日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

4月23日

2023-04-30 12:33:16 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年4月23日(日)
復活節第3主日
使徒2:14a、36~41、Ⅰペトロ1:17~23、ルカ24:13~35
「イエスと赤ずきん」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 本日のルカ福音書24章の「エマオで現れる」は、復活したイエスが旅の途中の二人の弟子と一緒に歩いたという話でした。しかし二人は暗い顔をしていた。復活のイエスなら前途を照らす希望の光の存在だったはずなのに。聖書は、それは彼らの物分かりが悪く、心が鈍かったためだったと書かれていました。私たちにとっても考えさせられることが色々ある話でした。
話は変わりますが、私は以前あるキリスト教主義の高等学校で、礼拝の話を頼まれたことがあります。男女共学校ですが、私はグリム童話の話をしました。ところがあとから学校の理事長さんが、グリム童話の話はしないでほしいと言ったのでした。でも生徒たちはすごく熱心に聞いているのに……。しかしも学校側の要望ですから、それ以後グリムの話はやめました。
ところで、今の時代童話という言葉はあまり流行らず、メルヘンという言葉に取って代わられています。それはただ日本語を外国語に置き換えただけということではなく、対象を子どもに限定しなくなったからだと思います。たしかに、最近の大人はグリムをけっこうよく読んでいるのです。それはなぜなのか、考えてみる価値がありそうです。
ところで理事長さんが言いたかったことは、高校生に童話というのは幼稚すぎるというよりも、キリスト教の礼拝の場にグリム童話はふさわしくないということだったと思います。メルヘンの世界とキリスト教の真理は、水と油の関係。相容れないからであるということだったのでしょう。
以下はヨーロッパの話ですが、カトリックはメルヘンに対しては鷹揚な態度を示しているが、プロテスタントはメルヘン嫌いのようです。家庭でも子どもたちに昔話をすることさえ禁じているのがプロテスタントである。ではなぜ、プロテスタントはそうなのか。カトリックはメルヘンからでも信仰は学べるという考えなのに対して、プロテスタントは、信仰は神の言葉つまり聖書以外からは学べないという立場で、メルヘンは反キリスト的な考えや価値観を植え付けると警戒しているみたいなのです。
でも本当にそうなのか。メルヘンは、上手にお付き合いすればキリスト教のよいお友だちになるのではないか。そんなことを考えながら、「赤ずきん」のことを考えてみたいと思うのであります。
さて、「赤ずきん」のお話はこう始まっています。「むかし、小さいかわいらしい女の子がおりました。だれでも、ひとめ見ただけで、この子が好きになりましたが、一ばんかわいがっていたのは、おばあさんでした。おばあさんは、この子に何をやったらいいか、わからないくらいでした。あるとき、おばあさんは、赤いびろうどの頭巾をこの子にやりました。それがたいへんよく似合ったのでこの子は赤ずきんと呼ばれるようになりました。ある日、お母さんが赤ずきんにいいました。「さあ、赤ずきんや、ここにおかしとぶどう酒のびんがあるから、これをおばあさんのところに持っておいで・・・」。
おばあさんは、村から半時間ほどはなれた森の中に住んでいました。さて、赤ずきんが森にはいると、オオカミに会いました。それがどんなに悪いけだものか、赤ずきんは知らなかったので、オオカミをこわがりませんでした。
ところで彼女の母親は娘に、森の中はまっすぐ歩くこと、横道にそれてはならないと言い聞かせていました。けれどもオオカミは、横道にそれるならどんなに素敵な世界が広がっているかを教え、赤ずきんはその誘惑に乗ってしまいます。一方オオカミは先回りしておばあさんの家に飛んでゆき、森の一軒家を訪ね、おばあさんをぺろりとのみこんで、赤ずきんが来るのを待ち構えました。はたせるかな、赤ずきんがやってきたので、オオカミは赤ずきんをもぺろりとひとのみし、グウグウいびきをかいて眠ってしまいました。
ところがその時、「猟師が通りかかり、そのいびきのすごさに驚いて、家に入ってみると、ベッドに寝ているのはおばあさんではなくてオオカミでした。「こんなところにいやがったのか。こんちくしょうめ。漁師は鉄砲の狙いをさだめましたが、おばあさんを食べているかもしれないと思い直し、ハサミを取ってオオカミのおなかを切り裂き始めたのでした。
ところで、「赤ずきん」のテーマは「死んで生き返る」です。実はメルヘン全体のテーマが「死んで生き返る」なのですが、今それはさておきます。ところで、オオカミのお腹の中は真っ暗、死の世界でした。ところが、そこから赤いずきんの女の子が飛び出してきてこう叫んだのでした。「ああ、びっくりしちゃった。オオカミのお腹の中って、真っ暗よ」
さて私たちは、横道にそれて花に夢中な赤ずきんを見るとハラハラします。でも彼女のそれは、若さ、思春期の特徴かもしれません。しかし、赤ずきんはとにかく生まれ変わるのでした。思春期とは、途方にくれたり、やけになったり、精神をわずらったりと、それまでの少年、少女らしさが急速に崩れてゆき、問題が次々と起こる時期であります。従ってそれはまた、改めて自分を築く時期でもあり、人はそのようにして大人になるのです。そして大人になるとは、外見が変わることではなく内面の変化のことなので、オオカミのお腹から飛び出すのにも似ているのです。
ところで話はもう少しあって、赤ずきんは、大きな石をオオカミのお腹にと詰め込むという大仕事を開始いたします。このように、見事大人になった赤ずきんはこれで成人式を終えたも同然でした。ところで、「死んで生き返る」はキリスト教のメッセージでもあります。そうだったら、メルヘンは少しも反キリスト的ではないと思われてくるのです。
ところでイエスは、ある時ヤイロの家に行き、死にそうな子どもの手を取り、「少女よ、起きなさい」と言った。すると少女はすぐ起き上がり元気に歩き始めた。このマルコ6章の話と今の赤ずきんの話はまるで姉妹関係にある気がいたします。メルヘンは、もっと考えてみる価値がありそうであります。
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4月16日

2023-04-19 15:50:11 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年4月16日(日)
復活節第2主日
使徒2:14a~6、22~32,Ⅰペトロ1:3~9、ヨハネ20:19~31
「生まれかわる」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 今は入学式や入園式のシーズンです。松崎保育園も今月の1日にありました。ゼロ歳の子から入ってきますから、いつも泣き声が聞こえる入園式であります。もちろん子どもが不安だからです。それと、親も不安です。春は一見のどかでも、不安でいっぱいなのかもしれません。
さて、本日の福音のヨハネ20章19節以下ですが、この話の直前にイエスが復活したという知らせが届いていたというのに、弟子たちは部屋に鍵をかけ締め切っていました。何を畏れていたのか。これ以外どの福音書でも、イースターは不安と恐怖が漂っています。これが本当のイースターだったのなら、キリストの復活は何だったのだろう。よく考える必要がありそうです。
ところで話は変わりますが、『キリスト教保育』という雑誌があります。キリスト教主義の幼稚園、保育園に向けた60頁ほどの月刊誌です。なお、幼児教育専門の大手の出版社は、たとえばフレーベルとか学研、チャイルドなどは、とてもカラフル、ビジュアルな雑誌を出しています。それに較べると『キリスト教保育』は、一見見劣りするのですが、中身がとてもしっかりした得難い雑誌なのです。
ひとつ例を挙げるなら、8年前この雑誌に連載企画が始まりました。その連載のタイトルは「死んでゆく不思議、生まれてきた不思議―子どもたちにどう伝えるか」でした。執筆したのは西平(にしひら)直(ただし)という人です。彼はこう書いていました。「自分が書きたいことは、私たちが子どもの頃、死や誕生をどう考えていたのかについてです」。これなら誰にでも書けそうな気がしますが、本当はそうでないことがあとで明らかになってゆきます。
さて、西平直さんはその時は京都大学で教えていました。彼が書いた本の題を見るとどれもむつかしそうですが、読者が幼児教育の現場で働く先生たちであることを考えれば、そこは大丈夫そうです。
ところで、彼は毎年入ってくる学生たちに決まった質問をしました。それは、「あなたが子どもの頃、死んだらどうなると思っていましたか」でした。そこである学生が言いました。自分は、人は事故で死ぬのだと思っていた。ところがある時から、そうでなくて人はいつかは死ぬのだと気がついた。誰もが死んでしまう。あまりの怖さにベッドで泣いた。兄が心配して見に来た……。
西平さんは言います。「私たちは誰もがかつては子どもだった。今もその頃の感覚が残っているかも知れない。ところで、子どもたちと一緒に、死や生の問題を考える時には、そのような柔らかな感覚が必要になる」。西平さんは「柔らかい感覚」という言葉を好んで使っていました。こうも言っています。「今の時代、私たちは死や生の問題を根本から問い直す必要に迫られている。その時柔らかい感覚が必要になるのだ」。
ある学生はこう答えました。自分は生まれつきの虚弱体質だ。そのため自分と死の間の距離を近く感じ、気を抜けば死はすぐ訪れると思っていた」。西平さん言います。それはその学生に限らない。どの子の心の奥にもこの感覚が潜んでいる。大人の話を聞く以前から、何らかの死を感じていたはずだから。
ところで、西平さんの学生への質問はあとひとつあって、「自分はなぜ生まれたと思うか」というのがありました。しかしこれは、「死んだらどうなるか」よりもデリケートな質問で、西平さんも質問の仕方に苦労しました。私たちも、自分の死のことは色々考えますが、自分の誕生という始まりのことは意外と考えていないものです。
しかし西平さんは書いています。子どもはある日突然それに関しての驚愕の事実に直面する。それは、誕生する以前自分はいなかったことを知ってしまうことである。お母さんのおなかにいたのは分かるとして、それより前はどこにいたのか。どこにもいなかった、の答では耐えられないのです。ボクはどこにいたのか。探求している内に巨大な闇に触れることがある。
自分はいなかったのに今はいる。そして又いなくなる。西平さんは、それを哲学で最も難しい問いだと書いていました。彼は哲学者でもあったようです。大人がうっかりしているうちに、その深い闇に触れてしまう子どもがいる。しかし大人はその防波堤にならなければならないのです。
ところで西平さんはこうも言います。このような事態に直面した子どもは必ず何度も同じ質問をしてくるようになる。それはこういう趣旨の質問だ。「生まれる前ボクはどこにいたの」。この時、この疑問形に大人が鋭く反応して立ち止まってくれるなら、子どもには出口への第一歩となるだろう。というのも、本当の話、子どもは原因が知りたいからではなく、自分が抱く漠然とした不思議を言葉にしなければという思いで、大人に問いかけているからである。
さすが、『キリスト教保育』の読者を考えての書き方でした。しかしそれだけでなく、西平さんの言う「自分はいなかったのだが、今はいる。けれども又いなくなる」とのいわゆる哲学的難問は、哲学者ではない私たちも無関係ではないという気がします。それに、子どもが触れるかもしれない、あるいは吸い込まれてしまうかもしれない巨大な闇にしても、子どもだけに限定できるとは思えないものがあります。
聖書には、イエスが十字架上で息を引き取る直前、全地が暗くなったと書かれ、その後甦るまでイエスは墓という暗闇に閉じ込められたことが言われています。イエスの復活はその暗闇を背景にしているのです。それはまさに巨大な暗闇なので、私たちもそれに触れてしまうかも知れず、吸い込まれてしまうかも知れなかった。その底なしの恐怖を打ち破った復活の朝で、まだ恐怖の余韻が残っていたからこそ、弟子たちも不安が優っていたのだと考えることができるのであります。いずれにしても、私たちは、イースターだからと言ってことさら笑顔を作るのでなく、いつも通り淡々と過ごせばよいのであります。
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4月9日の説教

2023-04-13 11:51:15 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年4月9日(日)
主の復活
エレミヤ31:1~6、コロサイ3:1~4、ヨハネ20:1~18
「[再考]マグダラのマリア」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 本日はイエス・キリストの復活を祝うイースターです。福音書もそれに関する話で、ヨハネ福音書20章1節から18節まででした。しかし、1節から9節までは要注意です。なぜならペトロはこの時点では不在のはずだからです。というのも、本日の話の場所はエルサレムで、イエスはエルサレムで逮捕されましたが、その直前弟子たちは全員エルサレムから逃げ出したと書かれているからです。それなのに、その三日後弟子のペトロとあと一人がマグダラのマリアと同じくイエスの墓を訪れたと書かれていたからです。
 ところで、男の弟子たちの逃亡先はガリラヤだったと聖書には書かれています。このエルサレムからガリラヤまでというのは、福岡から鹿児島くらいの距離で、しかも彼らは徒歩ですから、どのくらいかかるか想像出来るというものです。だからこそ福音書は、イエスが処刑された時、また墓に葬られた時そこにいたのは女性たちだけだったと書くのです。本日の話は処刑から三日目です。その時はガリラヤに逃げていたペトロがもう戻っていたという話はどう考えても眉唾、要注意なのです。従って、10節までは棚上げといたします。
そこで残るは11節から18節までですが、ここは男の弟子は出てきません。出てくるのは女性だけですが、十字架から埋葬の場面までは多くの女性が出てきたのに、本日のこの時は一人だけです。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行った」。復活のイエスが「マリア」と呼ばれると、彼女は振り向いて「先生」と言った。ところで、キリスト教には、復活の主に最初に出会ったのがイエスの一番弟子であるという了解があります。それが男であるか女であるかは関係ありません。だから、この話で明らかになったことは、マグダラのマリアがイエスの一番弟子だったということなのでした。
 ところで話は変わりますが、私は以前ある教会の日曜礼拝に出席したことがあります。その礼拝の中で献金があったのですが、献金後一人の男性が立ちあがり献金の祈りを始めました。ところが祈りの言葉を聞いた私はびっくりしたのでした。こういう言葉があったからです。「神様、わたくしがマグダラのマリアのような人間でないことを感謝します」。その人は医学博士で、教会の中でも尊敬を受けていた人物でした。そういう立派な人が口にした祈りの言葉でしたから、驚きもなおさらでした。
ところで、西欧の美術館にはマグダラのマリアを絵にしたものがけっこうありあります。もちろん彼女は聖書に出てくる女性ですが、どの絵も官能的な女性として描かれています。しかし、聖書のマグダラのマリアは官能的でもみだらな女性でもありません。しかし、画家たちは自分は聖書にもとづいて描いていると信じていたはずです。考えられることは聖書が歪めて解釈され、その解釈がまかり通っていたということです。その解釈とは、マグダラのマリアは罪の女だった、娼婦だったというもので、その解釈を信じて絵が描かれたということです。しかもその解釈はとても根強かったので、いつまでも教会の中に残り続けた。その影響であの献金の祈りの男性もあのように祈ったのでした。
 ところで、話がまた変わりますが、20世紀の初頭、考古学者がある古い文書を発見しました。その文書は『マグダラのマリアの福音書』という名前が付けられたので、マスコミがこぞって取り上げ、世界中の人が知るところとなりました。けれども、時がたった今はほとんど忘れているこの『マグダラのマリアの福音書』、今でも興味深いことが書かれているのです。なぜなら、そこにはイエスとペトロとグダラのマリアの3人が登場し、イエスはペトロよりもマリアを大事にしていたので、ペトロはそのことに我慢が出来ず、イエスに愚痴を言ったり、彼女に敵愾心をむき出しにした。そういう内容だったからです。
 ところで、今この文書をどう読めばよいのか。それは、ペトロはのちにローマの初代教皇になる人物だったということです。なぜ教皇になれたかというと、彼こそ復活のイエスに最初に会った弟子だからであるとされているからです。ところが本日のヨハネ福音書も、それに発見されたマグダラのマリアの福音書もそうは言ってないのです。しかしすでにペトロを初代教皇にしている現在否定的な材料は無視するかもみ消すかしかない。そういう事情なのでしょう。
 覆水盆に返らず。千年の歴史と巨大な組織は簡単にはひっくり返りません。むしろ今は、この福音書がもたらすメッセージに目を向けたいと思うのであります。さて、そこでポイントとなるのは17節の「わたしにすがりつくのはよしなさい」であります。これを、復活後のイエスの最初の教えととらえたらよいからです。
どういうことかというと、マリアはイエスにすがりつこうとしましたが、イエスはそれを叱りました。でも叱ることで信仰のメッセージを発していたのでした。すなわち、マリア、あなたはもう私をつかまえておくことも出来ないし、支配することも出来ない。なぜなら、イエスが地上にいた時期は、彼女は心から彼を愛したがため、おのれの期待の中に彼を閉じ込めることが出来たのですが、復活のイエスではもう思いのままには出来ません。それどころか、これからの彼女は、イエスの思いが最優先という信仰に生きなければならい。そういう教えだったからです。
さて、この教えを受けたマリアはさっそく行動を開始しています。しかも、この教えを一人じめするのではなく、逃げていた弟子たちに伝えるために出発したのでした。マグダラのマリアはこんにちでも教会の中では後ろ指を指される女性ですが、復活の朝の光に照らされる彼女は、イエスにとってかけがえのない人として登場する。そういうことなら、それは私たちにとってもメッセージなのであります。
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3月19日の説教

2023-04-01 17:01:43 | 日記
二日市教会主日礼拝説教 2023年3月19日(日)
四旬節4主日
サムエル上16:1~13、エフェソ5:8~14,ヨハネ9:1~41
人の罪を追わない

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
さて、本日の福音はとても長くて、ヨハネの9章の1節から41節までありました。そこで私たちはその一部をいま朗読したのですが、全体を見ると見出しが3つあって。「生まれつきの盲人をいやす」、「ファリサイ派の人々、事情を調べる」、「ファリサイ派の人々の罪」が続いていました。そこでまず、9章全体の話を要約しておきたいと思います。
さて、イエスは生まれつき盲人だった男の目を癒した。これは事件に違いないので人々は町を仕切っているファリサイ派に通報した。そこで男は出頭を命じられ、「お前を癒したのは誰か」と尋問された。しかし男はイエスがどんな人か知らなかった。そのため次に両親が呼び出されたが、彼らも知らなかった。しかし、その男を癒したのが彼らの敵視するイエスだとわかって、そのため男自身も憎まれるようになった。追及と尋問がなお続いた。すると男はかえって信仰に目覚め、「あの方は神の子だ」と言うようになり、ファリサイ派の憎しみも頂点に達して、町からの追放処分となった。だが町の外で男はイエスに会い、「主よあなたを信じます」と信仰の告白をした。これがあらすじです。
さて、読んで驚かされることは、登場する人物は誰も彼に「よかったね」と言わないこと、祝福をしなかったことです。視覚障碍で長年茨の道を歩んできたはずの彼は、癒しのあとも迫害というさらなる茨の道に追い込まれました。この暗さの連続の中で唯一の明かりはイエスとの出会いでした。
ところで、話は変わりますが、今までに日本にやってきた外国人の女性の中で、最も熱狂的歓迎を受けたのは誰か? 終戦後ならきっと、マリリン・モンローかマザー・テレサでしょうが、戦前だったら? それはヘレン・ケラーに違いありません。 視力と聴力二重の障害者だった彼女は三度も来日しています。最初は1937(昭和12)年の4月で、到着後は、全国で予定されていた講演会のために4カ月も滞在しています。福岡にも来ました。汽車を博多駅で降りると、一目見んとやってきた大群衆で駅前は埋め尽くされました。彼女は西南学院と福岡女学院に行き、生徒たちに自分が生まれてから今までのことを話しました。戦後には1948年に2度目の来日をし、長崎に行き、原爆投下の跡地を訪れ、療養中の永井隆博士を見舞っています。
その三度にわたる来日の目的は、日本人に障害者支援の重要性を訴えることでした。それは、彼女が話した講演だったから、万人の胸を打ちました。ところで、初回の来日の時彼女が真っ先に挙げていた目的は、東京渋谷の温故学会会館を訪問することでした。それは江戸時代の国学者・塙保己一の業績をしのび讃える目的の建物でした。塙保己一といえば高校の授業でも習う江戸時代の全盲の国学者で、『群書類従』の編纂者です。『群書類従』とは、奈良飛鳥の古代から江戸にかけて日本人が書いた数々の文書を、散逸を防ぐ目的で収集したもので、その仕事なら今は国会図書館がやっているのですが、当時は全盲の保己一が個人で成し遂げたのでした。その塙保己一の温故会館を、彼女は真っ先に訪問したかったのでした。
さて、塙保己一のことは、彼女は少女時代に母から聞いていた話でした。そしてその母はその話を、電話機発明者、グラハム・ベルから聞いていました。というのも、ベルの考えの根底にあったことは「聾者に役立つこと」だったからです。そして彼の母親も聾者で、かつ妻も聾者でした、電話機だって、聾者の役に立つかもの思いから作られており、そんな彼が聾と盲の娘、つまりヘレンの母の相談相手になり、そういう時に塙保己一の話もしていたのでした。
ところで、少女だったヘレンが聞いていた保己一の話は、有名になってからの話ではなく、むしろ子ども時代、それに続く茨の道の話でした。保己一は埼玉県本庄市の生まれですが、幼い頃から体が弱く、5歳で重い病にかかり、7歳で視力を失いました。献身的な看病をした母は過労で倒れ死にましたが、彼は少年時代から「江戸に出て学問をしたい」と願っていて、15歳で江戸に出て、とある武家屋敷に寄宿し、盲学校で3年修行をし、17歳で上級に進み、鍼、按摩、音曲などの修行をしました。しかし、生まれつきの不器用さがたたって上達出来ず、やがてそんな自分に絶望し自殺を図りますが、直前に助けられます。そしてそのことが、人生の転機となったのでした。
そのあと、盲人である先輩に自分の胸の内包み隠さずぶちまけますと、それを聞いた人が、彼の力を確信し、最高の学問を学べるようにしてやります。そういう保己一の情熱は盲でない人たちの心を打ち、彼に弟子入りする人間が急増。やがて『群書類従』という大事業をなしとげて、76歳で塙保己一は亡くなりました。すると、その16年後にアメリカからヘレンケラーがやってきて、保己一の遺品に自分の指で触れたいと言ったのでした。
ところで、群書類従とはとっつきの良くない名前ですが、要は日本の古い文書が誰でも読めるというシステムを具体化したのが群書類従でした。多くの人がこれを利用し始めました。江戸時代が終わり明治になってその傾向で、ある女性も群書類従の中の一つの文書へのアクセスを試みました。
彼女は医者になるため勉強してきたのに、女は医者になれないという規則に妨害されていました。何度門を叩いても返事は「女が医者になった前例はゼロ」でした。しかし彼女は群書類従に当たり、奈良時代の大宝律令の関連文書が女医のことを書いていることを発見し、医師試験当局にそれを突き付けると、すぐすんなり受験許可となったのでした。これは、近代日本の女医第一号の誕生の瞬間でした。なお、彼女の名は荻野吟子、彼女はクリスチャンでした。
ところで以上の話と、聖書の盲人だった男の話はどこかでつながっている気がします。盲だった男のたどった道と、保己一やヘレンがたどった道は、どちらも茨の道だったからです。本日はそのことに思いをなしてみたいと思うのであります。
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