創世記6:1~14、7:6~9、ロマ4:13~25、マルコ8:31~38
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二日市教会主日礼拝説教 2024年2月25日(日)
四旬節第2主日
「ノアの洪水―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
旧約聖書の創世記をずっと読んでまいりました。先週は4章の「カインとアベル」でしたが、今回からノアの洪水の話になります。創世記の6章から9章までですが、かなり長いので、前半と後半に分け、本日は前半をやります。前半は6章の1節から7章の最後までです。さて、前半はこんな話です。
神は、地上にふえた人間たちのあまりの悪さに愛想をつきるようになり、人間を造ったことを後悔し、これを滅ぼそうと考えた。しかし、その中にノアというとても正しい人がいたので、神はノアとその家族、それからすべての生き物の一つがいだけは滅ぼさないことにした。そこで神はノアに、三階建ての大きな箱舟をつくり、彼の家族と生き物を箱舟に入れるよう命じた。そこで、ノアは箱舟をつくり、命じられたように家族と動物を中に入れた。すると神が言ったとおり、地上には大雨が四十日四十夜降り続いた。そしてそのあと洪水が発生し、それが百五十日間も続き、地上の人間と動物は滅んでしまった。
以上が、前半までのあらすじです。ところで、この洪水の話が始まる前に、奇妙な話がありました。1節から4節までですが、これはネフィリム伝説とも呼ばれる話です。すなわち、地上に人が増えた頃、神の子らは人間の娘たちの美しさに惹きつけられ、各自が好みの娘を妻にした。するとネフィリムという巨人が生まれ、勇猛な戦士となった。……大昔は世界中に巨人伝説がありました。ジプリの宮崎監督もその伝説をアニメ映画に取り込んだ感がします。
そのような巨人伝説がノアの洪水にもあるのですが、それと洪水とどう関係するのか、首をかしげる人もいると思います。ところが関係はあるのです。それを知るためには、この創世記を書いた人のことを考える必要があります。ただし、その人の名前は分かっていませんから、仮にAという名前にしておきたいと思います。
ところで著者のAは、ノアの洪水の話を書くにあたって、巨人伝説を取り込んでみようと考えました。というのも、彼が生きたのは、強大な権力を持つ王たちが国を治めていた時代だったからです。そしてそれらの王は皆一夫多妻主義者でした。たとえば、列王記上の11章8節によると、ソロモンという王には七百人の妻がいたと書かれています。七百人の妻なんて、力ずくで王宮に連れて来られたに決まっています。Aは、これらの王は神の厳しい裁きの対象になると考えていました。するとそのあとに洪水の話が続くわけで、創世記の洪水物語の隠されたポイントは、女性や弱者を踏みつけにしていた権力者が批判されていたことにあるのでした。
さて、このあとノアは箱舟を作り、地上の生き物たちを、神の指示に従って雄と雌一つがいずつ箱舟に入れてゆきます。実は、この「一つがい」にも洪水物語の隠されたメッセージがあるのです。洪水物語は繰り返し、一つがいの動物は雄と雌だったことを強調しています。それによって、著者のAは、人間も一人の夫と一人の妻で夫婦となるべきだと言っていたのでした。聖書は創世記のエデンの園で神が、「男と女は父母を離れて結ばれ、二人は一体となる」と言っていますし、新約聖書でもイエスが「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と言いました。正しい夫婦の在り方の教えが、動物たちの姿を借りて言われていたのでした。
ところで、洪水の話自体は6章の5節から始まります。「主は、地上の人の悪が増し、常に悪いことばかりを思い計っているのを見て、人を造ったことを後悔し、心を痛められた」。世界的な神学者、北森嘉蔵は『神の痛みの神学』という本を書きましたが、彼はノアの洪水に心を痛める神が出てくるのに驚きました。なぜなら、彼の考える神の痛みはキリストの十字架関連の話だったからです。もちろん、それは新約聖書での話ですから、十字架よりもはるか前の旧約の創世記にもう出ていたからです。
なお北森が書いている神の痛みとは、神の愛を人間が裏切ったことから来ています。神の愛と人間の裏切りは水と油の関係なのに、その二つが交わりあってしまった。その場所が十字架である。そのため神に激しい痛みが生じた。なぜなら、裏切は断固として罰なのに、愛の神は罰をためらう。しかし、神の罰はどうしても必要だった。そこでキリストが人間に代わって罰を受けた。これが十字架で、神の痛みの考えなのです。
だから、北森にとっては、新約ではない創世記に神の痛みが出てくるのは早すぎるのです。けれども、ものは考えようで、洪水の場面での神の痛みには別の理由があったと考えればよいのです。というのも今の創世記では「地上に悪が増し、常に悪いことばかりだった(6:5)」とか、「この地は堕落し、不法に満ちていた(6:11)」とか書かれ、言われている人間の罪も、決して悶々として悩んでいる人の個人の罪のことではなく、悪は悪でも巨悪の悪、堕落も社会を崩壊に落とし込むような堕落を神が言っていたと思えるからです。
だから、著者Aも、洪水を世界的な規模で描くことで巨悪に対応させた、つまり悪や堕落の源である権力が意識されていたと考えたいのです。
ところで、ノアの洪水の話は子どもたちにはいつも大人気です。それは動物たちのオンパレードが楽しめるからなのですが、それにしても、二千年以上も前に書かれた聖書という書物が今でも現役で活躍中ということには、改めて驚かされるのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次回3月3日 四旬節第3主日
説教題:ノアの洪水 その2
説教者:白髭義牧師
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二日市教会主日礼拝説教 2024年2月25日(日)
四旬節第2主日
「ノアの洪水―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
旧約聖書の創世記をずっと読んでまいりました。先週は4章の「カインとアベル」でしたが、今回からノアの洪水の話になります。創世記の6章から9章までですが、かなり長いので、前半と後半に分け、本日は前半をやります。前半は6章の1節から7章の最後までです。さて、前半はこんな話です。
神は、地上にふえた人間たちのあまりの悪さに愛想をつきるようになり、人間を造ったことを後悔し、これを滅ぼそうと考えた。しかし、その中にノアというとても正しい人がいたので、神はノアとその家族、それからすべての生き物の一つがいだけは滅ぼさないことにした。そこで神はノアに、三階建ての大きな箱舟をつくり、彼の家族と生き物を箱舟に入れるよう命じた。そこで、ノアは箱舟をつくり、命じられたように家族と動物を中に入れた。すると神が言ったとおり、地上には大雨が四十日四十夜降り続いた。そしてそのあと洪水が発生し、それが百五十日間も続き、地上の人間と動物は滅んでしまった。
以上が、前半までのあらすじです。ところで、この洪水の話が始まる前に、奇妙な話がありました。1節から4節までですが、これはネフィリム伝説とも呼ばれる話です。すなわち、地上に人が増えた頃、神の子らは人間の娘たちの美しさに惹きつけられ、各自が好みの娘を妻にした。するとネフィリムという巨人が生まれ、勇猛な戦士となった。……大昔は世界中に巨人伝説がありました。ジプリの宮崎監督もその伝説をアニメ映画に取り込んだ感がします。
そのような巨人伝説がノアの洪水にもあるのですが、それと洪水とどう関係するのか、首をかしげる人もいると思います。ところが関係はあるのです。それを知るためには、この創世記を書いた人のことを考える必要があります。ただし、その人の名前は分かっていませんから、仮にAという名前にしておきたいと思います。
ところで著者のAは、ノアの洪水の話を書くにあたって、巨人伝説を取り込んでみようと考えました。というのも、彼が生きたのは、強大な権力を持つ王たちが国を治めていた時代だったからです。そしてそれらの王は皆一夫多妻主義者でした。たとえば、列王記上の11章8節によると、ソロモンという王には七百人の妻がいたと書かれています。七百人の妻なんて、力ずくで王宮に連れて来られたに決まっています。Aは、これらの王は神の厳しい裁きの対象になると考えていました。するとそのあとに洪水の話が続くわけで、創世記の洪水物語の隠されたポイントは、女性や弱者を踏みつけにしていた権力者が批判されていたことにあるのでした。
さて、このあとノアは箱舟を作り、地上の生き物たちを、神の指示に従って雄と雌一つがいずつ箱舟に入れてゆきます。実は、この「一つがい」にも洪水物語の隠されたメッセージがあるのです。洪水物語は繰り返し、一つがいの動物は雄と雌だったことを強調しています。それによって、著者のAは、人間も一人の夫と一人の妻で夫婦となるべきだと言っていたのでした。聖書は創世記のエデンの園で神が、「男と女は父母を離れて結ばれ、二人は一体となる」と言っていますし、新約聖書でもイエスが「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と言いました。正しい夫婦の在り方の教えが、動物たちの姿を借りて言われていたのでした。
ところで、洪水の話自体は6章の5節から始まります。「主は、地上の人の悪が増し、常に悪いことばかりを思い計っているのを見て、人を造ったことを後悔し、心を痛められた」。世界的な神学者、北森嘉蔵は『神の痛みの神学』という本を書きましたが、彼はノアの洪水に心を痛める神が出てくるのに驚きました。なぜなら、彼の考える神の痛みはキリストの十字架関連の話だったからです。もちろん、それは新約聖書での話ですから、十字架よりもはるか前の旧約の創世記にもう出ていたからです。
なお北森が書いている神の痛みとは、神の愛を人間が裏切ったことから来ています。神の愛と人間の裏切りは水と油の関係なのに、その二つが交わりあってしまった。その場所が十字架である。そのため神に激しい痛みが生じた。なぜなら、裏切は断固として罰なのに、愛の神は罰をためらう。しかし、神の罰はどうしても必要だった。そこでキリストが人間に代わって罰を受けた。これが十字架で、神の痛みの考えなのです。
だから、北森にとっては、新約ではない創世記に神の痛みが出てくるのは早すぎるのです。けれども、ものは考えようで、洪水の場面での神の痛みには別の理由があったと考えればよいのです。というのも今の創世記では「地上に悪が増し、常に悪いことばかりだった(6:5)」とか、「この地は堕落し、不法に満ちていた(6:11)」とか書かれ、言われている人間の罪も、決して悶々として悩んでいる人の個人の罪のことではなく、悪は悪でも巨悪の悪、堕落も社会を崩壊に落とし込むような堕落を神が言っていたと思えるからです。
だから、著者Aも、洪水を世界的な規模で描くことで巨悪に対応させた、つまり悪や堕落の源である権力が意識されていたと考えたいのです。
ところで、ノアの洪水の話は子どもたちにはいつも大人気です。それは動物たちのオンパレードが楽しめるからなのですが、それにしても、二千年以上も前に書かれた聖書という書物が今でも現役で活躍中ということには、改めて驚かされるのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次回3月3日 四旬節第3主日
説教題:ノアの洪水 その2
説教者:白髭義牧師