まずは前回の補足から。先日亡くなられた三遊亭金翁師匠の話を書きましたが、金馬時代に飛行機プラモデルのコンテスト「プラ・プレーンコンテスト」の審査員を務めていたのでは、というご指摘をいつものベテランモデラー氏からいただきました。先日ご紹介した「モデルズ・プラスチック'60」の続編「モデルズ・プラスチック'70」で、モデルアート主幹(当時)の井田 博氏がプラ・プレーンコンテストの思い出をつづっており、金馬師匠以外にも日大の木村秀政教授、漫画家のおおば比呂司氏など、飛行機が好き、あるいは飛行機に関わっていた著名人が審査員を務めていたとあり、当時の写真も掲載されていました。このお三方はいずれも第一次大戦機がお好きで、審査にも好みが反映されたようですが・・・。プラ・プレーンコンテストについてはさまざまな方がそれぞれの立場で思い出やその光と影の部分を語っていますが、ここでは触れないでおきます。
さて、タイトルの通り、鉄道模型趣味(TMS)誌が創刊75年を迎え、9月号が記念号となりました。今年は鉄道150年だけでなく、先日の鉄道ピクトリアル1000号など、老舗趣味誌も節目を迎えています。TMS誌は1946(昭和21)年にガリ版刷りでスタート(こちらは通巻に含めず旧1号と呼ばれます)しましたが、当時出版物に必要だったGHQの検閲も受けていないため、同人誌的な形だったようです。翌年には活版印刷として再出発し、これを創刊号としています。今回の号では巻頭にこの「旧1号」の創刊の辞が再録されています。「子供のためではなく大人の本を作る」、「文化の一翼として恥ずかしくないものに育て上げ」、「模型店の宣伝誌ではない独立した本」といった言葉が並び、意気込みを感じます。また「読む人と雑誌の間にほのぼのとした愛情がめばえるような親しめるもの」を作りたいともしています。この「創刊に際して」という言葉の中に後々まで続くTMS誌のポリシーが詰まっているように思えました。私がTMSと出会ったのは70年代後半ですので、かれこれこの雑誌の歴史の半分以上はお付き合いしているということになりましょう。NゲージもHOゲージも素晴らしい作例が多く、コンテストなどもかつては盛んでしたので、上位作品の記事を見るのも好きでした。自分がNゲージから鉄道模型に入ったことから、当時よく掲載されていたNゲージのレイアウト記事も気になりましたが、当時は限られたシーナリー、建物が並ぶ中、8の字エンドレスで実物ではありえないような急カーブを、やはり限られた種類の車輌が走っていたように思います。今ではNゲージでも年代、場所を問わずさまざまな車輌だけでなく、建物なども出ています。編成ものについては実物通りのフル編成で、それも特定の日のものまで再現した製品もありますので隔世の感があります。もちろん、Nの記事だけでなく16番の車輌工作などでも、他の工作のヒントになるような記載があったりしましたので、こうした記事に私も育てられてここまで来たのだなと思います。
TMS誌で思い出深いのは「新製品の紹介」で牽引力を測ったり、通過可能な半径のカーブを独自に測定していたことで、こうしたテストというのはアメリカの模型誌でもやっていたように思いますが、それだけでなく多分に「暮らしの手帖」の影響もあるのではないかと思います。これは、鉄道模型は走らせてこそ、というのが根底にあったのだと思います。また、自作や改造でもディティール過多に陥ってパーツがポロポロ落ちたり、ちゃんと走らないような模型だと、編集部が時には手厳しい意見を書いていたのも懐かしいです。私自身もキットを組んだ場合は「なるべく頑丈に、かつ確実に走ること」を目標としており、多少ディティールを犠牲にしても、そこは譲れないところです。したがって、確実さを求めてカプラーをあえてアーノルドタイプにすることもあります。ともすれば保守的かもしれませんが、これはTMSの影響かもしれないですね。
意識してということだったようですが、TMSはあえて日本型を中心に掲載しており、外国型については後発の「とれいん」が積極的に掲載していた時期がありました。特に「とれいん」誌は1980年代後半からとても勢いが感じられ、私もTMSともども愛読するようになります。カラフルな外国型車輌はそれだけで魅力的で、今も外国型の車輌が我が家でそれなりの勢力を築いているのはこうしたことも影響しているのでしょう。ただ、昔のTMSではアメリカの老舗の鉄道模型誌・モデル・レイルローダーを意識して、自分の手を動かして車輌を手がけ、レイアウトの上で走らせるといったところをモデラーの将来的な到達地に置き、そのために素晴らしい車輌工作、レイアウトの記事を掲載していたのかなとも思います。
以前、TMSが鉄道模型店、メーカーであるイモンの下で「再出発」したことを書いておりますが、現体制になってからは資料性の高い実物記事も掲載されています。購読層もそれなりに年配のファンを意識しているというのもあるかと思います。現編集長の名取紀之氏も「かつてのようにぐいぐい趣味界を牽引していく存在ではないにしても「読む人と雑誌の間にほのぼのとした愛情がめばえるような親しめるもの」としての役割について今号で触れられています。TMS誌もそうですし、版元の機芸出版社の刊行物では「陸蒸気からひかりまで」、「シーナリーガイド」、「明治の機関車コレクション」といった名著が多くあり、私も影響を受けた一人です。これらの書籍はほのぼのどころか、趣味に大きく影響を与えた、強い愛情がめばえるものと思っています。
さて、今ではネットと模型屋さんのポスター等で新製品の発売時期も分かりますし、モデラーがさまざまな方法で発信、受信できるようになりました。雑誌メディアの存在意義はますます厳しくなる可能性をはらんでいます。ただ、若いモデラーとの交流の中で、工作のために知っていたい、知っておくべき情報が意外に共有されていないこともあって、雑誌メディアが果たせる役割はまだたくさんあるのではとも思うのです。今後も美しい作例記事やレイアウト記事で楽しませてくれることを祈念しつつ、今回の結びといたします。
記念号の表紙は昭和24年から26年頃のロゴをあしらったものとなっています。実は表紙の上には今ではなくなった「国鉄特別取扱承認雑誌」の文字を「ちょっとした遊び心」として入れています。
さて、タイトルの通り、鉄道模型趣味(TMS)誌が創刊75年を迎え、9月号が記念号となりました。今年は鉄道150年だけでなく、先日の鉄道ピクトリアル1000号など、老舗趣味誌も節目を迎えています。TMS誌は1946(昭和21)年にガリ版刷りでスタート(こちらは通巻に含めず旧1号と呼ばれます)しましたが、当時出版物に必要だったGHQの検閲も受けていないため、同人誌的な形だったようです。翌年には活版印刷として再出発し、これを創刊号としています。今回の号では巻頭にこの「旧1号」の創刊の辞が再録されています。「子供のためではなく大人の本を作る」、「文化の一翼として恥ずかしくないものに育て上げ」、「模型店の宣伝誌ではない独立した本」といった言葉が並び、意気込みを感じます。また「読む人と雑誌の間にほのぼのとした愛情がめばえるような親しめるもの」を作りたいともしています。この「創刊に際して」という言葉の中に後々まで続くTMS誌のポリシーが詰まっているように思えました。私がTMSと出会ったのは70年代後半ですので、かれこれこの雑誌の歴史の半分以上はお付き合いしているということになりましょう。NゲージもHOゲージも素晴らしい作例が多く、コンテストなどもかつては盛んでしたので、上位作品の記事を見るのも好きでした。自分がNゲージから鉄道模型に入ったことから、当時よく掲載されていたNゲージのレイアウト記事も気になりましたが、当時は限られたシーナリー、建物が並ぶ中、8の字エンドレスで実物ではありえないような急カーブを、やはり限られた種類の車輌が走っていたように思います。今ではNゲージでも年代、場所を問わずさまざまな車輌だけでなく、建物なども出ています。編成ものについては実物通りのフル編成で、それも特定の日のものまで再現した製品もありますので隔世の感があります。もちろん、Nの記事だけでなく16番の車輌工作などでも、他の工作のヒントになるような記載があったりしましたので、こうした記事に私も育てられてここまで来たのだなと思います。
TMS誌で思い出深いのは「新製品の紹介」で牽引力を測ったり、通過可能な半径のカーブを独自に測定していたことで、こうしたテストというのはアメリカの模型誌でもやっていたように思いますが、それだけでなく多分に「暮らしの手帖」の影響もあるのではないかと思います。これは、鉄道模型は走らせてこそ、というのが根底にあったのだと思います。また、自作や改造でもディティール過多に陥ってパーツがポロポロ落ちたり、ちゃんと走らないような模型だと、編集部が時には手厳しい意見を書いていたのも懐かしいです。私自身もキットを組んだ場合は「なるべく頑丈に、かつ確実に走ること」を目標としており、多少ディティールを犠牲にしても、そこは譲れないところです。したがって、確実さを求めてカプラーをあえてアーノルドタイプにすることもあります。ともすれば保守的かもしれませんが、これはTMSの影響かもしれないですね。
意識してということだったようですが、TMSはあえて日本型を中心に掲載しており、外国型については後発の「とれいん」が積極的に掲載していた時期がありました。特に「とれいん」誌は1980年代後半からとても勢いが感じられ、私もTMSともども愛読するようになります。カラフルな外国型車輌はそれだけで魅力的で、今も外国型の車輌が我が家でそれなりの勢力を築いているのはこうしたことも影響しているのでしょう。ただ、昔のTMSではアメリカの老舗の鉄道模型誌・モデル・レイルローダーを意識して、自分の手を動かして車輌を手がけ、レイアウトの上で走らせるといったところをモデラーの将来的な到達地に置き、そのために素晴らしい車輌工作、レイアウトの記事を掲載していたのかなとも思います。
以前、TMSが鉄道模型店、メーカーであるイモンの下で「再出発」したことを書いておりますが、現体制になってからは資料性の高い実物記事も掲載されています。購読層もそれなりに年配のファンを意識しているというのもあるかと思います。現編集長の名取紀之氏も「かつてのようにぐいぐい趣味界を牽引していく存在ではないにしても「読む人と雑誌の間にほのぼのとした愛情がめばえるような親しめるもの」としての役割について今号で触れられています。TMS誌もそうですし、版元の機芸出版社の刊行物では「陸蒸気からひかりまで」、「シーナリーガイド」、「明治の機関車コレクション」といった名著が多くあり、私も影響を受けた一人です。これらの書籍はほのぼのどころか、趣味に大きく影響を与えた、強い愛情がめばえるものと思っています。
さて、今ではネットと模型屋さんのポスター等で新製品の発売時期も分かりますし、モデラーがさまざまな方法で発信、受信できるようになりました。雑誌メディアの存在意義はますます厳しくなる可能性をはらんでいます。ただ、若いモデラーとの交流の中で、工作のために知っていたい、知っておくべき情報が意外に共有されていないこともあって、雑誌メディアが果たせる役割はまだたくさんあるのではとも思うのです。今後も美しい作例記事やレイアウト記事で楽しませてくれることを祈念しつつ、今回の結びといたします。
記念号の表紙は昭和24年から26年頃のロゴをあしらったものとなっています。実は表紙の上には今ではなくなった「国鉄特別取扱承認雑誌」の文字を「ちょっとした遊び心」として入れています。