エレミヤ23:1~6、エフェ2:11~22、ルカ12:13~21
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二日市教会主日礼拝説教 2024年7月21日(日)
イエスのたとえ話 「富める愚か者」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人おひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
イエスのたとえ話。本日はルカ福音書12章の「愚かな金持ち」を取り上げます。なお、金持ちなら誰でも愚かだというわけではないことは後半で考えたいと思います。いずれにせよ本日の金持ちは、神から直接愚か者と言われたので、何が愚かだったのかを考えたいと思います。
けれどもこの話の金持ちは、一見は愚かではありません。あえて言うなら、十分な蓄えが出来た時、「これからは食べたり飲んだりして楽しむぞ」と言ったことが愚かなのかなと思ったりしますが、それは誰でもそうなれば抱く自然な欲望に過ぎません。聖書もコヘレトの言葉2章のように、「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ」と言っていますから、金持ちの気持ちを愚かとするのは無理かも知れません。
けれども神は、金持ちに「愚かな者よ」と言ったのでした。しかも、「今夜、お前の命は取り上げられる」、さらに「お前の物は、誰の物になるのか」と畳みかけたのでした。なお、たとえ話は神のこの言葉で終わっています。一体何が問題だったのか。彼の何が、「愚かな者」と言われても仕方なかったのか。このたとえ話の興味深い点は、それが簡単には分からないことにあるのです。
そこで、この問題を解決する手段として、話を子ども向けの紙芝居にしてみることをお勧めしたいと思います。ある話を絵にする時は、話には出てこなかったことも描く必要が生じます。桃太郎なら、おじいさん、おばあさんの家の中の様子とか、鬼ヶ島がどんな所だったかまで描くことになるからです。だから、愚かな金持ちも、聖書には全く出てこないディティールも絵にしなければならなくなるのです。
たとえば、金持ちの畑が豊作になる。畑は麦畑ですが、これは絵でも表現できるはずです。それと、彼は自分の倉を壊してより大きいのを新たに建てます。そこも絵で表す必要がありますが、建物の取り壊しと新倉庫の建築には沢山の人手が必要です。それに大きな倉でないと入りきらない小麦を畑で収穫した大勢の人たちも絵の対象になってきます。
これだけたくさん土地の人間が働くことになったその作業現場と対照的に、最後は金持ちがたった一人きりになっているラストの様子も描いてあげれば、この金持ちがどんな人間だったかの察しが子どもたちにもついてくるかもしれません。
子どもたちのそばで一緒に見ている大人たちも、この金持ちが自ら畑に出て汗を流す農夫ではないこと、大勢の人間が働いてくれたのに彼らと喜びをともにしようとしないタイプなのだと理解いたします。なぜなら、金持ちがねぎらったのは自分自身だけだったからです。ところで、むつかしいのは紙芝居の終わらせ方です。なぜなら、話は「お前の命は今晩取り上げられる」という神の声で終わりだからです。
しかし、神の声にはあと一つ、「お前が残す物は誰の物になるのだ」があります。実はこれなのです! 後継者も遺産相続の家族も親族もゼロな金持ちが残す穀物はそれ以外の人々の物になったのでした。よかったですね、めでたし、めでたしで、たとえは終わっていたのでした。
ところで、同じ金持ちでもカーネギーという人は違う道を歩みました。アンドリュー・カーネギーは1835年にスコットランドの貧しい家庭に生まれ、13歳の時に両親がアメリカに移住することを決めたため、以後アメリカでその生涯を送りました。職を得て最初に働いたのは綿織物工場で1日12時間、6日間働き、週給は1ドル20セントでした。当時はアメリカも産業革命のあおりで急激に変化している最中でしたが、カーネギーは転職を重ね、ある時から電信局の電報配達の仕事に就きました。週給は2ドル50セント。この会社の従業員はタダで劇場に入れたので、かれはすっかりシェークスピア劇の虜になりました。また自由閲覧が許されていた図書館で本を読みまくり生涯の本好きになりました。
その後の彼のキャリアは目を見張らされるものがあり、28歳でペンシルバニア鉄道に週給4ドルで引き抜かれ、以後この会社が米国屈指の大企業になるまでの立役者として働きました。その内南北戦争が起き、北軍が武器と兵器の大量輸送の必要に迫られると、それを鉄道事業の面で協力し北軍の勝利に貢献しましたが、戦争に必要な工業製品の需要の高まりに着目し、鉄鋼業に転身しました。こうして、カーネギーは今に至るまで鉄鋼王と呼ばれる道をばく進しますが、50歳でようやく結婚し一息つけたのでした。
その後彼は66歳の時、引退を考え準備に入ります。そしてモルガン銀行に会社を買収してくれるよう頼みますが、売却金額は4億8千万ドルで世界中を驚かせました。なお彼はすでに33歳の時に書いたものの中で「蓄財は偶像崇拝の種の一つである。金銭崇拝ほど品位を低下させる偶像はない」と書いており、54歳の時に書いた本では「裕福な人はその富を浪費するのではなく、社会がより豊かになるために使うべきだ」と書いていました。あるいは、遺産相続には強く反対し、多額の遺産を子どもに残すのは、社会に還元できるはずの富を浪費するだけと信じていました。
カーネギーは1919年の8月に気管支肺炎のために亡くなりました。その時残っていた遺産の最後の3000万ドルも社会奉仕の事業団体に寄贈されたのでした。
このように、カーネギーの話を聞いたあと「愚かな金持ち」のたとえ話を読むなら、イエスの心がストレートに見えてくるのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 7月28日 聖霊降臨後第10主日
説教題:イエスのたとえ話「大宴会」
説教者:白髭義 牧師
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二日市教会主日礼拝説教 2024年7月21日(日)
イエスのたとえ話 「富める愚か者」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さまお一人おひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
イエスのたとえ話。本日はルカ福音書12章の「愚かな金持ち」を取り上げます。なお、金持ちなら誰でも愚かだというわけではないことは後半で考えたいと思います。いずれにせよ本日の金持ちは、神から直接愚か者と言われたので、何が愚かだったのかを考えたいと思います。
けれどもこの話の金持ちは、一見は愚かではありません。あえて言うなら、十分な蓄えが出来た時、「これからは食べたり飲んだりして楽しむぞ」と言ったことが愚かなのかなと思ったりしますが、それは誰でもそうなれば抱く自然な欲望に過ぎません。聖書もコヘレトの言葉2章のように、「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ」と言っていますから、金持ちの気持ちを愚かとするのは無理かも知れません。
けれども神は、金持ちに「愚かな者よ」と言ったのでした。しかも、「今夜、お前の命は取り上げられる」、さらに「お前の物は、誰の物になるのか」と畳みかけたのでした。なお、たとえ話は神のこの言葉で終わっています。一体何が問題だったのか。彼の何が、「愚かな者」と言われても仕方なかったのか。このたとえ話の興味深い点は、それが簡単には分からないことにあるのです。
そこで、この問題を解決する手段として、話を子ども向けの紙芝居にしてみることをお勧めしたいと思います。ある話を絵にする時は、話には出てこなかったことも描く必要が生じます。桃太郎なら、おじいさん、おばあさんの家の中の様子とか、鬼ヶ島がどんな所だったかまで描くことになるからです。だから、愚かな金持ちも、聖書には全く出てこないディティールも絵にしなければならなくなるのです。
たとえば、金持ちの畑が豊作になる。畑は麦畑ですが、これは絵でも表現できるはずです。それと、彼は自分の倉を壊してより大きいのを新たに建てます。そこも絵で表す必要がありますが、建物の取り壊しと新倉庫の建築には沢山の人手が必要です。それに大きな倉でないと入りきらない小麦を畑で収穫した大勢の人たちも絵の対象になってきます。
これだけたくさん土地の人間が働くことになったその作業現場と対照的に、最後は金持ちがたった一人きりになっているラストの様子も描いてあげれば、この金持ちがどんな人間だったかの察しが子どもたちにもついてくるかもしれません。
子どもたちのそばで一緒に見ている大人たちも、この金持ちが自ら畑に出て汗を流す農夫ではないこと、大勢の人間が働いてくれたのに彼らと喜びをともにしようとしないタイプなのだと理解いたします。なぜなら、金持ちがねぎらったのは自分自身だけだったからです。ところで、むつかしいのは紙芝居の終わらせ方です。なぜなら、話は「お前の命は今晩取り上げられる」という神の声で終わりだからです。
しかし、神の声にはあと一つ、「お前が残す物は誰の物になるのだ」があります。実はこれなのです! 後継者も遺産相続の家族も親族もゼロな金持ちが残す穀物はそれ以外の人々の物になったのでした。よかったですね、めでたし、めでたしで、たとえは終わっていたのでした。
ところで、同じ金持ちでもカーネギーという人は違う道を歩みました。アンドリュー・カーネギーは1835年にスコットランドの貧しい家庭に生まれ、13歳の時に両親がアメリカに移住することを決めたため、以後アメリカでその生涯を送りました。職を得て最初に働いたのは綿織物工場で1日12時間、6日間働き、週給は1ドル20セントでした。当時はアメリカも産業革命のあおりで急激に変化している最中でしたが、カーネギーは転職を重ね、ある時から電信局の電報配達の仕事に就きました。週給は2ドル50セント。この会社の従業員はタダで劇場に入れたので、かれはすっかりシェークスピア劇の虜になりました。また自由閲覧が許されていた図書館で本を読みまくり生涯の本好きになりました。
その後の彼のキャリアは目を見張らされるものがあり、28歳でペンシルバニア鉄道に週給4ドルで引き抜かれ、以後この会社が米国屈指の大企業になるまでの立役者として働きました。その内南北戦争が起き、北軍が武器と兵器の大量輸送の必要に迫られると、それを鉄道事業の面で協力し北軍の勝利に貢献しましたが、戦争に必要な工業製品の需要の高まりに着目し、鉄鋼業に転身しました。こうして、カーネギーは今に至るまで鉄鋼王と呼ばれる道をばく進しますが、50歳でようやく結婚し一息つけたのでした。
その後彼は66歳の時、引退を考え準備に入ります。そしてモルガン銀行に会社を買収してくれるよう頼みますが、売却金額は4億8千万ドルで世界中を驚かせました。なお彼はすでに33歳の時に書いたものの中で「蓄財は偶像崇拝の種の一つである。金銭崇拝ほど品位を低下させる偶像はない」と書いており、54歳の時に書いた本では「裕福な人はその富を浪費するのではなく、社会がより豊かになるために使うべきだ」と書いていました。あるいは、遺産相続には強く反対し、多額の遺産を子どもに残すのは、社会に還元できるはずの富を浪費するだけと信じていました。
カーネギーは1919年の8月に気管支肺炎のために亡くなりました。その時残っていた遺産の最後の3000万ドルも社会奉仕の事業団体に寄贈されたのでした。
このように、カーネギーの話を聞いたあと「愚かな金持ち」のたとえ話を読むなら、イエスの心がストレートに見えてくるのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 7月28日 聖霊降臨後第10主日
説教題:イエスのたとえ話「大宴会」
説教者:白髭義 牧師