日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

12月24日

2023-12-28 13:22:51 | 日記
日市教会主日礼拝説教 2023年12月24日(日)
主の降誕主日
サムエル下7:1~11,16  ロマ5:25~27 ルカ1:26~38
「迫害される音楽」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
 
 クリスマスおめでとうございます。ところで、本日私はメンデルスゾーンの話をしたいと思います。でも、「メンデルスゾーンとクリスマスと、何の関係があるの?」と言われるかも知れません。ところが、大いに関係があるのです。それはクリスマスの讃美歌です。明治以来ずっと親しまれてきたクリスマスキャロルの一つがメンデルスゾーンのだからです。それは『あめにはさかえ』という歌です。

高校・大学時代私は教会で、クリスマスがくるたびに仲間とこれを歌いました。歌詞は、「あめにはさかえ、み神にあれや、つちにはやすき人にあれやと」と始まり、「みつかいたちの、たたうる歌を、ききてもろびと、共によろこび」となって、終わりが「今ぞ生まれし君をたたえよ」でした。けれども私は、この歌がメンデルスゾーンの曲だということは、その後もずっと知りませんでした。
ところで、メンデルスゾーンといえば、色々な作品が知られています。中でも、ランキングのベストワンは結婚行進曲でしょう。「新郎新婦、退場!」の掛け声で始まるあの音楽です。あるいは、先週の日曜日に和田朋子さんがここで歌われた「歌の翼に」はわが国ではとてもポピュラーな歌曲です。それと、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は名曲中の名曲と言ってよいでしょう。また『交響曲イタリア』は演奏会でしばしば耳にします。

けれども、本日お話したいのはそういうこととはちょっと違います。ところで、4年前のクリスマスでは、女声合唱団のクール・クールがある歌を歌ってくれました。それはメンデルスゾーンの曲でしたが、私たちが知っているメンデルスゾーンとはかなり違っていました。彼女たちが歌った歌は『モテット』という題ですが、それはともかく。初めて聴く感じの重厚感がある合唱曲でした。しかも、歌の歌詞は聖書の詩編の言葉で出来ていたので、彼女たちが演奏したのはメンデルスゾーンの合唱曲、かつ宗教曲なのでした。(なお、クール・クールの皆さんは、今夜もここで歌ってくださいます。)
しかし、そういう話だけなら、ピンとこない人がほとんどかもしれません。けれども、ここでメンデルスゾーンとバッハとの切っても切れない関係のことを知ったら、話は違ってくるかもしれないのです。さて、それを知るためには、彼の家系図をひもとく必要があります。彼には、ザラ・レヴィ―という大叔母、要するにひいおばあさんがいました。彼女は大変な才媛だったようで、バッハには何人か息子がいましたが、その一人のもとで学び、数々の鍵盤楽器の演奏で舞台にも立ったほどでした。そして、このザラが、晩年になって、メンデルスゾーンというひ孫に出会い、自分の演奏技術とバッハ音楽に関する知識をすべて伝授する気になったのでした。有名な話ですが、彼女はバッハ自筆の楽譜のかなりを所蔵していました。音楽に少々くわしい人の目には、それは大変な宝物に映ることでしょう。ザラはそれらの全てもひ孫に譲ってこの世を去ってゆきました。

メンデルスゾーンはまさにその「大いなる遺産」の受取人になったのですが、幼い頃にひいおばあさんから叩き込まれたバッハ音楽の真髄のほうがもっとお宝でした。はたせるかな、それから十数年たって、人々がまったく忘れてしまっていた『マタイ受難曲』を、合唱団と管弦楽団を率いて演奏し、ドイツのみならずヨーロッパ中をあっと言わせたのでした。

なお、マタイ受難曲は最初から最後まで合唱という合唱曲です。この音楽に深く関わったメンデルスゾーンが、自身も数々の合唱曲を作ったと聞いても、もう驚く人はいないことでしょう。4年前のクリスマスで演奏されたメンデルスゾーンの合唱曲もその一つでしたが、それが合唱曲であったことと、もう一つ大事なことはそれが宗教曲でもあったということです。というのも、マタイ受難曲は誰が考えても宗教曲ですが、クールクールが歌った合唱曲も聖書・詩編の歌だったからです。このことから、メンデルスゾーンとバッハが、目に見えない深いきずなで結ばれていたことが見えてくるのであります。

ところで、メンデルスゾーンはユダヤ人です。ただ、父親の考えで家族全員がキリスト教に改宗し、メンデルスゾーンも地元のルーテル教会の会員となっています。しかし、その時代のヨーロッパには反ユダヤ主義という暗雲が垂れ込めるきざしを見せていました。そしてそれは、メンデルスゾーンの死後50年もするとますます顕著になってきて、ついにドイツにヒットラーという独裁者が現れ、ナチスという政権下でそれはユダヤ人絶滅政策にまで発展してゆきました。そしてそれは音楽界にも影響を及ぼし、メンデルスゾーンを始めとしてユダヤ人の作曲家の作品の演奏はことごとく禁じられました。
20世紀は、一人の独裁者や特定の政治団体の考えで、それぞれの音楽の命運が決まってしまう大変な時代でした。ナチスが崩壊した直後に出来た東ドイツ共産主義政権は、メンデルスゾーンの音楽に「ブルジョア的な悪趣味な音楽」というレッテルを貼り、学校でも子どもたちはそう教えられました。メンデルスゾーンに対する中傷や誹謗はヨーロッパの各地で見られたこともあって、戦後のヨーロッパでのメンデルスゾーン評価は、「メンデルスゾーンは大した音楽家ではない」ということになりがちでした。一方では、イスラエルを建国したユダヤ人たちは、同じユダヤ人のメンデルスゾーンに「裏切り者」というレッテルを貼りました。
しかし私たちは、彼の音楽の評価をその本質から始めることが出来ると思うのです。その本質とは、バッハにまでさかのぼってゆけるもので、そこを見逃さない限りは、いつの時代かまたこの作曲家の真の姿が回復されるはずと思うのです。
メンデルスゾーンは私たちが思う以上にルーテル教会に近い人物です。そのことも、私たち独自の評価に加えてよいのではと思う次第です
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 12月31日)降誕節第1主日
説教題:喜びはむねに
説教者:白髭 義牧師
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12月17日

2023-12-22 12:03:42 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年12月17日(日)
待降節第3主日
イザヤ61:1~4,8~11,Ⅰテサ5:16~24,ヨハネ1:6~8、19~28
クリスマスツリーの謎
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。

 突然の入院で大変ご心配とご迷惑をおかけしました。退院後も体調の回復は意外と時間がかかっていますが、無理だけはしないように努める所存なのでよろしくお願いします。
 ところで先日テレビに、外側から見たドジャース球場が映り、その隣りには天をも突きそうな巨大なクリスマスツリーが立っていました。アメリカは何でも大きいことが好きな国のようです。大型ツリーは、公共施設前の広場やショッピングモールにもあり、大きいだけでなく色々趣向が凝らされていて、見飽きることがありません。一方各家庭ではミニサイズのもみの木が立てられ、家族総がかりで飾りつけをすることがこの国の風習になっています。いまやアメリカは世界的に見てもクリスマス大国であります。

 けれどもアメリカも、最初からそうだったわけではありません。メイ・フラワー号という船でヨーロッパから移住してきた人たちは誰も貧しく、お腹を空かしていたからです。アメリカ人が今のようにクリスマスが祝えるようになるまでには、それから長い時間を要しました。

さて、その時期、ヨーロッパでは興味深いことが起きていました。ひとことで言えば、それはクリスマスツリーの誕生でした。つまり、それまでの人類はクリスマスツリーを見たことがなかったのでした。さて、その出来事はドイツで起きていました。
ところで、それまでも世界の人々は クリスマス自体は祝っておりました。ただそこにクリスマスツリーがないだけでした。そういうことで、ドイツ人はドイツ人なりにクリスマスを祝っていました。ドイツの人たちは、クリスマスになるとお芝居を楽しんでいました。ドイツ人はお芝居が大好きでした。しかし、芝居好きということだけですと、日本人も同じでした。たとえば、今でも島根県や広島県の山間部に行けば、お神楽という見事な伝統のお芝居を観ることが出来ますし、江戸時代には全国各地に芝居小屋が建てられ、旅の役者たちがやってきて、たとえば国定忠治のような出し物で人々を楽しませていたからです。

ただ、ドイツ人の芝居好きにこんな特徴がありました。芝居の出し物は聖書の話と相場が決まっていたからです。そういう芝居が、ドイツではクリスマスの夜に行われたのでした。しかし、聖書ものと言っても聖書には無数の話があります。その中で、民衆がいちばん好んで見ていたのは「失楽園」の話でした。失楽園といえば、エデンの園でアダムとエバが禁じられていた果実を蛇にそそのかされて食べたため、神の怒りに触れ楽園を追放される物語です。そういうお芝居は、何から何まで村人たちの手で運営され、従ってアダムにしてもエバにしても村の人が演じ、蛇も、サタンも、エデンの東の門番のケルビムも誰かが演じていました。そして、それは昔からの長い伝統だったので、舞台にも決まり事があって、失楽園が演じられるときには、赤い実をつけたリンゴの枝が立てられていなければなりませんでした。なぜなら、当時の人々は、アダムとエバが食べた木の実はリンゴであると信じていたからでした。
ただ、そのことには少々難点がありました。なぜなら、芝居が演じられる頃のリンゴの木は葉っぱも全部落ちて丸裸だったからです。しかし、聖書の楽園はみどり豊かな情景だったので、その解決策を人々は密かに考えていました。そしてある日ある人が「木の枝はリンゴでなくてもよいのではないか?」と言いだしました。いちばん大事なことは真っ赤なリンゴが青々と葉が茂る枝になっていることなのだから。

この発想の転換は、多くの人の共感を得ることになり、しばらくするとどの舞台でも、立てられているのはもみの木になっていました。それほど、ドイツではもみの木は誰でも手に入れられたからでした。

ということで、最初のハードルはクリアできましたが、もうひとつのハードルがとありました。それは「リンゴ問題」で、なぜならリンゴはドイツに豊富な果物でしたが、それでも栽培されない地域もあり、かつリンゴもまた不作の年ということがよくあったからです。つまり、全国のどこででも、天候に左右されず安定供給されなくてはこまるということあったからです。それにもうひとつの問題もありました。あのずっしりしたリンゴをもみの若木に取りつけるときの不安定感、正直言って重たすぎる・・・。

しかし、この問題もドイツ人は解決しました。それはガラス製のボールを作り、それをリンゴに見立てることでした。彼らはガラスのボールの内側を硝酸銀でコーティングし、とても軽くてしかも丈夫なボール球(だま)を開発し、最後に赤色で表面加工することで、イミテーションであっても立派なリンゴを造り上げたからです。
すると各国からこの「リンゴ」の注文が入りました。中でも世界一大量の注文をしてきたのはアメリカでした。その時のアメリカはもう貧しさからは脱却していて、豊かさを求め始めていました。だから、クリスマス関連にしても、物質的な面だけでなく、「真のクリスマス」つまりキリスト教信仰にふさわしいグッズが求められ、その白羽の矢を、ドイツ人が開発した「緑のもみの木に赤いリンゴ」という組み合わせに当てたのでした。つまり、これこそ御子の降誕を迎えるクリスチャンにふさわしいものだと直感したからです。

以上が、私たちがよく知るクリスマスツリーの起源(=はじまり)の話でした。もちろん、ドイツ人やアメリカ人が大事にした赤いリンゴは(失楽園の)禁断の木の実をあらわしますが、ういういしい緑のもみの木は、失楽園での人類の罪が生まれた神の子によってあがなわれ、その結果人類は楽園を再び回復するであろう・・・というメッセージとして受け取られたのでした。
なお、あとひとつ、このもみの木にキリストの十字架を見いだしている人もすくなくないことを付け加えたいと思います。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週12月24日 主の降誕主日
説教題:迫害される音楽
説教者:白髭義牧師

クリスマスイブコンサート
女声合唱団:クール・クール
12月24日:18時30分~
   あなたのおいでをまっています 。
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12月10日

2023-12-15 13:59:52 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年12月10日(日)
待降節第2主日
マタイによる福音書1章18~25節
五島のヨセフ
白髭牧師、退院してきましたが肺炎後の体調がまだ戻っていないので今回も昨年度のものを代議員さんに代読していただきました。

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
南米のペルーの12月は夏です。この時期海水温が急上昇することを、土地の漁師はこれをエルニーニョすなわち神の子と呼んできました。なぜなら鰹が大漁となるからで、彼らは御子の誕生のお祝いのプレゼントと考えたからです。

さて、本日の福音はマタイによる福音書1章18節から25節までで、「イエス・キリストの誕生」の物語でした。

ところで、本日の聖書のキーワードはインマヌエルです。23節に「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」と書かれていたそのインマヌエルです。ところで、本日の聖書ではインマヌエルという言葉が出てくる箇所がもう一つありました。それはイザヤ書です。

すなわち、イザヤ書7章14節にも「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」と書かれていたからです。ところで、インマヌエルとはどういう意味かについては、今のマタイ1章の23節に書かれていました。すなわちインマヌエルとは「神は我々と共におられる」なのでした。

さて、本日の私たちは、このイザヤ書とマタイ福音書の双方からインマヌエルを考えると分かりやすくなると思われます。そこでまず、イザヤ書から考えます。預言者イザヤはアハズという王にインマヌエルを訴えました。王は軍事大国である隣国の脅威にさらされ気弱になっていたからです。だからこそインマヌエルだ、ひたすら主なる神を信じなさい。神は必ず救ってくださる。

しかし王はこう言いました。12節です。「私は神を試すようなことはしない」。つまり、苦しい時の神頼みみたいなことは出来ない。いかにももっともな言葉でしたが、イザヤは神の言葉を王に伝達し、王はそれを慇懃無礼(いんぎんぶれい)に断ったのですから、要するにインマヌエル、「神は我らと共に」を拒否していたのです。イザヤはそれを聞いて、「この国を神は捨てる」と預言したのでした。

さて、インマヌエルが聖書に出てくる第二の事例はマタイ福音書でした。その箇所、1章18節以下をもう一度読みます。ヨセフという男に、天使が夢で語りかけた言葉はこうでした。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。ところで、これを聞いた時点ではヨセフとマリアはまだ一緒にはなっていませんでした。ところがそのマリアが身ごもっていたのでした。こう書かれています。「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」。
ヨセフは考えられる限りの最も優しい配慮を彼女に対してしたのでした。ところが、この話を読んだ後世の人々は大誤解をしてしまいます。なぜなら、その人たちは「ヨセフは少しも腹を立てなかった」と理解したからです。

しかし、考えてみたいことは、ヨセフは本当に腹を立てなかったのかであります。さて、19節には「ヨセフは正しい人であった」とも書かれています。正しい人なら、腹も立てない、怒ったりもしないと人々は考えました。
しかし、それが本当なら、聖書の神は怒ったりもするが、それも正しくないのだろうか。それに、聖書は、人に怒りを禁じているのだろうか。
ところで、アメリカにケネス・ベイリーという聖書学者がいます。彼は、今私たちが見ているマタイ1章20節の「このように考えていると」という言葉を取り上げて、この「考える」と翻訳されたギリシア語の動詞には、たしかに「考える」という意味があるのだが、あともう一つ「腹を立てる」という意味もあると書いていました。つまり、翻訳する人はどちらかを選ぶのですが、これまで殆どの翻訳者が「考える」を選んできたのであると言うのでした。しかし、ここは「腹を立てる」と訳すことも出来るのだ。ベイリーは言います。このような話の文脈であれば、ヨセフが腹を立てたことにするのが妥当なのではないだろうか。

さて、ベイリーの考えは大いに参考になります。なぜなら、ヨセフがマリアの妊娠を知っても平然としていたよりも、ものすごく腹を立てた、激怒したとするほうが、しかし彼はそれを克服したと言う意味のほうが、彼の人間性のスケールを思わせてくれるからです。
ところで最後に、インマヌエルをめぐっての二人の男のことを考えてみると、アハズ王はインマヌエルを拒否したために国ごと滅ぼされたのに対して、ヨセフはインマヌエルを受け入れ、マリアを守り、その結果、神の子の誕生という筋道までつけたのでした。しかし、それにしてもこの男は何と物静かなことか、クリスマス物語でヨセフがしゃべるシーンは一つもないからです。

ところで、話は変わりますが、私はツアーで長崎の五島を旅したことがあります。いくつもの教会をめぐったのですが、びっくりさせられることがありました。五島の教会、今はカトリックですが、カトリック教会の会堂には聖母子像の彫刻が安置されていることは珍しくはありません。ところが、五島の教会では聖母子像に替えて、その聖母が男性のヨセフになっていて、その彼が幼子を抱いている彫刻が珍しくなかったからです。

あとで考えたのですが、それは五島だけの話ではないのか。というのも、五島の教会の建物はすべて明治以降に造られましたが、建築資金は島の信徒たちの手になり、彼ら彼女らはその設計段階で、聖ヨセフの像を会堂に置くことを強く希望した。そのように思ってみたいのであります。
なお、調べて分かったことは、教会のヨセフ像は、中田秀和という郷土の美術家が掘ったのでした。ある時五島を旅した女性がこう書いていました。あのヨセフは海で働く男たちがモデルだったに違いない。
以上、本日はマリアの話ではありませんでしたが、クリスマスには、たまにはヨセフにスポットライトを当ててみてはと思うのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週12月17日 待降節第3主日
説教題:クリスマスツリーの謎
説教者:白髭義 牧師

 12月24日はクリスマスイブのコンサートがあります。
開演 12月24日(日)6時30分~
出演 女声合唱団 クール・クール
入場無料 どなたもおいでください
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12月3日

2023-12-05 13:21:57 | 日記
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二日市教会主日礼拝説教 2023年12月3日(日)
待降節第1主日
「まだ時間が」とは思わない

白髭牧師、入院中の為昨年のアドベント第1主日の礼拝説教を
代議員さんが代読されました。

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週の木曜の朝の松崎保育園で、子どもたちにお話を始めようとしたら、女の子が大あくびをしました。さては、この子は、昨夜、サッカーW杯のテレビ観戦をしていた親につきあって、ずっと目を覚ましていたに違いないと思いました。

さて、本日の福音はマタイによる福音書24章36節から44節までで、見出しは「目を覚ましていなさい」で、イエスによるたとえ話でした。ポイントは42節です。「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」。

こんな話があります。ある日サタンは、見習い中の悪魔たちに、人間をどのぐらいダメに出来るかという最終テストのため地上に派遣しました。さて、それが終わって帰ってきた悪魔たちにサタンは、お前たちはどんなことをしたのか聞きました。すると一番目の悪魔が言いました。「神はいないと教え込みました」。それを聞いたサタンは言いました。「それは成功しないかも。人は神を信じなくても、いつも意識はしているからだ」。二番目が言いました。「地獄は存在しないと吹聴しました」。するとサタンは言った。「それもどうかな。というのも、人は悪を重ねるたび地獄を見ているからだ」。さて、三番目が言いました。「私は人間に、大丈夫、時間はまだあると錯覚させる努力をしました」。するとサタンは言いました。「お前は合格だ」。

さてこれはイエスのたとえにも通じます。イエスも、時間はまだあると思っている人間へ警告をしていたからです。「だから、目を覚ましていなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」。イエスはその考えを愛の教えに適用しました。今愛さねばならないのに、「時間はある。あしたでも大丈夫」と思ってはならない。「明日では遅すぎる」というのが彼の教えの基本だからです。

ところで、私たちは本日から、クリスマスの準備をするアドベントの期間に入ります。なお、クリスマスは日本人の心には住み着いており、特定の宗教や団体だけのものではなくなっています。それにクリスマスにはさまざまなキャラクターもあり、それぞれがストーリーを持っていて想像力をかきたててくれます。ところで、クリスマスキャラクターなら代表格はマリアかもしれません。

話は変わりますが、20年前私は12月に、愛知県豊田市にいました。そこにあるルーテル教会の幼稚園がクリスマス劇のリハーサルをするというので見に行ったのでした。さて、ステージにはマリア役のとても可愛い女の子が夫のヨセフと共にいました。そこに三人の博士が登場して、それぞれが持参してきた品物を二人の前に順番に置いて行ったのでした。

ところが、おそらく博士の一人が言われた通りのことをしなかったのでしょう、怒った彼女は贈り物を蹴ったのでした。西暦2000年の12月でした。私は、「これが21世紀のマリア像だろうか」と思ってしまいました。
それはさておき、クリスマスのマリアは紀元一世紀の女性です。つまり、親からマリアという名前をもらった女の子でした。もちろん、女の子の名前はそれ以外にもありました。たとえば、サロメとかスザンナのように。聖書には、サラとかデボラとかナオミとかハンナのように色々出てきます。その中の一つがマリアでした。また、マリアはイエスの母の名前だけではありませんでした。福音書には、マグダラのマリアもべタニアのマリアもいますし、マルタという女性の妹もマリアです。だから、マリアと言うだけでは、どのマリアかわかりません。イエスの母マリアはナザレのマリアと呼ばれました。

しかし、それにしても、聖書にはマリアという名前がたくさん出てくるのは事実です。そこである学者が、イエスの時代にはマリアという名前の女性はどのくらいいたのかという調査をしました。この興味深い学術調査の結果判明したことは、当時の女性は4人に一人がマリアだったということでした。

なお、明治生命は、その年生まれた子供の名前を男女別に調査し、多い順でランキングを発表しています。それを見て分かることは、1960年代に一番多かった女の子の名前は「由美子」でした。そのあと70年代が「陽子」、80年代は「愛」と変化していました。要するに、時代ごとに人気の名前があったのでした。

さてそれは、聖書の土地のパレスチナも同じでした。だから、学術調査も示すように、イエス時代に一番人気なのはマリアだったのでした。日本の由美子、陽子、愛も人気の理由があるはずですが、マリアの人気も理由があるのでした。

ところで、イエスの生きた時期を含む当時のユダヤの国の最高権力者の名前はヘロデでした。しかし、ヘロデは政治的手腕はあったが残虐非道な人間で、家族すら容赦なく殺したので、国民で彼を愛する人は一人もいませんでした。ところが、彼の妃が対照的に国民から愛されていました。なお、ヘロデは外国人で、ユダヤ人の目からは異教徒でした。それに対して妃のほうは由緒正しいユダヤの王家の血筋を引く女性でした。そして、この王女の名前がマリアなのでした。

このためユダヤ人はヘロデを心の底から忌み嫌い、反対にマリア王妃を残されたユダヤ人のための唯一の希望として愛したのでした。ところが、ヘロデは結婚の8年目にこの妻を殺害したのでした。このため、国民はますますヘロデを憎み、ますますマリアという名を心に深く刻み付けるようになりました。そのため生まれた女の子にマリアと名付ける人もどんどん増えて、今の調査にも見るように、マリア人気が最高に高まっていた頃に、やはりマリアという名前の女性がイエスという子どもを産んでいたのでした。

しかし、これはヘロデによる恐怖政治が敷かれていた時代の話です。その時生まれた女の子にマリアの名を付けた人たちの思いには、平和への祈りがこめられていたのではと考えてみたいのであります。
本日からクリスマスまでの期間を黙想の内に過ごしてまいりたいものです。
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