日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

5月26日

2024-05-29 16:25:00 | 日記
イザヤ書6:1~8、ローマ8:12~17、ルカ7:36~50
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年5月26日(日)

イエスと女性たち―その5
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 「イエスと女性たち」というテーマで、聖書を読んでいます。今回は、ルカ福音書7章36節から50節までの「罪深い女を赦す」という話を取り上げます。ファリサイ派のシモンの家で起きた出来事になっていますが、まず話の背景というのを見ておきたいと思います。

 イエスはガリラヤ地方を歩き、神の国の宣教を続けていました。ガリラヤは農村地帯で、町や村はその中に点在する感じでした。個々の町村の人口も、南の大都会エルサレムに較べると取るに足りないくらいわずかなものでしたが、それでもユダヤ教の会堂がどこでも見られ、人々は安息日には礼拝を守り、また田舎暮らしであっても、聖書の学びは大切にしていました。
従って、本日イエスが訪れた町にもファリサイ派がいたのでした。ファリサイ派は聖書の教えを民衆に分かりやすく解説する人たちで、どの町でも敬われていました。本日、イエスを食事に招いたのもファリサイ派の一人なのでした。
 さてイエスは、招待された家に入ってゆきました。こういう場合、招待した側は、やってきた客人への挨拶を、一つも欠かさず厳密に実行したのちに、その人を食卓に案内するのでした。ところで、その場には、招待されてない町の人間も詰めかけていました。中東の家屋はその構造が開放的なので、宴会をのぞき見したいと思う者は勝手に土間に入って来たからです。そしてそういう人たちの中にいわゆる「罪深い」女もいたのでした。ところで、罪深いの意味は何だったのか。聖書はそれについては何も言いません。注解書などを見ると、彼女は娼婦であるとされています。しかし、田舎であるこの地方の町や村に娼婦がいたとは、いかにも変です。娼婦とは、女性がやむにやまれぬ事情から選択する仕事でしたが、その仕事で生計を成り立たせるためには、田舎という土地柄は不都合だったからです。
なぜなら、娼婦が生きてゆける環境はエルサレムのような大きな町、都会だったからです。そこに行けば身が寄せられる遊郭があり、薄暗い一角を目指して男たちがやってくるのでした。だから、この女をどうしても娼婦と呼ばなければならないのであれば、以前は大都会でそうだったが、今はそれを捨てこの町に住み着いている女と解するのがよいかと思われます。しかし、人々は彼女を前科者のように、罪深い女と言い慣わしていたのでした。

 それはともかく、彼女も町の人たちと一緒になってシモンの家の土間で、宴席の様子を見ていました。しかし彼女がそこで見たのは、客の一人であるイエスが、主人から受けることになっているはずのもてなしの挨拶をまったく受けることが出来なかったことでした。女は憤った。「これ何なの? まるで大人のいじめじゃないの」。なお、イエスもあとでシモンにこう言っています。「あなたは足を洗う水をくれなかった、接吻の挨拶もなかった、頭に油も塗ってくれなかった」。そのあまりにも無礼な仕打ちを彼女は目撃したのでした。そこで、立ち上がり行動した。すなわち、彼の足を自分の涙で洗い、髪の毛でそれをぬぐい、その足に接吻し、オリーブ油を塗ったのでした。まさに、主人のシモンがしなかったことを、代わって彼女がしたのでした。

 ところで、オリーブ油は本来頭に塗るものでした。それを彼女が足に塗ったのにはわけがありました。なぜなら、シモンの家だけでなく、宴会の客人は身を横たえて、片腕で体を支え、もう片方で食事をつまんで食べるというスタイルを取っていたからです。笹栗にあるお寺・南蔵院の巨大なお釈迦さまの涅槃像も横たわっていますが、それと同じ格好をこの時イエスもしていたのでした。だから女は近づきたくても頭のほうは無理で、やむをえず足もとに近づき油を塗ったのでした。足なら外側に突き出ていたからです。

 ところで、イエスはシモンに質問しました。AとBの二人の人間がいた。二人は主人に借金をしていたが、二人とも返済が不可能だった。そこで主人は二人の借金を帳消しにした。Aは五千万円、Bは五百万だった。さてこのあと、AとBではどちらが主人を深く愛するようになったか?」そこでシモンは即座に答えた。「Aです」。イエスは言った。「あなたの答は正しい」。
 さて、シモンはなぜほめられたのか。もちろんこれはひっかけ問題でした。というのも、質問された彼はファリサイ派なので、誰よりも聖書をよく知っている、書かれている神の命令も熟知していると自負する人間だったからです。従ってイエスが質問した神を愛することについても誰にも負けない自信がありました。だから、Aが主人を最も多く愛したのならAは自分のことに他ならないと思ったからです。ところが、この質問には裏がありました。なぜなら、そのAの罪はBとはくらべものにならないほど重大で悪質だったからで、それも自分であると認める結果になったからでした。いずれにしても、本日の物語のポイントはこの男の罪を明らかにすることであって、女をさらし者にすることではありませんでした。それどころか、イエスに忠誠心を示す、信仰と勇気の女性として語られていたのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 6月2日 聖霊降臨後第2主日
説教題:イエスと女性たち その6
説教者:白髭義 牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月26日

2024-05-22 14:20:47 | 日記
使徒言行録2:1~21、ローマ8:22~27、ヨハネ7:53~8:11
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年5月19日(日)

「イエスと女性たち―その4」
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 キリスト教の祝福の言葉に、「聖霊の親しき交わりがあるように」というのがあります。聖霊は親しい交わりを生み出すと考えられているからです。本日の聖霊降臨日もそのような聖霊が降り注いだ出来事が記念されています。

さて私たちは、聖書に記されるイエスと出会った女たちのことを考えています。今回は、ヨハネ福音書にある姦淫の女の話を考えたいと思います。
 ところで、この話はいま見たようにヨハネ7章の53節から8章11節までです。なおこれは、西欧の美術でもしばしば取り上げられました。そしてそのような絵に登場するのは、イエスと女、それに聖書出てきた民衆や律法学者、ファリサイ派の人間です。ただ、この話を一枚の絵に納めるには無理があると感じられます。なぜなら、話のイエスは、最初立っていますが、途中でかがみこみ何かを書いています。しかしまた立ち上がり「自分に罪がないと思う者だけ女に石を投げよ」と言います。言い終るとまたかがみ込んで再び何かを書いた。 つまり、立っているイエスとしゃがんだイエスの二とおりがあって、画家はどちらかを選んだはずなのです。そういうことも頭に入れて絵を見るのも面白いかもしれません。

 なお、鑑賞のポイントはもうひとつあります。聖書ではイエスはかがみ込んで、指で何かを書きましたから、人々の足もとの状態もチェックが必要になると思うからです。たとえば、レンブラントの『姦淫の女』の絵を見ると、イエスや女がいる場所は、大理石とかの石で舗装されています。ところが、プッサンという画家の『姦淫の女とイエス』の場合、場所は土の上、地面です。そこにイエスが指で書いた文字があって、それを何人もの人がのぞいて読んでいるという構図です。この違いを興味深く見る人は、間違いなく聖書を読んでいる人なのです。
 なお、聖書を前の7章から読めば分かるのですが、話の舞台はエルサレム神殿の境内です。神殿は荘厳な建造物で、無数の大理石が使用されていました。その意味ではレンブラントは大理石でしたが、神殿に中庭があったことを知っていたプッサンは舞台に中庭に設定し、そこは舗装されてないと見なし、土が見える絵にしたのでした。結果プッサンはレンブラントより聖書に忠実な絵が描けたのでした。

 ところで、イエスは土の上に指で何と書いていたのか、誰もが関心を抱くことです。しかし、聖書はそれをまったく教えようとしません。多くの聖書学者たちがその解明に努力してきたし、今も努力しています。
その中で、ケネス・ベイリーというアメリカの聖書学者がいて、こんなことを書いています。イエスが書いていたのは律法つまり聖書の言葉であろう。ところで、イエスが書いたのは、学者や宗教家が、女は律法の規定どおり死刑にすべきと叫んだ時だった。ゆえに、イエスが書いたのは、死刑に関する律法の条文だったと考えられる。さて、女は姦通罪だった。律法の規定では姦通罪は死刑だった。聖書でどう言われているかが誰にもわかるよう、イエスはそれを土の上に自分の指で大書きしたのであろう。それによると、やはり死刑だった。このケースで律法に忠実であることは、死刑を執行することであった。従ってイエスは、死刑反対論を主張しようとしたのでは、まったくないのである。ただし、それには厳しい条件もあった。それは、律法に書かれたことを実行する者は、自分自身が律法に照らして正真正銘潔白であらねばならないということだった。

さてこのあとイエスは、お偉方たちに「あなたたちの中で罪を犯したことがない者がこの女に石を投げなさい」と言いました。注意したいことは、彼は決して「石を投げるな」とは言わなかったことです。しかし、「投げなさい」と言われたのに、投げた者は誰もいなかったのでした。

それでは、イエスが土の上に書いたと思われる律法の条文を眺めてみたいと思います。旧約のレビ記の20章10節です。お手元の聖書の194頁上の段の第10節のことですが、こうなっています。「人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者は、姦淫した男も女も共に必ず死刑に処せられる」。そのとおり、男も女もなのでした。しかしイエスの前にいるのは女だけでした。彼等は、男はこっそり見逃していたのだった。たとえそれが当時の社会通念であっても、イエスは許さなかった。男をお咎めなしとした彼らは、イエスの目には重大な律法違反を犯していたのでした。しかし、女だけを逮捕したのは、律法の専門家と呼ばれる人間たちだった。律法違反は数ある罪の中でも最大の罪のはずでした。そこでイエスは、罪を犯していない者が石を投げよ、と言った。だが、誰一人石は投げませんでした。

ところでイエスは、女に「あなたの罪は赦された」とは言っていません。彼が言ったのは「もう罪を犯してはならない」だったからです。家庭持ちの男と家庭持ちの女が交わす姦通は、双方の家庭を悲惨な結果に陥らせる許しがたい罪であるととらえていたのがイエスだったからです。この物語は、出会った女性たちの中でイエスがもっとも厳しい言葉を投げかけた事例なのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 5月26日 三位一体主日
説教題:イエスと女性たちーその5
説教者:白髭義 牧師 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月12日

2024-05-16 12:05:09 | 日記
使徒言行録1:15~17、21~26、ヨハネの手紙一5:9~13、マルコ7:24~30
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年5月12日(日)

「イエスと女性たち―その3」
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週まで、説教の題を「イエスに従った女性たち」としていましたが、今回から「イエスと女性たち」に改めさせていただきます。「従った」つまり弟子になった女性ばかりではないからです。
さて本日取り上げる「シリア・フェニキアの女」も、イエスに従った女性ではありません。けれども、彼女は他の女性たちがしなかったことをしたという意味で、重要な人物なのです。なぜなら、あとで見ますが、彼女はイエスを言い負かしたからで、こんな女性はいくらさがしてもほかには見当たらないからです。
しかしまず、話の全体を見ておきたいと思います。話は、イエスがティルスという土地にやってきたことから始まります。なお、ティルスとか、このあと出てくるシリアとかフェニキアという地名は、聖書の最後にある付録の「聖書地図」第8番「パウロの宣教旅行」という地図に出てくるのでご参照ください。本日の話の舞台となったのは異邦人が多く住む地域でした。そこに「汚れた霊に取りつかれた幼い娘」の母親が登場しますが、彼女はシリア・フェニキアの出身でギリシア人でした。その彼女がイエスを訪ねて来たことから話は始まりました。

さて、女は来るとすぐ足もとにひれ伏し「幼い娘が汚れた霊に取りつかれて苦しんでいます。悪霊を追い出してください」と頼みました。それは必死の願いでしたが、イエスの返事は「子どもたちのパンを取って、子犬にやってはいけない」でした。つまり、母親の切なる願いを拒絶したのでした。
けれども、この拒絶にはそれ相応の理由がありました。なお悪霊に取りつかれる病気とは、今で言うなら癇癪の発作ですし、その病気をイエスが治したケースは珍しくありません。いつものイエスなら、母親の案内で家に行って娘を治したことでしょうが、本日はそれが出来ないのでした。

なぜなら、イエスたちユダヤ人にとってはギリシア人の彼女は異邦人だったからです。そのため、双方の間には厳しい壁が立ちはだかっていたのでした。というのも、そういうのが宗教の掟、神が定めたことと考えられていたからです。イエスは宗教的にもいい加減な人間ではなく、教えをよく守っていました。しかし、宗教的に正しいことは、色々ジレンマを伴うことでもありました。
なぜなら、異邦人の女性がイエスに願ったことは、その壁を乗り越えてこちらに来てください、と言ったに等しかったからです。つまり、掟を破ってでも来てほしいと言っているわけで、掟を忠実に守っていたイエスの立場はどうだったかということがあるからです。
さて、ここから女とイエスの間にバトルが始まります。なぜなら、イエスの「子どものパンを子犬に与えてはならぬ」に対して女の「しかし、食卓の下の子犬も、子どものパン屑はいただきます」という反撃が繰り出されたからです。イエスにとっては、女のパンチは衝撃でした。彼は言います。「よろしい、家に帰りなさい、悪霊はもう娘から出て行った」。つまり、女の手を取って高々と挙げ、彼女の勝利を宣言したのでした。

けれども、実のところ、この話は多くの人の頭を悩ませてきました。皆がいちばん引っかかったのは、イエスが女の願いを拒絶したという話でした。かなり多くのクリスチャンは、イエスは最初から完成された人間と見なす傾向があります。その人たちは、異邦人女性の願いを拒絶するイエスは受け入れがたいのです。そういう人が多いために、教会や学者たちは妥協案を考えました。それは、イエスはこの女性の信仰を試みたのであるというものでした。つまり、女の信仰を確かめるためにわざとテストをしたのである。その結果彼女はそれにパスをしたという話だったのである。従って、イエスは本気で拒絶はしていない。という具合にです。
いずれにしても、幼い娘が病気の母親の願いをイエスが拒絶するなど、信じられない、聞きたくもない。なぜなら、イエスさまはおやさしい方で、異邦人にも、女性たちにも親切で、病気の子どもは真っ先に直してくださった。この、イエス・イメージを崩しかねないのが今のマルコ7章の話だったのでした。

しかしこれは、二千年も前の、中東で起きた出来事です。そこに生きたイエスがその時期の男性たちと全く違う宇宙人のような価値観や宗教観を抱いていたとは考えにくいことで、今の話のように異邦人そして女性に対する態度が冷たかったことは、ユダヤ人男性としては普通のことだったと理解することが大事なのです。
熱心な人ほど、「イエスさまに限ってそんなはずがない」という思いが強いかもしれませんが、「キリストは、神と等しいことに固執しようとは思わず、自分を無にして、人間の姿になられました(フィリ2:6)」と書かれているように、イエスは、自分は特別という意識は持たないで、ユダヤ人の男性として生きていたのであれば、今の拒絶は、他の男性たちもしていたことなのでした。
だから、ギリシア人女性は、イエスもユダヤ人男性という限界を背負っていることをよく知っていたはずでしたが、にもかかわらず彼女は、イエスに対して挑発的な態度を取ったのでした。すなわち、自分たちの間を隔てている壁を乗り越えてきてください…。病気の娘がいたからこそ、イエスから癒しが貰えるか貰えないかは命がけで、たとえ彼から犬扱いされてもたじろがず、むしろそれを逆手に取って事態をひっくり返してしまった離れ業に、イエスはただただ驚くのみでありました。
だから最後に女に対して、「それほど言うなら、よろしい、家に帰りなさい。」と言えたのも、それが心地よい敗北宣言だったからでした。相撲で言えば、女が寄り切りで、その瞬間悪霊は出てしまっていたのでした。

さて、本日の話のスポットライトは終始彼女に当てられていました。今見てきたように、彼女は、ユダヤ人男性の誰もが不可能と思っていた壁の乗り越えを、イエスにさせるという驚きのわざを見せたのでした。そうは言っても、彼女は、自分は必ずイエスの力にあずかれると固く信じていたからこそ、それが出来たのでした。イエスをそこまで見抜けたことが彼女の信仰そのもので、自分も娘もその全てを委ねてしまったこの女性は、私たちにとっても、学べることが少なくないのではと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 5月19日 聖霊降臨(ペンテコステ)
説教題:イエスと女性たち その4
説教者:白髭義 牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月5日

2024-05-08 14:39:37 | 日記
使徒言行録10:44~48、ヨハネの手紙一5:1~6、ヨハネ4:16~23
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年5月5日(日)

「イエスに従った女性たち―その2」
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人お一人の上にありますように。アーメン。
Ж
これまで考えてきたのは、イエスの十字架と復活という場に、大勢の女性たちがいたということでした。その時、男性の弟子は逃げていたので、残った女性にだけ復活のイエスが姿を現したのだと聖書は書いていました。でもそれは彼女たちにとっては大変なことでした。なぜなら、イエスの復活を告げることが出来るのは彼女たちだけだったからです。彼女たちは伝道者として歩み始めた。福音書が書いているのはそこまでです。

そこで、これから見てゆきたいのは、彼女たちの個々の人生です。もちろん、誰にも共通しているのは、イエスと出会ったことで、出会ったがゆえに従った、従い歩むその先にイエスの十字架と復活があったということでした。にもかかわらず、私たち一人ひとりにも自分の人生があるように、彼女たちにも様々なヒストリーがあったのでした。それを知ることで、イエスに従う生き方には豊かな内容があり、「何々であるべき」という画一的な考えに縛られない自由な発想へと導かれるのかも知れないと思うのであります。

さてその意味で、たくさんいた女性たちから何人か選んで見てゆきたいと思います。最初に取り上げるのはヨハネ福音書4章のサマリアの女です。
なおこの話は、福音書にある話としてはかなり長く、1節から42節まであります。そこで、これを4幕もののドラマに見たてたら、わかりやすくなるかもしれません。そこでその観点から、ヨハネ4章を見てゆきたいと思います。
では、まず第一幕です。1節から15節までですが、内容は、イエスと女の出会いです。緊張感があふれています。続く第二幕は今も読みました。16節から26節まで。女の私生活が明らかになりますが、彼女は果敢にイエスに挑戦してゆきます。
次が第三幕で、27節から38節までここは、本当の食べ物に関するイエスの説教です。最後は第四幕。39節から42節までです。大勢のサマリア人が、イエスを信じたという話です。女はリーダーシップを取っています。

それではまず、全体の背景を考えます。話の舞台はサマリアです。サマリアといえばイエスの「良きサマリア人」が思い浮かびます。そのたとえ話のサマリア人は、ユダヤ人から憎悪されていますが、ユダヤ人の誰よりも情け深い人でした。
本日のヨハネ4章もそのことを念頭に置くとよいと思われます。言い換えるなら、本日登場するイエスは「良きサマリア人」の話をしたイエスでもあるのです。なおユダヤ人とサマリア人が憎みあっていたことは、サマリアの女にも無関係ではありませんでした。

さて、そのことを念頭に第一幕の7節に目を移します。するとイエスは女に「水を飲ませてください」と言います。しかしこれは彼女にとっては身震いするほどおぞましい依頼でした。話は井戸のそばで、水を飲ませてもらうことは、彼女が持参している水がめに口をあてがうことでした。それは彼女や他のサマリア人もそうしていたことで、イエスは自分もそうしたいと言ったのでした。しかしイエスにとっては二つの民族を分断する壁を乗り越えることでした。そういうことだったので、女はサマリア人を代表してその依頼を受ける立場に置かれたのでした。
それと、女がもうひとつ身震いしたのは、見ず知らずの男がいきなり語りかけてきたことでした。それはタブーだったので、イエスは二重に壁を乗り越えようとしていたのでした。イエスの「水を飲ませてください」にはそれだけの複雑な事情が前提なのでした。

ところで、この第一幕の話の終わりを先に見ておきたいと思います。15節なのですが、そこにあるのは女の「その水をください」という言葉です。最初イエスから「水を飲ませてください」と言われて、恐怖の固まりだった彼女が、最後は「その水をください」と言えるほどの関係になっていたのでした。
このドラマの第一幕の演技指導をする人は、終わりの彼女の表情は笑顔であると指示するはずです。なぜなら「その水をください」は心を開いている言葉だからです。第一幕では、二人の関係が、緊張から優しさへと変わってゆくドラマなのです。

しかし、第二幕は、取扱注意所です。16節でのっけからイエスの「あなたには五人の夫がいた」の台詞がでてくるからです。せっかく築かれた二人の友情が、これでは台無しになるのではないか。
実際、イエスのこの言葉を理由に、多くの学者が、この女は不道徳なふしだらな女だったと説明してきました。けれども、それだと第一幕とは大きく食い違ってしまうのです。ところで、アメリカに女性の聖書学者でゲイル・オデイという人がいますが、彼女はこのイエスの言葉のことをこう説明しています。「それは、この女性が5回離婚したと言っているのではなく、レヴィラ―ト婚という当時の中東にあった結婚制度から生じる現象で、何が何でも男子の跡継ぎを残そうと考えた男たちが考案した、しかし女にとっては牢獄も同然の制度だが、現代人には非常に理解が困難である」。
つまり、理解が困難な現代人の聖書学者たちが、そのため彼女をふしだらで罪にまみれた女性だったと、解釈してきたのでした。それはともかく、イエスは彼女に苛酷な人生から這い上がってきたたくましさを認め、目をかけたのでした。

さて、これも女性の聖書学者である福嶋裕子はサマリアの女のことをこう書いていました。「彼女は過去に傷をもつ女だというのは、現代人が現代人の感覚で想定する女性への偏見にすぎない。むしろサマリアの女は、イエスとの対話をとおして礼拝の普遍性の真理を受け入れた最初の人物としてヨハネ福音書では記録されているのである」。
イエスに従った女性たちを、このあとも見てゆきたいと思う次第です。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週、5月12日復活節第7主日
説教題:イエスに従った女性たちーその3
説教者:白髭義 牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月28日

2024-05-02 14:56:31 | 日記
使徒言行録8:26~40、ヨハネの手紙14:7~21、●ルカ1:46~55
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
二日市教会主日礼拝説教 2024年4月28日(日)

「イエスに従った女性たち―その1」
☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
前回までは、イエスの死と復活というテーマで、特にその出来事にずっと関わり続けた女性たちのことを考えてきました。ということは、イエスの復活はその後のキリスト教の出発点になりますから、彼女たちの役割はいかに大きかったかが見えてまいります。というのも、その時男性の弟子たちは逃げ出しており、復活のイエスに会ったのは女性たちだけだったと聖書に書かれているからで、その意味でも彼女たちの信仰とエネルギーを改めて思い直すことが出来ると思うのです。

ところで、彼女たちの信仰とエネルギーは、もとをただせば、イエスとの出会いから生まれたものですから、一人ひとりには、具体的にどのような出会いがあったのかを見ることも意義深いと思われます。次回からそれを始めますが、今回考えたいことは、そのような女性たちがいかなる時代に生きていたかということです。人は誰でもその時代を背景に生きてゆきますが、その時代に女性たちがどんな価値観に支配されていたのか、そのこととイエスとの出会いがどのように関係していったか、そういうことを簡単に見ておきたいと思います。

ところで、彼女たちよりも150年ほど前に、ベン・シラという学者がエルサレムにいました。この人が書いた『ベン・シラの知恵』という本は、今でいうならベストセラーで、堅苦しい内容ではまったくなく、「きみたちはどう生きるか」的な人生論、処世訓で人気を博していました。なお、この著者ベン・シラは男性で、その本の読者も男性だったことは一つのポイントになります。さて、この本の主題は多岐にわたり、家庭内のことや社会での人間関係、子どもの教育、商取引や貸し借りに関すること、テーブルマナーや葬儀でわきまえるべきこと、医術やクスリの知識といった生活全般に及び、極めて現実主義的で妙に宗教がかったことは書かれていません。

さて、書かれたそれらの中に、女性に関することもありました。当然、読者が男性ですからその観点で書かれていました。最初はこんなことが書かれています。「優しい妻は夫を喜ばせ、しとやかな妻は優しさにあふれ、彼女の慎み深さは計り知れないほど尊い」。しかしながら、と著書は言います。女性は常に良き妻であるとは限らない。気に入らない妻には心を許すな。念のために妻に渡す物品はあなたがきちんと管理せよ。信用できないならそれに鍵をかけておけ。
そして、男尊女卑的考えもあからさまに出てきます。「お前が生きている限り、妻が自分の上に権力をふるうのは許すな。妻が夫を養えば夫は面目を失う。悪い妻は夫の気持ちを卑屈にし、心を傷つける。夫を不幸にする妻を持つと、手が萎え、ひざが弱る。
まさに言いたい放題で、こんなことも書いています。「罪は女から始まった。女のせいで我々は皆死ぬことになった。水漏れは放っておくな。妻がお前の指図に従わないなら、縁を切れ。身勝手な妻は、あたかも犬のようで、声高でおしゃべりな女は、戦場の進軍ラッパだ。このような女を妻にする男はだれでも、戦乱の世で生涯を終えるようなもの。
これが世の中で尊敬されていた知識人ベン・シラが書いた人生論でした。女性に対する彼の評価は、その時代の考えがよく示され、女性に対する非常に低い評価は、イエスが生きた時代にも引き継がれていたのでした。

さて、そのことを思いながら、「マリアの讃歌」を読むと、異なる価値観が現れます。今読んだ、ルカ福音書1章46節から55節のことですが、ここは普段はクリスマスの時期に読まれる聖書箇所ですが、ベン・シラとあまりにも対照的なのであえて取り上げました。このマリアの賛歌を、昔の讃美歌の歌詞でリフレインしてみます。
♫「わが心はあまつ神をとうとみ、わがたましい すくいぬしを、ほめまつりて よろこぶ。  数に足らぬ はしためをも 見すてず、よろず代まで さきわいつつ、めぐみたもううれしさ」。ここまでが前半です。 「御名は清く、大御業はかしこし、代々にたえぬ みいつくしみ、あおぐものぞ うくべき。 低きものを高めたもう みめぐみ、おごるものを とりひしぎて、散らしたもう みちから」。
明治時代、日本で働いていたアメリカ人女性宣教師マクネアさんが作曲したこの歌は長く歌われてきました。

ところで、ルカ福音書のこの「マリアの讃歌」について、やはりアメリカの女性の聖書学者がこんなことを書いています。なお、マリアの賛歌はマグニフィカ―トと呼ばれたりもします。「マグニフィカ―トは新約聖書中の偉大な解放の歌、個人的、社会的、道徳的、経済的な解放の歌である。とりわけ、このあと始まるイエスによる貧しい者への福音の宣教の予告編ともなっている。マリアは現代で言えばまだ少女の年であるが、その少女がマグニフィカ―トを口にするのは、身分が低く、卑しく、取るに足りないからなのではなく、神がその彼女に目を留めたたからであった。マリアは貧しい者への預言者として説教している。彼女は、苦難を味わい汚名を晴らした一人の女性として、彼女らの希望を表しているのである。

ところで、イエスと女性たちのことを考える際に、今のように母マリアのことを引き合いに出すのは、「この母にしてこの子あり」を考えたいからです。「主は、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げてくださる。」これが母から子へと引き継がれたのであれば、イエスにはその考えが体にしみこんでいたと思われるからです。

ところで、話は変わりますが、地中海のヤッファという港町にタビタという女性がいました。彼女はこの町の教会の古い信徒でしたが、病気になって死にました。その時の様子が使徒言行録の9章に書かれていますが、彼女は町にいる未亡人たちのために服を作る奉仕活動をしていました。彼女のことは1節でこう書かれています。「ヤッファにタビタと呼ばれる婦人の弟子がいた」。つまりタビタは女性の弟子だったのでした。しかし彼女はイエスに直接従っていた女性ではありません。
いずれにしても、マタイからヨハネまでの福音書の全部に目を通せばわかりますが、女性は弟子と呼ばれたことが一度もなかったのに、これは驚きです。確かにイエスに従った女性は大勢いました。彼女たちは、十字架からお墓の最後までずっとイエスに従う姿勢をくずしていないのですが、どういうわけか弟子と呼ばれたことは一度もありませんでした。
それだけに、今の使徒言行録のタビタ(ドルカス)が弟子と呼ばれたことは、驚きといえば驚きなのです。それはともかくベン・シラの女性観がなおも一般的だった時代に生きた女性たちとイエスの出会いをこれから見てゆきたいと思う次第です。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週5月5日 復活節第6主日
説教題:イエスに従う女性たち その2
説教者:白髭義 牧師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする