日市教会主日礼拝説教 2023年12月24日(日)
主の降誕主日
サムエル下7:1~11,16 ロマ5:25~27 ルカ1:26~38
「迫害される音楽」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
クリスマスおめでとうございます。ところで、本日私はメンデルスゾーンの話をしたいと思います。でも、「メンデルスゾーンとクリスマスと、何の関係があるの?」と言われるかも知れません。ところが、大いに関係があるのです。それはクリスマスの讃美歌です。明治以来ずっと親しまれてきたクリスマスキャロルの一つがメンデルスゾーンのだからです。それは『あめにはさかえ』という歌です。
高校・大学時代私は教会で、クリスマスがくるたびに仲間とこれを歌いました。歌詞は、「あめにはさかえ、み神にあれや、つちにはやすき人にあれやと」と始まり、「みつかいたちの、たたうる歌を、ききてもろびと、共によろこび」となって、終わりが「今ぞ生まれし君をたたえよ」でした。けれども私は、この歌がメンデルスゾーンの曲だということは、その後もずっと知りませんでした。
ところで、メンデルスゾーンといえば、色々な作品が知られています。中でも、ランキングのベストワンは結婚行進曲でしょう。「新郎新婦、退場!」の掛け声で始まるあの音楽です。あるいは、先週の日曜日に和田朋子さんがここで歌われた「歌の翼に」はわが国ではとてもポピュラーな歌曲です。それと、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は名曲中の名曲と言ってよいでしょう。また『交響曲イタリア』は演奏会でしばしば耳にします。
けれども、本日お話したいのはそういうこととはちょっと違います。ところで、4年前のクリスマスでは、女声合唱団のクール・クールがある歌を歌ってくれました。それはメンデルスゾーンの曲でしたが、私たちが知っているメンデルスゾーンとはかなり違っていました。彼女たちが歌った歌は『モテット』という題ですが、それはともかく。初めて聴く感じの重厚感がある合唱曲でした。しかも、歌の歌詞は聖書の詩編の言葉で出来ていたので、彼女たちが演奏したのはメンデルスゾーンの合唱曲、かつ宗教曲なのでした。(なお、クール・クールの皆さんは、今夜もここで歌ってくださいます。)
しかし、そういう話だけなら、ピンとこない人がほとんどかもしれません。けれども、ここでメンデルスゾーンとバッハとの切っても切れない関係のことを知ったら、話は違ってくるかもしれないのです。さて、それを知るためには、彼の家系図をひもとく必要があります。彼には、ザラ・レヴィ―という大叔母、要するにひいおばあさんがいました。彼女は大変な才媛だったようで、バッハには何人か息子がいましたが、その一人のもとで学び、数々の鍵盤楽器の演奏で舞台にも立ったほどでした。そして、このザラが、晩年になって、メンデルスゾーンというひ孫に出会い、自分の演奏技術とバッハ音楽に関する知識をすべて伝授する気になったのでした。有名な話ですが、彼女はバッハ自筆の楽譜のかなりを所蔵していました。音楽に少々くわしい人の目には、それは大変な宝物に映ることでしょう。ザラはそれらの全てもひ孫に譲ってこの世を去ってゆきました。
メンデルスゾーンはまさにその「大いなる遺産」の受取人になったのですが、幼い頃にひいおばあさんから叩き込まれたバッハ音楽の真髄のほうがもっとお宝でした。はたせるかな、それから十数年たって、人々がまったく忘れてしまっていた『マタイ受難曲』を、合唱団と管弦楽団を率いて演奏し、ドイツのみならずヨーロッパ中をあっと言わせたのでした。
なお、マタイ受難曲は最初から最後まで合唱という合唱曲です。この音楽に深く関わったメンデルスゾーンが、自身も数々の合唱曲を作ったと聞いても、もう驚く人はいないことでしょう。4年前のクリスマスで演奏されたメンデルスゾーンの合唱曲もその一つでしたが、それが合唱曲であったことと、もう一つ大事なことはそれが宗教曲でもあったということです。というのも、マタイ受難曲は誰が考えても宗教曲ですが、クールクールが歌った合唱曲も聖書・詩編の歌だったからです。このことから、メンデルスゾーンとバッハが、目に見えない深いきずなで結ばれていたことが見えてくるのであります。
ところで、メンデルスゾーンはユダヤ人です。ただ、父親の考えで家族全員がキリスト教に改宗し、メンデルスゾーンも地元のルーテル教会の会員となっています。しかし、その時代のヨーロッパには反ユダヤ主義という暗雲が垂れ込めるきざしを見せていました。そしてそれは、メンデルスゾーンの死後50年もするとますます顕著になってきて、ついにドイツにヒットラーという独裁者が現れ、ナチスという政権下でそれはユダヤ人絶滅政策にまで発展してゆきました。そしてそれは音楽界にも影響を及ぼし、メンデルスゾーンを始めとしてユダヤ人の作曲家の作品の演奏はことごとく禁じられました。
20世紀は、一人の独裁者や特定の政治団体の考えで、それぞれの音楽の命運が決まってしまう大変な時代でした。ナチスが崩壊した直後に出来た東ドイツ共産主義政権は、メンデルスゾーンの音楽に「ブルジョア的な悪趣味な音楽」というレッテルを貼り、学校でも子どもたちはそう教えられました。メンデルスゾーンに対する中傷や誹謗はヨーロッパの各地で見られたこともあって、戦後のヨーロッパでのメンデルスゾーン評価は、「メンデルスゾーンは大した音楽家ではない」ということになりがちでした。一方では、イスラエルを建国したユダヤ人たちは、同じユダヤ人のメンデルスゾーンに「裏切り者」というレッテルを貼りました。
しかし私たちは、彼の音楽の評価をその本質から始めることが出来ると思うのです。その本質とは、バッハにまでさかのぼってゆけるもので、そこを見逃さない限りは、いつの時代かまたこの作曲家の真の姿が回復されるはずと思うのです。
メンデルスゾーンは私たちが思う以上にルーテル教会に近い人物です。そのことも、私たち独自の評価に加えてよいのではと思う次第です
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 12月31日)降誕節第1主日
説教題:喜びはむねに
説教者:白髭 義牧師
主の降誕主日
サムエル下7:1~11,16 ロマ5:25~27 ルカ1:26~38
「迫害される音楽」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
クリスマスおめでとうございます。ところで、本日私はメンデルスゾーンの話をしたいと思います。でも、「メンデルスゾーンとクリスマスと、何の関係があるの?」と言われるかも知れません。ところが、大いに関係があるのです。それはクリスマスの讃美歌です。明治以来ずっと親しまれてきたクリスマスキャロルの一つがメンデルスゾーンのだからです。それは『あめにはさかえ』という歌です。
高校・大学時代私は教会で、クリスマスがくるたびに仲間とこれを歌いました。歌詞は、「あめにはさかえ、み神にあれや、つちにはやすき人にあれやと」と始まり、「みつかいたちの、たたうる歌を、ききてもろびと、共によろこび」となって、終わりが「今ぞ生まれし君をたたえよ」でした。けれども私は、この歌がメンデルスゾーンの曲だということは、その後もずっと知りませんでした。
ところで、メンデルスゾーンといえば、色々な作品が知られています。中でも、ランキングのベストワンは結婚行進曲でしょう。「新郎新婦、退場!」の掛け声で始まるあの音楽です。あるいは、先週の日曜日に和田朋子さんがここで歌われた「歌の翼に」はわが国ではとてもポピュラーな歌曲です。それと、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は名曲中の名曲と言ってよいでしょう。また『交響曲イタリア』は演奏会でしばしば耳にします。
けれども、本日お話したいのはそういうこととはちょっと違います。ところで、4年前のクリスマスでは、女声合唱団のクール・クールがある歌を歌ってくれました。それはメンデルスゾーンの曲でしたが、私たちが知っているメンデルスゾーンとはかなり違っていました。彼女たちが歌った歌は『モテット』という題ですが、それはともかく。初めて聴く感じの重厚感がある合唱曲でした。しかも、歌の歌詞は聖書の詩編の言葉で出来ていたので、彼女たちが演奏したのはメンデルスゾーンの合唱曲、かつ宗教曲なのでした。(なお、クール・クールの皆さんは、今夜もここで歌ってくださいます。)
しかし、そういう話だけなら、ピンとこない人がほとんどかもしれません。けれども、ここでメンデルスゾーンとバッハとの切っても切れない関係のことを知ったら、話は違ってくるかもしれないのです。さて、それを知るためには、彼の家系図をひもとく必要があります。彼には、ザラ・レヴィ―という大叔母、要するにひいおばあさんがいました。彼女は大変な才媛だったようで、バッハには何人か息子がいましたが、その一人のもとで学び、数々の鍵盤楽器の演奏で舞台にも立ったほどでした。そして、このザラが、晩年になって、メンデルスゾーンというひ孫に出会い、自分の演奏技術とバッハ音楽に関する知識をすべて伝授する気になったのでした。有名な話ですが、彼女はバッハ自筆の楽譜のかなりを所蔵していました。音楽に少々くわしい人の目には、それは大変な宝物に映ることでしょう。ザラはそれらの全てもひ孫に譲ってこの世を去ってゆきました。
メンデルスゾーンはまさにその「大いなる遺産」の受取人になったのですが、幼い頃にひいおばあさんから叩き込まれたバッハ音楽の真髄のほうがもっとお宝でした。はたせるかな、それから十数年たって、人々がまったく忘れてしまっていた『マタイ受難曲』を、合唱団と管弦楽団を率いて演奏し、ドイツのみならずヨーロッパ中をあっと言わせたのでした。
なお、マタイ受難曲は最初から最後まで合唱という合唱曲です。この音楽に深く関わったメンデルスゾーンが、自身も数々の合唱曲を作ったと聞いても、もう驚く人はいないことでしょう。4年前のクリスマスで演奏されたメンデルスゾーンの合唱曲もその一つでしたが、それが合唱曲であったことと、もう一つ大事なことはそれが宗教曲でもあったということです。というのも、マタイ受難曲は誰が考えても宗教曲ですが、クールクールが歌った合唱曲も聖書・詩編の歌だったからです。このことから、メンデルスゾーンとバッハが、目に見えない深いきずなで結ばれていたことが見えてくるのであります。
ところで、メンデルスゾーンはユダヤ人です。ただ、父親の考えで家族全員がキリスト教に改宗し、メンデルスゾーンも地元のルーテル教会の会員となっています。しかし、その時代のヨーロッパには反ユダヤ主義という暗雲が垂れ込めるきざしを見せていました。そしてそれは、メンデルスゾーンの死後50年もするとますます顕著になってきて、ついにドイツにヒットラーという独裁者が現れ、ナチスという政権下でそれはユダヤ人絶滅政策にまで発展してゆきました。そしてそれは音楽界にも影響を及ぼし、メンデルスゾーンを始めとしてユダヤ人の作曲家の作品の演奏はことごとく禁じられました。
20世紀は、一人の独裁者や特定の政治団体の考えで、それぞれの音楽の命運が決まってしまう大変な時代でした。ナチスが崩壊した直後に出来た東ドイツ共産主義政権は、メンデルスゾーンの音楽に「ブルジョア的な悪趣味な音楽」というレッテルを貼り、学校でも子どもたちはそう教えられました。メンデルスゾーンに対する中傷や誹謗はヨーロッパの各地で見られたこともあって、戦後のヨーロッパでのメンデルスゾーン評価は、「メンデルスゾーンは大した音楽家ではない」ということになりがちでした。一方では、イスラエルを建国したユダヤ人たちは、同じユダヤ人のメンデルスゾーンに「裏切り者」というレッテルを貼りました。
しかし私たちは、彼の音楽の評価をその本質から始めることが出来ると思うのです。その本質とは、バッハにまでさかのぼってゆけるもので、そこを見逃さない限りは、いつの時代かまたこの作曲家の真の姿が回復されるはずと思うのです。
メンデルスゾーンは私たちが思う以上にルーテル教会に近い人物です。そのことも、私たち独自の評価に加えてよいのではと思う次第です
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 12月31日)降誕節第1主日
説教題:喜びはむねに
説教者:白髭 義牧師