工作台の休日

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1995年パシフィックGP 初めて見に行ったF1道中記1

2018年10月29日 | 自動車、モータースポーツ
 鈴鹿の話の際に、初めて見に行ったF1の話は別の機会に書きましょう、とお知らせしていましたので、その時のことを話します。
 私が初めて見に行ったのは1995年(平成7年)に開催されたパシフィックグランプリです。古くからのファンの方だと「わぁー、懐かしい」と言われますし、若いファンからは「それって、どこですか?」と怪訝な顔をされることもあります。
 F1グランプリ(GP)は世界各国を転戦するわけですが、通常はイギリスGP、イタリアGPと国名を冠して一国一GPの形で行われます。ところが、その国での人気や開催カレンダーの都合、もちろん主催できる能力があるオーガナイザーの存在などで、例外的に一年に2回、別々のサーキットで開催されることがあります。以前はイタリアで、春にイモラというサーキットで「サンマリノGP」を開催し、秋にはミラノ郊外のモンツァでイタリアGPが開催されていました。別にサンマリノにサーキットがあるわけではなく、隣国の名前を拝借しているわけです。他にも英、独、スペインでは「ヨーロッパGP」が、ドイツでは「ルクセンブルクGP」といった名前で年に二度のF1が開催されたことがあります。日本でも1994年と1995年に、鈴鹿での日本GPとは別に、岡山のTIサーキット英田(あいだ)で、パシフィックGPが開催されました。
 このグランプリ、1994年は4月に開催され、翌年も春の開催を見込んでいたのですが、1995年は1月に阪神淡路大震災が発生し、その影響から10月に順延となり、鈴鹿の日本GPの一週間前に行われることになりました。このため、10月に同じ国で二週続けてF1を開催するという異例のスケジュールとなったのです。
 パシフィックGPの特徴は、全ての観客をツアーバス等で岡山などの都市からサーキットまで移動させるという方式でした。マイカー等でのアクセスを一切排したわけです。山の中に作られたサーキットですので、道路事情を考えるとそれが一番混乱が起きない方法だったのでしょう。このため、見に行きたければ何らかの観戦ツアーに申し込むのが必須となります。
 この時期に遊びに行けそうな時間的な余裕ができた私は、すでにレースの開催まで1か月を切っていましたが、旅行代理店で偶然ツアーのチラシを見つけました。ダメで元々と思い、ツアーに空きがあるか聞いてみることにしました。ブームは去ったとはいえ、まだまだ人気スポーツだったのです。
 旅行代理店からは「まだまだ空きがありますよ。で、どのプランになさいますか?」という答えが返ってきました。こうして、私は土曜日の車中泊、日曜の決勝を観戦してその日のうちに帰京するというツアーに参加することになったのです。
 観戦ツアーは10月21日・土曜日の夜から始まります。寝台特急あさかぜに乗って岡山を目指すことになります。1輛まるまる観戦ツアーの参加者が乗っており、添乗員さんもいます。同じツアーということもあって私のいるB寝台のボックスでは自己紹介のような感じになりました。翌週の鈴鹿にも行くんですよ、といううらやましい方もいました。
 ブルートレインを代表する列車名のあさかぜですが、確かこの頃には食堂車の営業もなく、私は東京駅で買ったとんかつ弁当を食べた記憶があります。1992年に下関から東京まで乗った時にはオリエント急行風の食堂車が営業していたのですが・・・。
 こうして始まったツアーですが、私も食事もそこそこに上段寝台に入りました。話し声も止んで、車輛の中で夜更かししている人はいません。添乗員さんも「岡山で寝過ごしたら置いていくのでちゃんと目を覚ましてくださいね(笑)」と言っていました。それもそのはずです。岡山には4時15分に到着なのです。夜更かしなどできません。到着時刻は明け方というよりはまだ夜中です。果たして、ツアーのメンバーは寝過ごすことなく無事にサーキットまでたどりつけるでしょうか。(つづく)


 
 

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