日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

4月21日

2024-04-24 11:47:34 | 日記
使徒言行録4:5~12、ヨハネの手紙13:16~24、ルカ15:7~41:50
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二日市教会主日礼拝説教 2024年4月21日(日)

「墓に来た女たち―その4」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週は、マグダラのマリアのことを考えました。マグダラのマリアとは、聖書に出てくるイエスに従った女性の一人で、ガリラヤ湖畔の町、マグダラの出身でした。彼女もイエスの十字架を見とどけ、埋葬に立ち会い、翌々日の早朝その屍に香料を塗るため一番早く墓に来たところ復活のイエスに出会ったのでした。それを書いたヨハネ福音書はさらに、そのイエスが彼女に、復活の出来事を弟子たちに伝えよと命令したとまで書いていました。
従って、そこまで書かれた彼女が、イエスのグループの第一人者だったことは疑う余地がないのですが、それを快く思わない人間がいたのでした。それがペトロだったことは、色々な資料から見えてくることを先週考えたのでした。

ところで、それを裏付けてくれるのは第一コリント15章です。220頁なのですが、その3節以下で、復活のキリストに出会った人間のリストがあるからです。なおこの手紙を書いたのはパウロですが、彼はイエスの復活の時点ではキリスト教の迫害者でした。その後大転換があってイエスを信じ、伝道者になりました。彼は、自分はいちばん最後だったと言いますが、復活はあくまで信仰の事柄で、順番はどうでもかまいません。
しかし、どうでもかまわなくないこともここには書かれています。15章の5節の少し前からですが、「キリストは三日目に復活した、そしてケファに現れた。その後十二人に現れた」、つまり復活のイエスに最初に会ったのはケファ、つまりペトロだったと書かれているからです。ところが、ヨハネ福音書20章では、復活のイエスが最初に会ったのはマグダラのマリアだったと書かれているのです。

ところで話は変わりますが、イエスの死と復活を出発点に、キリスト教は大変な勢いで世界の各地に広がって行きました。使徒パウロでさえ今のトルコやバルカン半島で布教をし、かついずれはスペインまで足を伸ばす予定でした(ロマ15:24=イスパニア)。しかも、彼以外にも優秀な伝道者がたくさんいて、帝国の首都ローマ、エジプト、あるいは今のイランを含む西アジアにも行きました。だから、同じキリスト教といっても、伝道者や地域によって考えや形態に色々違いが生じていったことはやむを得ないことで、それぞれのグループを統括したのが、ペトロだったり、パウロだったり、アポロ(1コリ1:12)だったり、あるいはマグダラのマリアだったりと異なっていたことも大いにありうることでした。だから、彼女の名前を奉じるキリスト教グループも存在したことを疑う必要はないのですが、しかしそれでも、同じ聖書で「マリア説」と「ペトロ説」が相対立することはやはり問題なのです。しかし聖書はその問題を抱えたまま、今に至っているのです。

話を元に戻すと、キリスト教が世界に広まったので地域によって考えや活動形態に色々な違いが生じて行ったのですが、そのような多様性は好ましくないと考える時代が訪れました。その傾向が顕著だったのはヨーロッパの西側(西欧)で、ローマ教皇を首長とするキリスト教(ローマ・カトリック教会)でした。

さて、この時期になると「ペトロ説」が絶対に正しいとされ、教皇はそのペトロの後継者だと見なされました。そして、多様性は好ましくないという考えのもと、色々な「異端」が排除されたり弾圧されてゆきました。その流れの中で、マグダラのマリアを信奉するグループも消されていったと考えられています。
ところが、マグダラのマリアは、特定の教派とか組織を超えて、民衆の心の中に場所を占める存在になっていました。しかも、聖書をきちんと読む人は、復活のイエスが第一番目に会ったのは彼女だと知っていました。なお、日本人は、マリアと聞けばイエスの母マリアしか思い浮かばないかもしれませんが、西欧の人たちにとってのそのマリア(聖母)はもう「神の母」にされていたので、近寄りがたい存在になっていました。ところがもう一人のマリア(マグダラ)は「罪の女」であるがゆえに、かえって一般の女性たちの共感を呼びやすくしていました。

ところで、グレゴリオ聖歌で知られる教皇、グレゴリウス一世は、マグダラのマリアは娼婦だったと説教で言いました。教皇の説教は影響力が大です。また教会は画家たちが彼女の絵を描くのを歓迎しました。聖書に登場する女性ですから、宗教画扱いになりましたが、その大多数はエロチックな絵でした。しかし、こういうのは大昔の話で現代人の感覚とは大きくずれています。それに聖書に書かれていないことをさも事実のように語っても、すぐ見抜かれるのが現代なのです。
ところで、そういう彼らが必ず引き合いに出していたのはルカ7章と8章でした。そこで、その問題を見ておきたいと思います。まず7章ですが、36節以下がポイントです。そこは「罪深い女」の話になっていて、ある町に住んでいた「罪深い女」にイエスが「あなたの罪は赦された」と声をかけています。キリスト教の聖書解釈者たちはこの二千年間、この女性は娼婦だったと解説してきました。ところが聖書はそうは言っていません。昔の聖書解釈者たちは全員が男性でしたから、もしかしたら彼らは「色眼鏡」で見てきたのかもしれません。

それはともかく、ルカ7章の女がマグダラのマリアだったとは聖書のどこにも書かれていません。ところが8章になるとすぐ彼女の名前が出てくるのです(2節)。けれども7章と8章は内容的に全く無関係です。ところが、その二つを密接に関係づけてきたのが、今までのキリスト教なのでした。
さて、この矛盾点は今なら中高生でも見抜けます。しかし、西欧の民衆にはそれが通用しないのかも知れません。なぜなら、彼女の娼婦としてのイメージは、容易に引きはがせないくらい人々の心に定着しているからです。ところで、テレサ・バーガーという女性の神学者は、むしろその現実を逆手に取って彼女をヒロインにすることを提案しています。
バーガーによれば、彼女が元娼婦であることは、多くの女性たちに積極的な意味をもたらすはずなのでした。なぜなら、女性の体の性的搾取という罪悪、つまり若い女性の性的売買は今では世界的な傾向を見せている。その現実から目をそむけないのであれば、マグダラのマリアは、虐待され、搾取され、売買される彼女たちがそこから抜け出し、イエスとの出会いによって自由にされる女性のシンボルになるからである。
テレサ・バーガーは言います。マグダラのマリアは元娼婦だったのだ。虐待され搾取されていたが、その彼女が復活のイエスに真っ先に会い、ついにはイエスによって教会のリーダーに任命されたのである。私たちは、その理解で大丈夫なのだ。なぜなら、神の力は、私たちの人生の乱れた汚い部分を遠ざけたりはしないからである。それゆえその力は私たち自身のためにも引き出すことが出来るのである。
彼女のこの考えも、傾聴に値すると思いたいのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週4月28日 復活節第5主日
説教題:新約聖書の女性たち
説教者:白髭義 牧師

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4月14日

2024-04-17 16:33:58 | 日記
使徒言行録3:12~19、ヨハネの手紙13:1~7、マルコ15:39~16:2
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二日市教会主日礼拝説教 2024年4月14日(日)

「墓に来た女たち―その3」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週は、ヨハネ福音書20章の復活物語を読んで、マグダラのマリアのことを考えました。その17節によると、復活のイエスは彼女に「わたしの兄弟たちのところに行ってこう言いなさい」と命じています。そのため彼女はすぐ行動を起こし、弟子たちのところに行って、「わたしは主を見ました」と言い、さらにイエスからの伝言を伝えたのでした。
 しかし、ここを読んで思うことは、なぜイエスは自分自身で直接彼らのところに行かなかったのかということです。なぜなら、この話なら弟子たちはそんなに遠くにはいなかったからで、遠いから行くのが大変だったという話ではないからです。

 ところで、会社で仕事をしている人は知っていますが、社長の命令は社員に直接に伝えられるのではなく、課長とか係長などの上司を通して伝えられます。かりに社長の部屋がすぐ隣りでもそうです。それと似たことがヨハネ福音書でも起きたのでした。なぜならイエスの命令は、弟子たちに直接にではなく、マグダラのマリアを通して伝えられたからです。そしてこういう場合は、会社では彼女は彼らの上司なのです。
 もちろん、男の弟子も大勢いましたから、彼らの中にもリーダー格の人はいたはずです。だから、イエスがその人に会って命令を伝えてもおかしくなかったと思うのですが、本日の話はそうはなっていないのです。つまり、この話を読む限りは、マグダラのマリアが全体のリーダーなのです。
 けれども、男性の弟子が、自分は女がリーダーになるのは我慢が出来ないと、イエスに不服を申し立てた話があります。『トマスによる福音書』という文書にそう書かれているからです。この文書は1945年にナイル川の近くで見つかったのですが、私たちも日本語訳で読めるようになっています。

ところで、この福音書には二人の主要人物が登場します。その一人はマグダラのマリアで、もう一人は弟子ペトロです。このペトロがイエスにこう訴えたのでした。自分ならびに弟子たちは、マリアと一緒にいることができない。なぜなら彼女は女だからである。この福音書に出てくる彼女は、イエスからリーダーとして任命されています。それなのにペトロは不服申し立てをしたのでした。
 話は変わりますが、ある女性牧師が私にこんなことを打ち明けてくれました。彼女は、いくつかの教会と合同の集会で司式をたのまれました。それは、別の教会の男性の牧師と一緒にやるというものでした。ところが、その男性牧師は、自分は女の人と一緒に司式をすることは出来ないと断ったのでした。これ以後彼女は大変なトラウマになったのでした。ペトロの拒絶もそれとよく似ていますが、しかも彼はそれをイエスの前でしたのでした。

さて彼の不服申し立てを聞いて、イエスがどんな返事をしたか。『トマス福音書』にはこう書かれています。イエスは答えた。「わたしは彼女を男にする」。この謎の言葉は学者たちのあいだで議論を呼びました。なお、この時のマリアはペトロたちからバッシングを受けていました。イエスは、彼女の窮状を知って「私は彼女を男にする」と言ったのでした。というのも、ペトロが問題としていたことは、マリアは女だということだったからです。一人の女性神学者は、天地創造の時に神が創造した最初の人間は、ジェンダーとしての男でも女でもなかった、その意味での最初の人間に彼女を戻すということを言っていたのではないかと書いていました。

 ところで、『トマス福音書』が見つかった時、同時に『マリアによる福音書』というのも見つかりました。正式には『マグダラのマリアの福音書』ですが、この福音書も『トマス』同様、重要人物はペトロとマグダラのマリアです。なお、ここでのマリアも全員の上に立つリーダーになっています。
 さてある日、ペトロはマリアに言いました。「救い主は、ほかのどの女性よりもあなたを愛したことを私たちは知っている」。だから、自分たちが知らない、彼女だけが知っている救い主の教えのことばを語ってほしいと言ったのでした。そこで彼女は快く応じて、イエスから聞いていた教えを彼に語ったのでした。しかし残念なことにこの文書は、そのあとの4頁分が欠落しています。次に始まる頁の最初は「以上マリアは話し終えた」という言葉なのです。
このあと、ペトロの言葉が続きます。彼は言った。「救い主が、私たちの知らないところで密かに女性と話すことはありうるだろうか」。そんなことは断じてない。ゆえに今彼女が語ったことは全部フェイクだ。つまりマリアは嘘つきであると言ったのでした。
このあとはこうなっています。マリアは泣き出して、「兄弟ペトロ、何を想像しているのでしょうか。わたしが心の中で、自分で、これらのことを思いついたと、あるいはわたしがウソをついているとでも、あなたはお考えなのですか」と言った。この時、見るに見かねて第三者の弟子が間に入って、ペトロの気の短さをたしなめ、あなたは伝道だけに専念しなさいと忠告したのでした。

 なお、トマス福音書もマリア福音書も、発見当時は、これはキリスト教の異端たちが書いた文書だから取るに足りないという説明がされていました。ところがしばらくたつと空気が変わってゆきました。なぜなら、異端はあくまで後世の人間が貼ったレッテルであって、本当はキリスト教の一グループが書いた文書だということが分かったからです。だから「トマス福音書」も「マリア福音書」も、それが書かれた当時の教会や人々の人たちの生き方、考え方がよく分かるということで、評価されるようになったからです。

 さて、その結果わかったことは、今では異端と呼ばれるグループが、当時は素敵な活動をしていたということでした。なぜならそれは、当時の男性中心主義の考えとは一線を画した生き方で、一種の女性解放運動のような感じになっていたからです。しかも、それがイエスの教えを忠実に実践しようとする人たちによる運動だったことも見えてきて、非常に注目を集めるようになったのでした。だから、その生き方と活動に現代の人たち、特に女性たちが希望を見出したと聞いても、驚くには及ばないのであります。
 その意味で、ナイル川の岸辺でぼろぼろの状態で発見されたトマス福音書とマリア福音書ですが、発見されたことの意義を過小評価してよいものではありません。そしてそのことは、ことにそれまで薄ぼんやりとしか見えてなかったマグダラのマリアの実像がよりクリアになったことでもあって、そのため教会での女性のありかたもあらためて考える機会となったのでした。
 なお、次回は「マグダラのマリアは娼婦だった」という、今も根強く残る固定概念とどう戦ったらよいかについて考えてみたいと思います。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週4月21日 復活節第4主日
説教題:墓に来た女たちーその4
説教者:白髭義 牧師

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4月7日

2024-04-11 16:43:56 | 日記
使徒言行録4:32~35、ヨハネの手紙11:1~2:2、ヨハネ20:11~18
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二日市教会主日礼拝説教 2024年4月7日(日)

「墓に来た女たち―その2」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
  今読んだヨハネ福音書は、復活のイエスとマグダラのマリアの出会いの話でした。ところで、マグダラのマリアとはどんな女性だったのでしょうか。それを考える上でまず参考になるのが、マルコ15章です。15章は、イエスがピラトから尋問を受け、死刑の判決が下り、十字架につけられたという話ですが、この後半「イエスの死」が、彼女のことを具体的に考えさせてくれるからです。

 15章のここは、イエスが息を引き取る場面です。それを見ていた人たちの中に女性がいた、「その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた」、つまり彼女もいたと書かれているからです。
 それから、41節にはもうひとつ重要なことが書かれています。「この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である」。ところでこの「イエスに従って」ですが、これは「イエスの弟子として」という意味が含まれる新約聖書の重要な言葉です。ということは、彼女はイエスの弟子だったのですよとマルコ福音書は暗に匂わせているのです。

 それともうひとつ、今のマルコ福音書は、女性たちがイエスに従っていたのは「ガリラヤにおられたとき」からだと書いています。つまり、彼女たちはもともとガリラヤの住民で、マグダラのマリアもその一人だった。ところで、マグダラは町の名前です。ガリラヤ湖畔の町で、湖で取れた魚を塩漬けにして外国に輸出する基地のような町でした。

 なお、聖書にはマリアという名がたくさん出てきますが、マリアは当時人気ナンバーワンの名前で、親がこぞって生まれた女の子にマリアの名をつけていたためでした。だから、マグダラのマリアもほかのマリアと混同されないために出身の町の名と共に呼ばれていたのでした。
 ところで、彼女を理解するためにもう一か所、ルカ福音書8章を見ておきたいと思います。「婦人たち、奉仕をする」という見出しになっていますが、そこはイエスに従って伝道旅行をしていた女性たちの紹介となっています。そして、イエスに病気を治してもらった数人の女性の一人としてマグダラのマリアの名前が挙がっています。イエスに癒された女性がいかに多かったかを思わせる箇所ですが、3節の最後には「彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」という言葉があります。

 つまり、彼女たちの中にはイエスのグループに対して経済的な支援が出来る女性が何人もいたということなのです。マグダラのマリア以外に名前が挙げられている中にヘロデの家令クザの妻ヨハナの名がありますが、彼女の夫はヘロデ王の家臣だったわけで、そのことでここに紹介された女性たちが皆上流階級の人たちだったと言っているのです。ということは、一緒に紹介されたマグダラのマリアもまた裕福な暮らしが出来ていた一人で、しかし彼女は、何もかも打ち捨ててイエスに従ったと言う感じなのであります。もちろん3節の最後に、「彼女たちは自分の持ち物を出し合った」と書かれていますから、自分の所有物を売り払ってそのお金をイエスの活動費に充てたりもしていたのでした。

 ところで、このマグダラのマリアのことを「彼女は娼婦だった」と言う人がいます。けれども、今聖書にあったプロフィールをしっかり読んでいれば、そういうことは言えないのではと思うのであります。
 さて、多くの女性も従っていたイエスですが、彼女たちに「小さな群れよ、恐れるな(ルカ12)」と声を掛けました。その彼女らは、全員の食事作りを引き受けており、そのため、ゆく先々で食材の買い出しのために行った村や町の市場で出会う冷ややかな目線やひそひそ交わされる陰口を背にして戻って来るのをイエスは知っていたからでした。

なお、イエスのたとえ話は家庭の主婦たちの労働に触れたものが少なくありません。たとえば、「パンだねのたとえ(マタ13)」では、女の作業だったパン作りが取り上げられ、「地の塩(マタ5)」のたとえでは、料理の塩加減をしている主婦たちが取り上げられていたからです。
 またイエスの教えには「思い悩むな(マタ6)」があります。その教えで彼は「何を着ようかと思い悩むな」と言いました。これは明らかに女性たちに向けての言葉で、しかしそれは着るものがたくさんありすぎての悩みなどではありませんでした。なお、一人の男性の弟子はイエスに「私たちは何もかも捨ててあなたに従ってまいりました(マタ19)」と言いましたが、それは女性たちも同じで、持参している衣服は必要最低限で、洗濯は川や池で、木陰に干せばよかったが、人前で「何を着ようか」というのは当然すぎる悩みなのに、今はその装いも許されない環境なのでした。だからこそ、イエスは「野の花がどのように育つのか注意して見なさい」と教えたのでした。野の花でさえそうであるように、あなたがたを装わせてくださるのは天の父なのである。それをまとっているあなた方こそいちばん美しい・・・。

 こうして、彼女たちを含むイエス一行はエルサレム入りをし、あげくのはてに彼は逮捕されますが、その時男性の弟子は全員逃げ出したのに、女性たちは一人残らずその場にとどまった。と どの福音書も書いたのでした。ところで、福音書はどれも、イエスに従った女性の話をする時は、かならずトップにマグダラのマリアを挙げます。なぜそうなのか。やはり彼女が女性グループでナンバーワンだったからです。そこで、本日のヨハネ福音書20章ですが、復活のイエスはそのナンバーワンの女性のマグダラのマリアに姿を見せたのでした。

 さて、この話の最後をもう一度見ておきたいと思います。なぜなら、そのイエスは彼女に「わたしの兄弟たちのところに行ってこう言いなさい」と命じたからです。彼女はそこですぐ彼らの所に行っていますが、その程度の距離なのにイエス自身は彼らの所に行こうとはしなかったのでした。

 でも、男性の弟子たちの中にもナンバーワンはいたはずです。マリアはあくまで女性たちの中のトップにすぎません。ところが、イエスは彼女一人だけで充分という態度をしめしたのでした。ということは、弟子たち全員のトップがマグダラのマリアであるとイエスが認識していたことに他なりません。
 さて、聖書がここまで書いていたにも関わらず、その後の歴史を見ると、マグダラのマリアの存在はぼんやりして、やがて消え去っています。ところが私たちはイースターになると、ナンバーワンの彼女とイエスの出会いの物語を読まされるのです。過去二千年間少なからぬキリスト教徒がその矛盾に気がついて来ましたが、それを公に口にするようになったのはようやく百年ほど前からでした。
従って私たちも、この矛盾をほったらかしにしないで、何が問題となっているのかを考える必要があるのです。その意味で、次週も引き続きマグダラのマリアのことを考えたいと思う次第であります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週4月14日 復活節第3主日
説教題:墓に来た女たち その3
説教者:白髭義 牧師

4月14日(日)午後2時~
能登半島地震
チャリティーコンサート・ピアノ連弾&ソプラノ
参加費:小学生以上一人500円
出演:和田朋子、西田祐子
※どなたもおいでください。
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3月31日

2024-04-04 13:09:42 | 日記
詩編98:1~9、コリント115:1~11、ヨハネ20:1~18
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二日市教会主日礼拝説教 2024年3月31日(日)

「墓に来た女たち―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 本日はイースター、復活祭の日曜日です。この説教のあと一緒に唱えることになっている使徒信条にも、主イエス・キリストが「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人のうちから復活した」とあるように、イエスのよみがえりを祝う復活祭の日曜日です。すなわち、キリストは「死んで」「葬られ」「三日目によみがえった」のでした。
 けれども私たちは、死んだ人のことを、「誰々さんは死にました」とは言いますが、「誰々さんは死んで葬られました」の言い方はしないものです。ところが使徒信条は、「キリストは死んで葬られました」の言い方をするのです。なぜそう言わなければならないのか、これは考える価値がありそうです。
 それはともかく、イエス・キリストの埋葬のことは今の15章42節以下に書かれていました。ただその前に確認したいことは、その時イエスの弟子は誰もいなかったことです。なぜなら、14章の50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ出してしまった」と書かれているからです。

ところで逃げ出した理由は、イエスの逮捕を目にしたからで、次は自分も捕まると身の危険を覚えたからでした。そして逃げ出した。逃げて逃げて、福岡から平戸あるいは長崎までほどの故郷ガリラヤに逃げ帰りました。ところで、逮捕は真夜中でした。そのあとすぐ裁判にかけられ、夜明け頃にローマ総督ポンテオ・ピラトの官邸に連行され、そこで死刑の判決を受け、ただちにゴルゴタという処刑場で十字架の刑に処され、午後3時に息を引き取ったと聖書に書かれています。そしてその時点で弟子たちは、誰もいなかった。つまり男性はゼロになっていました。
 しかし、女性たちは踏みとどまった。そう聖書は言います。あるいは聖書には、「この婦人たちはガリラヤにおられたときからイエスに従っていた」とも書かれています。とは言え、田舎のガリラヤから来た女たちは、西も東もよくわからず、ここは不案内きわまりない土地でした。しかも、ゴルゴタの処刑場は厳重な警戒態勢で、武装した大勢の兵士たちが取り囲まれており、それだけでも恐怖でした。

 しかもさらに不安なのは、遺体の行く先でした。十字架から降ろされたあとどうなるのか。イエスはガリラヤの出身で墓もガリラヤにしかありません。ところが遺体の埋葬は至急するよう求められていました。そのためもあって、死刑囚の遺体は掘った穴に投げ込まれ土をかぶせるという埋葬で処理されていました。女性たちは仮に身元の引受人になっても、納める墓がないのでした。実際的な話になりますが、それが彼女たちには最も深刻な悩みなのでした。
 ところがそのような時に、アリマタヤのヨセフという人物が現れたのでした。聖書は彼のことを「身分の高い議員」だったと書いています。当時の議員は上流階級に属する人間で、経済的にも余裕がある人たちでした。なお、当時の人々にとっての墓は、良い暮らしが出来ている階層と、貧しい人々との間では格式の違いがありました。良い暮らしをしている人たちには、家族の墓という墓があって、家族あるいは親族の単位で墓は独立していました。一方、貧しい人々にも墓はありましたが、それはいわば大部屋方式で、誰彼の区別なく遺体が収納できるようになっていました。いずれにしても、葬儀を取り仕切る人間がいないと墓に収めることが出来ません。男衆がゼロのイエス・グループは、今や風前の灯でした。

 そんなわけで、アリマタヤのヨセフの登場は、まさに救世主の出現でした。彼は彼女たちの窮状を知るとすぐ、自分が身元引受人になると上司に申し出ました。その時のことを聖書は、「ヨセフは勇気を出してピラトのところに行った」と書いています。なぜ「勇気を出して」なのかというと、ピラトにとってイエスは国家転覆罪の大悪人だったからです。しかも、ヨセフが属する権力者グループはイエスの殺害を申し合わせていたくらいで、メンバーの一人のヨセフがイエス・グループに有利な計らいをしたと知れ渡れば、バッシングも相当のはず。それを承知でピラトに願い出たのは、密かにイエスに好意を寄せていたからでした。
 なお聖書は、ヨセフが神の国を待ち望む人だったと書いています。それはヨセフがイエスの弟子だったという意味ではありません。そういうことはともかく、男手がない彼女たちにとって、難問を切り開いてくれるのがいかなる人間かはもうどうでもいいことで、それよりも、神の手による見えない、しかし確かな導きがあるのだということを信じる機会となったのでした。

 なお聖書によると、この時夕闇が迫っていました。この日は金曜日で、日没を境として曜日が変わり土曜日になるのでした。ところが遺体は金曜日の内に埋葬すべしと定められていました。ところでイエスが息を引き取ったのは三時なので、あまり時間がありません。それを知るヨセフは、てきぱきと事を運びました。家の従僕たちに命じ、至急亜麻布を買いに行かせ、その布を広げさせて遺体をくるませると、墓に直行させ、中に遺体を安置させると、再び命じて、大きな石で墓の入り口をふさがせ、ふさぎ終わると従僕たちを従えて帰ってしまった。このあと彼女たちは彼を見ることは二度とありませんでした。

 ところで聖書には、それは「岩を掘って作った墓」だったと書かれています。岩に横穴を掘り進め、広くくりぬいた内部を遺体の安置所にしたのですが、人が入れるほどの空間で、弔問客や墓参者が腰かけられる石造りのベンチまで設けられていました。なおマルコの16章5節に「白い長い衣を着た若者が右手に座って」いたと書かれていますが、若者が座っていたのもそのベンチでした。
さて、このあと、二人の女性が墓の前に留まりました。思いもかけないことで決まったイエスの墓の場所を仲間に正確に伝えるため頭に叩き込んでいたのでした。というのも、このあとのことはアリマタヤのヨセフにも頼れないからでした。
とは言え、彼女たちをひどく悩ませていた難問も一挙に解決したのですから、キリスト教はこのヨセフをもっと高く評価してよいのではと思うのです。それはともかく、話はその二日後の朝のことに移ります。それは6章の1節以下に記されています。

さてここで重要なのは女性たちの会話です。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」。遺体に香料を塗るのが目的とは言え、男の弟子も、議員ヨセフたちもいない今の時点のこの会話。それは悲観と絶望の自暴自棄の言葉だったのか、それとも、信じる心さえあれば大丈夫よという天真爛漫さの表れだったのか。「それを決めるのはあなたですよ」と言いながら、マルコは自分の福音書を終わらせたのでした。マタイ、ルカ、ヨハネと較べるなら、まことにユニークな福音書のイースター物語だったのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)

次週4月7日 復活節第2主日
説教題:墓に来た女たち ーその2
説教者:白髭義 牧師

能登半島地震
チャリティーコンサート
ピアノ連弾 & ソプラノ
4月14日(日)午後2時から3時
参加費:小学生以上1人 500円(未就学児フリー)
出演:西田祐子・和田朋子

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