(前回よりつづく)
1571年、ヴェネツィアを中心としたキリスト教勢力対オスマントルコ海軍の地中海最大の海戦に参加したサムライの話を書いてまいりましたが・・・
いうまでもなく、ここまで書いた話はエイプリルフールであります。モデルカステンから発売の1/35 鉄炮侍 蛭子八郎太というフィギュアのプラキットにインスピレーションを得て作りました。もともとこちらは宮崎駿先生がモデルグラフィックス誌か何かに連載する予定だった作品の主人公で、1560年頃の鉄炮侍をリアルに再現しています。中途半端に西洋風にして、さらに舞台を地中海に変えてしまうわで、宮崎駿先生とファンの皆様、原作を破壊するような行為で申し訳ありません!というところですが、よくできたキャラクターとフィギュアのキットにインスピレーションを得たということで、オリジナルには叶いませんが、ご笑覧ください。
上半身は西洋風の鎧にして、さらに下半身を守る小札(こざね)も金属製のアーマーになっています。兜も日本風のディティールを取って東洋と西洋が融合したような形です。刀は上半身に巻かれた革のベルトのようなものに挿しているという設定です。
このネタ、もともと昨年の国際鉄道模型コンベンションを見た帰りに、沿線在住ベテランモデラー氏と秋葉原の「ライオン」で飲んだ際に「来年のエイプリル・フールは云々」と宣言したことが発端でした。ね、酔ったときの妄言じゃなくて、ちゃんと作りましたよ。
ヴェネツィアの海軍史博物館は文字通り海軍所有ですが、レパントの海戦は当然のことながら大きなスペースを割いています。地味な博物館ですが、インスピレーションを与えてくれる場所でもあります。ちなみにイタレリのキットでもおなじみの「マイアーレ」や「バルキーニョ」といった特殊兵器の展示もありました。
パラッツォ・ドゥカーレには武具の展示があります。この時代の銃の展示もありますが、日本の火縄銃とも違っていて興味深いです。
こちらは本当の話ですが、戦国時代の八王子城からヴェネツィアガラスが出土した、という記事を読んだことがあり、西国ならともかく、関東にまでそういった文物が渡来していたというのも興味深く、人間があちらに行ったらどうなっていたのか、というのをあれこれ想像を膨らませながら書きました。もしかしたら同じことを考えている諸兄がいらっしゃるかもしれませんが、これは私のオリジナルのストーリーということで、ご容赦ください。
かつて作家の塩野七生さんは「神の代理人」という作品で教皇の秘書の日記、というのを登場させ、後に「あれは私の創作です」と断りを入れておりました。それに比べたら私のこの記事など簡単に創作と見破られてしまいますが、今回の記事には当然「海の都の物語」、「レパントの海戦」といった書物が参考になっています。
初回に登場した書物の写真、これはフィレンツェで買った「豆本」です。さすがにわたくし、ラテン語や少々古いイタリア語、ヴェネツィア方言まではきちんと理解しておりません。人形と大きさを比較してみてください。
(こちらの王子様もマキアベッリの書物でお勉強中です。)
ちゃんと印刷されてます。
1571年、ヴェネツィアを中心としたキリスト教勢力対オスマントルコ海軍の地中海最大の海戦に参加したサムライの話を書いてまいりましたが・・・
いうまでもなく、ここまで書いた話はエイプリルフールであります。モデルカステンから発売の1/35 鉄炮侍 蛭子八郎太というフィギュアのプラキットにインスピレーションを得て作りました。もともとこちらは宮崎駿先生がモデルグラフィックス誌か何かに連載する予定だった作品の主人公で、1560年頃の鉄炮侍をリアルに再現しています。中途半端に西洋風にして、さらに舞台を地中海に変えてしまうわで、宮崎駿先生とファンの皆様、原作を破壊するような行為で申し訳ありません!というところですが、よくできたキャラクターとフィギュアのキットにインスピレーションを得たということで、オリジナルには叶いませんが、ご笑覧ください。
上半身は西洋風の鎧にして、さらに下半身を守る小札(こざね)も金属製のアーマーになっています。兜も日本風のディティールを取って東洋と西洋が融合したような形です。刀は上半身に巻かれた革のベルトのようなものに挿しているという設定です。
このネタ、もともと昨年の国際鉄道模型コンベンションを見た帰りに、沿線在住ベテランモデラー氏と秋葉原の「ライオン」で飲んだ際に「来年のエイプリル・フールは云々」と宣言したことが発端でした。ね、酔ったときの妄言じゃなくて、ちゃんと作りましたよ。
ヴェネツィアの海軍史博物館は文字通り海軍所有ですが、レパントの海戦は当然のことながら大きなスペースを割いています。地味な博物館ですが、インスピレーションを与えてくれる場所でもあります。ちなみにイタレリのキットでもおなじみの「マイアーレ」や「バルキーニョ」といった特殊兵器の展示もありました。
パラッツォ・ドゥカーレには武具の展示があります。この時代の銃の展示もありますが、日本の火縄銃とも違っていて興味深いです。
こちらは本当の話ですが、戦国時代の八王子城からヴェネツィアガラスが出土した、という記事を読んだことがあり、西国ならともかく、関東にまでそういった文物が渡来していたというのも興味深く、人間があちらに行ったらどうなっていたのか、というのをあれこれ想像を膨らませながら書きました。もしかしたら同じことを考えている諸兄がいらっしゃるかもしれませんが、これは私のオリジナルのストーリーということで、ご容赦ください。
かつて作家の塩野七生さんは「神の代理人」という作品で教皇の秘書の日記、というのを登場させ、後に「あれは私の創作です」と断りを入れておりました。それに比べたら私のこの記事など簡単に創作と見破られてしまいますが、今回の記事には当然「海の都の物語」、「レパントの海戦」といった書物が参考になっています。
初回に登場した書物の写真、これはフィレンツェで買った「豆本」です。さすがにわたくし、ラテン語や少々古いイタリア語、ヴェネツィア方言まではきちんと理解しておりません。人形と大きさを比較してみてください。
(こちらの王子様もマキアベッリの書物でお勉強中です。)
ちゃんと印刷されてます。