはいずこに」

白髭牧師は肺炎のため済生会二日市病院に入院となりました。退院までの期間以前のものを代議員が代読します。入院は2週間ぐらいの予定です。

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
小郡駅の周辺を歩いてきました。古い街並みがよく残されていましたが、人通りが少なくて、お客が列をなす店が一軒だけありました。志和饅頭という屋号で造りは昔のままでしたが、そこに見えた活気がこの街の印象となったのでした。

さて、本日の福音はルカによる福音書23章33節から43節まででした。けれどもこれは、イエスの十字架の場面の話でした。ところが来週からはクリスマスシーズン。十字架とクリスマス。おかしな取り合わせではあります。
でも、何か理由があるのだろうと思って気がつくのは、本日は教会が守ってきた一年の暦の最終日曜日だということです。最後なので一年を振り返ろう。個人的に振り返れば、色々後悔も反省点もありでしょう。そういう時、十字架の話もあながちお門違いとはならない。そう思ってみたいのであります。

ところで、今のルカ23章ですが、どうしても気になることがありました。それは43節のことですが、『するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた』と書かれていることです。
どういうことかというと、「一緒にいる」のはいいのだけど、「楽園にいる」の楽園はおかしい。なぜならこれは、明治の時代から日本の聖書は、楽園ではなくパラダイスだったからです。

それでは、今はなぜパラダイスかというと、1987年、つまり今から35年前に聖書の翻訳の大改訂が行われた時に、パラダイスをやめて楽園にされたからであります。それは昭和62年のことでしたが2年後に昭和は終わっています。つまり、明治、大正、戦前戦後の昭和のほとんど、日本の聖書はパラダイスで一貫してきたのでした。「それを今さらなぜ?」なのであります。
なお、英語の聖書は西暦1611年の欽定訳から現代までずっとパラダイスです。さらに調べれば分かるはずですが、スペイン語も、フランス語も、イタリア語も、ドイツ語も、どの聖書もパラダイスのはず。さらに日本も最近まではそうでした。
けれども、これ以上の詮索は無駄でしょうからやめておきます。ただひとつだけですが、ポルトガル語聖書でもパラダイスでした。ただし、ポルトガル語ですから発音はパライゾです。このポルトガル語聖書は日本に五百年前に持ち込まれたのでした。なお、この話はあとでまたします。

 ところで、パラダイスというのはペルシャ語です。大昔、ペルシャの富裕層が所有する大庭園がパラダイスと呼ばれていました。そして、それが旧約聖書にも入ってきたのでした。すなわち、創世記に出てくるエデンの園がパラダイスと呼ばれたからです。ただし、このパラダイスは普通のお庭ではありません。なぜなら、夕方刻になると造り主なる神が散歩する庭園だったからです。また禁断の木の実もありました。そして、アダムとエバも最初はそこにいたのですが、神の怒りで追放された。そこに住めなくなったことが人類の不幸の始まりでした。
しかしながら、人間にはかつてそこにいた楽園の記憶があるのでした。つまり、楽園へのあこがれがある。あるいは、危機や苦難に直面するとパラダイスが間近に感じられることもあるのでした。

ところで、ポルトガル語の聖書が日本人に伝えたパラダイスは、発音はパライゾでした。しかし、日本人の耳にはハライソと響きました。やがてハライソは天国の代名詞、キリシタンのあこがれの的となりました。
ところで、細川ガラシャは、火の手が迫りくる部屋で、家老の小笠原昌斎が抜いた刀で自決する際、その顔は幸福感で晴れ晴れとしていたと伝えられています。あきらかに、彼女の信仰の目にはクローズアップされたハライソが映っていたのでした。

しかし、ハライソすなわちパラダイスは過去だけの話ではありません。米国のデューク・メモリアル教会のウィリモン牧師は、命が終わろうとしていた老婦人に聞きました。「今、どんなお気持ちですか。怖くないですか。後悔するようなことはありませんか」。すると彼女は言う。「いいえ、こわくはありません」。牧師は言いました。「そうでしょうね。あなたは十分長生きされたし、立派に生きました。そのことが慰めになるのでしょうね」。しかし、彼女は言いました。「それもあるかも知れません。けれどももっと大きな慰めは、間もなくイエスさまと一緒になれることなのです」

ところで本日の聖書の処刑直前の男はイエスにこう言いました。「あなたの御国で私を思い出してください」。この言葉の意味は「いつの日にか思い出してください」であります。ところがイエスの返事は「あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」でした。イエスの返事は、「わかった、いつの日にかあなたを思い出してあげよう」ではありませんでした。
普通、人はパラダイスを遠い将来のように思うかも知れません。永遠の命と言う言葉もありますが、それも終末の時の約束のように受け止めているかも知れません。すごく心理的距離間があって、必ずしも確実な約束とは受け止めていないかもしれないのです。

ところが、本日のイエスは「パラダイスは今日だ」という言い方をしました。たとえば、今息を引き取ろうとしている人は、完全に死んだのちにパラダイスということなのでしょうが、イエスはそのまだ息をしている内にパラダイスだと言ったのでした。

実はこれは罪の赦しと関係があるのでした。つまり、今日、十字架のイエスが共にいるから罪の赦しもある。そのことがパラダイスにほかならない。だからイエスは「あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」と言ったと受け止めればよいのであります。なお、クリスマスは罪の赦しをもたらす神の御子イエスの誕生を祝う日であります。本日の話も、十字架から一転してクリスマスに向かうのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
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11月19日

2023-11-24 11:25:32 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年11月19日(日)
聖霊降臨後第25主日
ゼファニヤ1:7,12~18,Ⅰテサ5:1~11,マタイ25:14~30
「降誕②ヨハネ的なクリスマス」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。

先週は、クリスマスの起源ということで考えてみました。というのも、マタイ福音書やルカ福音書にはクリスマス物語があるのに、マルコ福音書にはないからです。マルコ福音書は4つある福音書の中でいちばん最初に書かれた福音書です。そのマルコにはクリスマスがなかったが、そのあとの福音書にはあるのですから、その間状況が大きく変わり、クリスマスは重要だと考えられるようになったのでした。その結果として、マタイとルカにクリスマス物語が書かれた。つまり、そのあたりがクリスマスの起源とかんがえてよいのです。
ただ一つ問題が残ります。ヨハネ福音書にもクリスマス物語はないからです。しかも、ヨハネは最も遅く書かれた福音書でした。ただし、ヨハネの時は、もうマタイやルカを人々は読んでいましたから、ヨハネが書いてなくても、その時代の人々にもクリスマスは常識になっていたはずなのです。

さて、以上のことを考える上で便利な方法があります。4つの福音書は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順で出来たのですが、それぞれが書かれた時期をAとし、その後同じ時期に書かれたマタイとルカの時期をB、最も遅いヨハネの時期をCとするのです。
さてこうすると、改めて次のことが見えてきます。それは、クリスマスのことを知らなかったのはAの時期のキリスト教徒たちだけだったということです。Bの時期にしてもCの時期にしても、その受け止め方が様々だっただけで、人々にとってクリスマスはもう大前提だったということです。
ということは、Bの時期の人々は、最初はクリスマスのクの字もしらなかったのに、やがてマタイやルカが書かれたために、父親が誰だか不明な子をみごもった娘の話や、悪臭に満ちた馬小屋で神の子の出産の話を知らされることになったのでした。ところが、Cの時期の人々はルカとマタイを読んでいたので、クリスマスの知識があったのだが、ヨハネによって全く常識外のクリスマスの話を読まされることになったのでした。

というのも、ヨハネは、マタイ・ルカと同じようなクリスマスを書くことを好まず、独自の考えに基づいてそれを書いたからです。それが、今読んだヨハネ第1章でしたが、その14節「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」の言葉で濃縮型のクリスマスは残したのでした。
しかしそういうことよりも、ヨハネのクリスマスの独自性は、それを天地創造というスケールにまで押し広げたことでした。なぜなら今読んだヨハネ1章1節の「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」は、創世記の冒頭の記事に酷似しているからです。そしてヨハネはクリスマスの出来事を「人間を照らす光」と書きました。ヨハネのクリスマスのキーワードは「光」なのであります。

 ところで、こんな話があります。
むかし、地面のずっと下に暗い洞窟がありました。地面よりはるか下なので、人間の目には見えませんでした。ものすごく深いので、光は入ってきたことがなく、洞窟には光がどういうものか全然わかりませんでした。ある日のこと、太陽から洞窟のもとに招待状がとどきました。それには、上に出てきて、わたしのお客さまになってくださいと書かれていました。
 そこで洞窟は大喜びで地上に出てゆき、太陽のお客さまになりました。そこで洞窟はたいへんびっくりしました。なぜなら、今まで日の光を見たことがなかったからです。そのまぶしさは、すばらしい経験となりました。洞窟は、自分のようなものを招いてくれたことをありがたく思いました。そこで洞窟はお返しに、太陽に招待状を出したのでした。
 太陽はこれまで、暗闇というものを見たことがありませんでした。そこで、招待に応じて、地の底に降りてゆき、洞窟に迎えられました。さて太陽は、一体暗闇とはどんなものだろうかと思いながらまわりを見回しました。何度も何度も見回したのちに、洞窟に質問しました。「暗闇はどこにあるのでしょうか」。

 さて、光と闇のテーマはヨハネにもありました。こう書かれているからです。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(1:5)。ヨハネの独自性はクリスマスと光を強力に結び付けたことです。ところで、クリスマスの時は日照時間が最も短いので、人々は沢山のロウソクや暖炉の光の中でクリスマスを祝うことを好み、それがその後もクリスマスの伝統になっていったのでした。
 ところで、神学的にはヨハネは、闇にしがみつき光を認めない人間を問題にしています。光と闇は神と人間のたとえと言えますが、ヨハネは、人間が固執し続ける闇のただ中に、神が光を送りこむというメッセージを発したのでした。
 ところで、私たちは最後のもう一度Aの時期のことを考えたいと思います。なぜなら、その時期の人々はクリスマスを知りませんでしたが、マルコ福音書はそういうことにはおかまいなく、十字架と復活こそがキリスト教信仰の最大の要であると言ったからです。だからそのことは、Bの時期になってもCになっても、今になっても変わることがないということなのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週11月26日 聖霊降臨後最終主日
説教題:降臨③ツリーの秘密
説教者:白髭義牧師
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11月12日

2023-11-17 13:28:14 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年11月12日(日)
聖霊降臨後第24主日
アモス5:18~24,Ⅰテサ4:13~18,マタイ25:1~13
「クリスマスの起源」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。

今年のクリスマスは、12月3日のアドベント第一主日の日曜日から始まります。少し早いかも知れませんが、私たちもクリスマスのことを考えてみたいと思います。
ところで、クリスマスの話は聖書にもとづいています。受胎告知にしても馬小屋での誕生にしても、福音書に書かれているからです。ところが、それらは全部マタイとルカに書かれていて、マルコやヨハネにはありません。つまり、福音書にはクリスマスがあるのと無いのとに分かれるのです。

さて、クリスマスはそうなのですが、受難物語、つまりイエスの死と復活の話は全福音書にあります。つまりクリスマスがなくても問題にならないのですが、受難物語がなかったら大騒ぎになるからです。
そのことを念頭に、話を進めたいと思います。さて、マルコにはクリスマスがなくて、ルカ、マタイにはありました。それはなぜなのかを考えてみたいのです。なお今回はヨハネを除外し、次回で考えます。そこで残るのは、クリスマスが無いマルコと、有るマタイ・ルカになります。ではなぜそうなったのか。それを考えるには、それぞれの福音書がいつ出来たかを調べる必要があります。そして結論を言うと、歴史上で一番最初に書かれた福音書はマルコで、その次にマタイ・ルカがほぼ同時に書かれました。そして、マルコが書かれた時代にはクリスマスはあまり問題ではありませんでした。ところが、マタイ、ルカが書かれるようになった頃には、クリスマスが急速にクローズアップされるようになっていたのでした。

つまり、二つの時代の間には大きな変化があったのでした。その変化とはグノーシス主義という思想の出現と蔓延でした。ところでこのグノーシス主義についてはキリスト教の学校の授業の教科書にも書かれています。すなわち、「グノーシス主義は初期のキリスト教にとっては最大の敵であった」。またさらに、グノーシス主義の基本的考えは「肉体や物質は悪である」だった。それがキリスト教と結びついて、「悪である物質を創造した旧約聖書の神は新約の神より劣る」となり、さらに「イエス・キリストは天から下った善なるお方であるから、悪である肉体を取ることは不可能だ。」という考えもなりました。しかし、そうなると人間の救いはどうなるのかですが、グノーシス主義はこう教えたのでした。すなわち、悪である肉体を持つ人間は、天からやってきたキリストと交わり、そのことですごい力が与えられ、悪なる肉から解き放たれ、天へと上ってゆける。

教科書にはここまで書かれていました。しかし、その先も必要です。なぜなら、グノーシス主義の教えに魅惑され教会から離れていった人たちがたくさんいたからです。それでは困りますから、教会側も対抗策を考えてグノーシス主義と戦いました。そしてその際武器として用いられたのが「クリスマス」だったのでした。言い換えるなら、そういう時期に書かれたのがマタイとルカだったのでした。ということは、クリスマス物語がこの世に登場したのは、グノーシス主義が盛んだった時期なのでした。

しかし、それにしても、それが戦いの武器として十分だったのか。なぜなら、福音書に書かれたクリスマスは、父親が不明な子どもを産んだ田舎娘の話だったり、悪臭に満ちている家畜小屋で生まれた赤ん坊の話だったりで、知性と教養を好む大都会のグノーシス主義者たちの目には、いかにもダサい話に映ったかもしれないからです。しかし、すべては歴史が証明しました。やがて多くの人が、そのダサい話の福音書を受け入れ、グノーシス主義は日に日に衰えていったからです。

ところで、グノーシス主義とキリスト教の対立点はこうでした。グノーシス主義者たちは、神が人となれば、その悪に染まるので救いは不可能だと言いました。それに対してキリスト教徒は、人間がその深みに沈み込んでいる罪の中に神の子が入ってきたからこそ本物の救いが実現したのだと言いました。

ところで、先ほどの教科書にはこうも書かれていました。「現代のキリスト教の教えは、先人たちが厳しい試練に打ち勝った結果のものである。ところで、今の社会でのキリスト教は、どのような試練に向かい合わなければならないのだろうか」。もちろん、ライオンの穴だけが試練ではありません。思えばグノーシス主義は、当時の知識人たちに人気がある思想でした。しかし、その思想もよくよくながめてみれば、人生の現実からいかに上手に逃げだすかを教えていたにすぎませんでした。ただ、そういう意味であれば、現代のグノーシス主義もありえるのではないかと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次回11月19日聖霊降臨後第25主日
説教題: 「 降誕② ヨハネのクリスマス 」
説教者: 白髭義牧師
 
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11月5日

2023-11-08 15:18:36 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年11月5日(日)
全聖徒主日
黙示録7:9~17,Ⅰヨハネ3:1~3,マタイ5:1~12
「若返りのうす」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 最初にうめぼしの話をいたします。それは私が毎週通っている松崎保育園のことです。園ではお昼の給食の時、ご飯の上には梅干が載っています。そのこと自体は特に珍しくはないと思いますが、その梅干は子どもたちが漬けたものなのです。そんなことで、今年の全国梅干しコンクールに松崎保育園の梅干を出品したところ、特別賞を受賞しました。つい先々週のことです。保育園の園児たちは6月になると梅の実からへたを取り、塩漬けにし、天日干しをし、最後にシソ漬けをします。こうして今年も先月出来上がりました。大人の指導はもちろんありますが、自分たちの手で漬けた梅干なので、子どもたちの気持ちも特別です。お昼の給食の梅干をおいしそうに口にしています。松崎保育園はルーテル教会系なので、ひとこと申し上げました。

さて、本日は亡くなられた方をしのび、また生きている私たちのこれからをも考えるメモリアルデーの全聖徒の日です。
ところである人物が、「老いを受け入れよ」と言いました。この人はスイスの精神科のお医者さんでポール・トゥルニエです。トゥルニエはこう言います。人生は、若い時は実に長く、年を取れば本当に短く思われる。職業もまた終わってしまえば短い。若い時には、誰もやったことのないことを成し遂げようと夢見るが、年をとると夢と現実の違いがはっきりしすぎてしまう。過去の成功も限られたものであり、人生だって終わりに来てみればあまりたいしたものではない。つまり、「老いを受け入れよ」とは「未完成のままに受け入れよ」なのだ。

また、こうも言います。人生は一方通行である。いつでも前に向かって進むのみであるからだ。若い人は今の若さをせいいっぱい生きてほしい。人は人生の各段階を精一杯生きることで十分である。しかし、最後の段階で、自分の衰えをすなおに認めようとしない人がいる。

ところで話は変わりますが、ドイツのレアンダーという童話作家が書いた「若返りのうす」という話があります。こんな話です。
むかし、チューリンゲンのアポルダというところに、ふしぎな若返りのうすがありました。それは、大きなコーヒーひきのようなかたちをしていました。ふたりの職人がいて、おばあさんをうすに入れ横木を押しながら一回りするとどうでしょう。おばあさんは美しい娘さんになって出てくるのです。
あるとき、そのうすの話を聞いてひとりのおばあさんが、遠い村からやってきました。うすひきの職人は住所と名前をきくと何やら大きな帳簿をめくって書き写していましたが、やがてその紙を持っておばあさんのところにやってきました。その紙にはおばあさんが一生の間にやってきたことが一つ残らず書いてあるのです。職人はその紙切れを差し出しながらこういいました。「おまえさんが若返ったなら、ここに書いてあることをひとつ残らず同じ順番で繰り返してもらわなけりゃいけない。その約束を守るために署名をしておくれ」。
おばあさんは自分の一生の記録を見てため息をつきました。そして職人に記録のいくつかを削ってほしいと熱心に頼んでみましたが、ダメでした。どうしてもそのまま繰り返さなければならないというのです。おばあさんはしばらく考えていましたが、しまいにはブツブツいいながら、若返ることをあきらめて村に帰ってきました。そして村に帰るとみんなにこう言いました。「すこしばかり長生きできたところで、それが何になるのかねえ、やれやれ」。

ところで、このおばあさんも、自分の衰えをすなおに認めることができない一人だったかも知れません。トゥルニエは言います。人はなぜ老いを素直に受け入れられないのか。それは、前向きのものが見つからないからである。人は、老いることを外見だけで判断しようとする。しかし大事なのは、自分の内面なのだ。
たしかにおばあさんも、人生には後ろ向きでしたが、ぎりぎりで方向転換が出来ました。美しい娘に生まれ変わったって、つかの間に過ぎない。何の役に立とうか。彼女が人生を直視できた瞬間でした。
トゥルニエは言います。たしかに、老年はほとんどの人間にとってつらいものである。しかしだからこそ、直視しなければならない現実でもある。こののちいくら高齢者問題が解決されようと、老いは残る。それは全員なので重大問題とは言えない。しかし、それでも解決されない問題が残るのだ。

トゥルニエは愛を取り上げます。人生には二通りの愛がある。ひとつは自分のための愛であり、もう一つは無私な愛である。普段この二つは混ざり合っていて見分けがつかないのだが、人生という運命は私たちに、より広い愛かより狭い愛か、どちらかを選べと迫ってくる。
トゥルニエは体験談を語ります。施設で働くある職員が彼にこういいました。「何をしてあげても当然だとしか思わないお年寄りは、何かをしてあげたいと思っている職員のやる気をなくさせるが、感謝の言葉を口にするお年寄りには何でもしてあげたくなります」。ということは、自分を捨てその自分を人に与えようとする愛が育っている老人は、これからを生きる意味を見いだしているのだ。
「老いを受け入れる」とはこういうことかもしれません。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりが一同の上にありますように。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週11月12日 聖霊降臨後第24主日
説教題:「 降誕①大前提 」
説教者:白髭義 牧師




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10月29日

2023-11-01 12:21:15 | 日記
23年10月29日:聖霊降臨後第22主日
エレミヤ31:31~34,ローマ3:19~28,ヨハネ8:31~34
「主の祈り⑯主の祈りとジャズ」
  わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。

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 わたしたちはこれまで、主の祈りについて、幾つかの観点から考えてきました。本日はそのシリーズの最終回として、音楽という観点からそれを眺めてみたいと思います。
ところで、この世にキリスト教音楽と呼べるものがあるとすれば、それは祈りの言葉に曲を付けたものであると言えます。特に、古代とか中世のキリスト教音楽は、教会で行われたミサあるいは礼拝の中から生まれました。キリスト教は他宗教から「お前のところは歌う宗教」だとあざけられたくらい、言葉を音楽にしてしまうのが好きでした。だから祈祷の言葉をぶつぶつ唱えるよりは歌ってしまえということになったのがキリスト教で、歌にあふれた宗教になったのでした。

もちろん、ルールはありました。それは、歌詞は聖書の言葉に限るということでした。聖書から言葉が選ばれ、それに曲が付けられる。それも一つや二つではありませんでした。そういうのであふれかえっているのが礼拝でした。
具体例をあげてみます。ここの教会はルーテル教会ですが、礼拝式文という印刷物が用意されていて、出席者はそれを見ながら始めます。最初すぐに「グロリア」が五線譜付きで出てきます。その中にある言葉は、救い主誕生の夜、天使が歌ったというルカ福音書2章14節の言葉から取られています。
もうひとつ、9頁に楽譜付きの「ヌンク・ディミティス」がありますが、これも救い主の誕生を祝う「シメオンの歌」というルカ2章の言葉が記されています。なおそれらの言葉を見て分かることは、内容は祈りの言葉だということです。つまり、聖書にある祈りの言葉に曲が付いて、それを礼拝に来る人たちが一緒に歌うというのが、そもそものキリスト教音楽だったのでした。

ところで、観察眼の鋭い人はこんな質問をするかも知れません。「この中(式文11頁)には主の祈りもありますが、それには楽譜がありません。なぜですか?」。この質問はもっともです。主の祈りの言葉はマタイ福音書6章9節以下から取られているからで、それならこれにも曲があるはずだと思うのは当然だからです。(なお、その左隣りの教会の祈りに楽譜がないのは、それが聖書の言葉ではないからです)。主の祈りはれっきとした聖書の言葉なのに、それは歌わないというのは変だ。その指摘はまったく正しいのです。

さて、この問題を考えるためには、歴史を千年から千五百年ほどさかのぼらなければなりません。なぜなら大昔のキリスト教は主の祈りをものすごく特別扱いしていたからです。そのため教会は、主の祈りを一般大衆の目から隠していました。ただ洗礼を受ける人には教えましたが、受洗後はそれを他人に教えることは厳禁とされました。そこまで㊙扱いをすれば、その祈りの神秘性が深まると考えたのでしょうか。でも、人間もそうですが、特別扱いしすぎるとかえって問題も生まれます。なお、主の祈りは聖書に書かれているのだから㊙は保てないのではないかと思う人もいるかも知れません。けれども当時の聖書はラテン語でした。一般大衆で読める人は誰もいませんでした。

しかし、宗教改革が起きると、様子が変わりました。なぜなら、ルターは、自国民なら読めるドイツ語で聖書を翻訳したからです。それて、彼は主の祈りの㊙扱いをやめさせました。だから、主の祈りも歌われる環境が整ったのですが、主の祈りは歌わない・唱えるのみという千年以上もの慣習は意外と頑固で、今に至るまで変わっていない。これが指摘に対する返事なのです。

けれども20世紀になると、新しい風が吹き始めたという感じになりました。その風を起こしたのは、デューク・エリントンでした。ジャズが好きな人なら誰でも知っているジャズ界の大御所ですが、彼がニューヨークのカーネギーホールで「主の祈り」というジャズを演奏し大喝采を浴びたからです。
さて、その話を聞いた日本のキリスト教の人たちは、エリントンの主の祈りを日本の讃美歌に入れようと思い立ちました。けれども、それはジャズではないか。猛反対する人たちもいたことでしょう。しかし、「讃美歌21」という新しい本に掲載されました。「ジャズが日本の讃美歌に!」びっくり仰天の大事件でした。

けれども、エリントンと日本との深い縁を知る人なら、反応は別だったはずです。なぜなら、彼が1964年に来日して公演している最中に新潟地震が起きました。すると彼は予定していたすべての公演をキャンセルして、被災者救援のためのチャリティーコンサートを東京で開催し、集めたお金を新潟に届けたのがデューク・エリントンだったからです。
ジェームス・バーダマンというアメリカの音楽評論家は、エリントンのコンサートに来る聴衆は全員白人だったが、彼は自分の黒人性を失うことなく、彼の率いるオーケストラは、黒人の怒り、悲しみ、喜びをミックスして表現していたと書いています。

またバーダマンは、こうも書いています。「(黒人が多く住む)アメリカ南部のスピリットに触れたければ、安酒場で繰り広げられる土曜の夜の音楽と、教会に響きわたる日曜の朝の音楽に耳を傾けることだ」。前日は酒場でジャズに耳を傾けていた人たちと、日曜日に教会で歌う人たちは、同じ人たちなのだというのです。デューク・エリンエリントンの「主の祈り」にもその背景があるのだと想像しながら歌うのもお勧めかもしれません。

なお、エリントンのこの歌で言い添えたいことは、このジャズの讃美歌は子どもたちととても相性が良いと言うことです。それを私は熊本の教会にいた時に身をもって体験しました。実はこの歌は「こどもさんびか」にも載っているのです。今の日本の子どもたちはジャズのリズムをすっかり身につけています。20年後、30年後、さらにその先の讃美歌の在り方を考える人は、ぜひ参考にしていただければと思うものです。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)


次回11月5日 全聖徒主日(召天者記念礼拝)
説教題:「 若返りのうす 」
説教者:白髭 義牧師
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