工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

鈴鹿のF1 いつもと違うチケットを買って

2018年10月13日 | 自動車、モータースポーツ
 鈴鹿のF1の話をつらつらと書いておりまして、すでに決勝も終わり、速報誌も出ている頃ですが、もう少しお付き合いのほどを。
 予選の行われた土曜日のことですが、今回の特別企画である「インフィールドエリア・パス」というチケットを購入して、昔のマシンが展示されているエリアに行ってきました。
 初日に撮影した昔のマシンたちは、このインフィールドエリアで展示されています。ピットやパドックのある方のエリアでして、サーキットが10年ほど前に改装されてから初めて、パドックに通じるトンネルを通り、スタンドと反対側のエリアに行ってきました。
 残念ながらこのパスではパドックには入れません。パドックのさらに裏側、という感じのところに、ポルシェのワンメイクレースのために用意されたガレージ、パドックエリアとともに、昔のマシンが展示されているエリアと、トークショーの行われているエリアがあります。
 今回初めて実物を見る、というマシンもありますし、1998年のマクラーレン・メルセデスのように、現役時代を知っているマシンもあります。

1989年日本GPの優勝マシン・ベネトンB189

1998年、ミカ・ハッキネンが鈴鹿で優勝してタイトルを決めたマシン、マクラーレン・メルセデスMP4/13
 このマシンは、ドイツのメルセデスベンツ博物館からスタッフとともに来日しています。ちなみに今回走行を担当したドライバーも当時実際にドライブしていたミカ・ハッキネンということで、こちらも懐かしいです。
 どのマシンも朝から走行に向けた整備、準備を進めており、ときおり現在のF1チームのメカニック、エンジニアたちがのぞきに来ています。
 ホンダ・エンジンのマシンはホンダの企業博物館である「ホンダコレクションホール」からスタッフとともにやってきました。ほかのマシンに関してはオーナーが大事に保管しているものもあり、皆様の熱意には頭が下がる思いです。
 カウルを開けて整備中の1991年チャンピオンマシン・マクラーレン・ホンダMP4/6

土曜日は雨の影響もあり、走行できたマシンは少なかったのですが、翌日曜日は天気も良くなり、ほとんどのマシンが走行できました。
 トークイベントも行われ、「レジェンド」である元ドライバーだけでなく土曜日は現役組からもルノーのヒュルケンベルク選手が参加しました。写真は日本人初表彰台・鈴木亜久里氏です。

 シート合わせをするのは元フェラーリのエース・ジャン・アレジ氏

 このチケット、各日限定1000枚ということで、さぞエリアも混雑しているのでは、と思ったのですが意外に人が少なく感じました。むしろパドックの出入口になっている通路に人があふれ、ドライバー、関係者にサインを求める姿の方が目立ちました。
 いつもなら予選が終わればさっさとサーキットを後にしてしまう私ですが、予選後にスタンドから再びインフィールドエリアに戻り、時間ぎりぎりまでマシンを眺めていました。パドックのトンネルをくぐり、スタンド側に戻ってくるとトンネルの出入り口はまたしても出待ちの黒山の人だかりです。
 インフィールドエリアについてはなかなか面白い試みではありますが、マシンが置いてあるだけですので、ここはトークイベント会場などに雨露をしのげるテントがあればなお良かったかなと思いました。それから、簡単な飲食の施設があれば、というのは望み過ぎでしょうか。昔のマシンを眺めながら飲むお酒は最高なんですが。(良い子のみんなはマネしないでね)
 次回は決勝の話を少しして、鈴鹿の週末の話は結びとしましょう。そろそろ、工作台がさみしがっております。



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鈴鹿に来ました

2018年10月06日 | 自動車、モータースポーツ
 ということで、鈴鹿サーキットにやってきました。今年は30回の記念大会ということで、それを記念した行事も各種開催されています。

(ENJOYする用意は十分できてます!)
 ここ数年も行われていますが、レジェンドマシンの走行もあり、1987年に最初に鈴鹿でF1が開催された際の優勝マシンから、最近のフェラーリのマシンまで10台が揃いました。

こちらは中嶋悟氏が現役時代ドライブしたロータス100Tとティレル019です。前のロータスに中嶋氏本人が、後ろには長男の中嶋一貴選手がドライブしています。
 とても珍しいマシンも来ました。フランスの小チームAGSが1988年に走らせたマシンだそうです。こういったマシンが動く形で残されているのはうれしい限りです。

 これらの写真は金曜日に撮影したものです。「現役」のF1マシンの走行セッション後に行われましたが、観客も多くが残って見つめているのが印象的でした。F1開催も回を重ねていますので、それだけ長くレースを愛している人が多いという証拠でしょうか。
 サーキットの週末ですが、金曜日はフリー走行(練習、慣熟のための走行)、土曜日にはフリー走行と決勝のスタート位置を決めるための予選、日曜日に決勝というスケジュールが組まれています。今日の予選では天候が急変して思わぬ苦戦を強いられたチーム、ドライバーがいた反面、そのおかげで上位進出を果たしたところもありました。2005年にもキミ・ライコネン選手が予選時の天候の綾で後方からスタートしたのですが、最終ラップでトップに立って劇的な逆転勝利を飾っていますので、明日も何が起きるかわかりません。明日は誰が勝利の美酒に酔うのでしょうか。
 
 もちろん、マシンのバトルだけでなく、グランプリの週末ではさまざまなイベントがサーキットの内外で開かれます。参加型のイベントもありますし、ドライバー、関係者のトークショーや、マシンが走らない時間帯にコースの一部を歩いたりもできます。グッズショップだけでなく、食べ物も含めたお土産類も揃っています(三重は海と山の両方の幸に恵まれ、日本酒も美味しいです)。食事も財布の中身に応じてバラエティに富んだものを食べられます。さまざまなイベント等を含め、とてもとても大きなお祭り、という感がありますが、日本のファンは熱心で礼儀正しい、と海外からも評判です。私もそのような熱心なファンの一人として、決勝のチェッカーが振られるまで思い切り楽しみたいと思います。


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いざ、サーキットへ

2018年10月04日 | 自動車、モータースポーツ
 こんにちは。
 今日もF1の話です。鈴鹿サーキットへのアクセスの話をしましょう。毎年F1観戦をされている方ならご存知の話になりますが、初めて知る方に向けて書いておりますのでご容赦ください。現地にヘリコプターで乗りつける、という方はともかく、マイカーでサーキットを目指したり、ツアーバスでサーキットまで行かれる方もいるでしょう。私も状況に応じてツアーバスを使ったりするのですが、ここでは公共交通・主として鉄道で鈴鹿に向かう場合です。
 まず近鉄ですが、白子駅が一番の最寄駅となります。特急も停車しますので、名古屋、大阪の両方からアクセスが容易です。座れれば急行も便利です。白子駅からは三重交通のバスでサーキットに向かいます。メインゲートから入場することになりますので、気分も盛り上がること請け合いですし、隣接するサーキットホテルからサーキットに向かうドライバー、チーム関係者を待つファンもいます。近鉄を使ってのアクセスでは私も12200系や22000系にずいぶんとお世話になっています。
 もうひとつはJR関西本線と伊勢鉄道を使う方法です。主に名古屋方面からとなりますが、伊勢鉄道の鈴鹿サーキット稲生(いのう)駅が最寄となります。普段は無人駅ですが、この時期だけは臨時の切符売り場や改札が出現して賑やかになります。ここからサーキットまでの30分ほどの道のりはまさに遠足という感じで、私は気に入ってます。てくてくと歩いていくと大きなテントのグッズショップなどもあり、覗いてみるのも楽しいものです。やがてサーキットの大きなスタンドや、鈴鹿を象徴するような遊園地の大観覧車も見えてきます。ここからのアクセスは1コーナー近くのゲートから入ることになり、勝手口から入っていく感じです。
 JRはF1に合わせて臨時列車を多数運転しており、90年代前半まではキハ82系も使われていました。私はその時代はさすがに知りませんが、DD51牽引の14系座席車による臨時快速や、キハ58系、キハ40系にも乗ったことがあります。ホームいっぱいに停車する14系はなかなか印象的でした。沿線のファンにとってもチャンスとばかり、カメラを向けている姿をずいぶん見かけました。
 かつての個性的な列車や車輛を見かけることはなくなりましたが、いつもこの線区で見かける快速みえのキハ75系、特急のキハ85系もフル回転で、臨時特急も運転されますし、通常の「ワイドビュー南紀」も臨時停車します。カトーが近年キハ85系を再生産していますが、セットに入っていた説明書の編成例にもF1臨時特急の「鈴鹿グランプリ号」が記載されています。
 鈴鹿サーキット稲生駅は、レース後には大変な混雑となり、列車を待つ長い列ができます。特に名古屋方面の混雑は相当なものですので、遠回りを承知で津方面の列車に乗り、津から近鉄に乗る、ということもあります。ただし、個人的には名古屋から鈴鹿サーキット稲生までの車窓の風景はお気に入りで、鉄橋あり、田園地帯あり、工業地帯あり、貨物列車とすれ違ったり、私鉄との接続ありと模型向きの風景が広がります。
 ここまで書いてまいりましたが、すでに私は松尾芭蕉の言葉を借りれば「取るもの手につかず、道祖神ならぬレースの神様の招きにあって」という状況です。ドライバー、関係者も水曜日には(ヘリコプター派もいれば、新幹線と近鉄を使ってというドライバーもいたようです)鈴鹿入りし、すでに木曜日からイベントも開かれています。子供の頃の遠足の前どころか、この時期はもっとわくわくしております。私もいざ、鈴鹿に向けて出かけることにいたしましょう。

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今年もこの季節

2018年10月03日 | 自動車、モータースポーツ
 こんにちは。
 今週末、F1日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催されます。今月はF1ネタが多くなりますが、そこはご容赦ください。
 今年は鈴鹿でのF1開催が30回目を迎えます。1987(昭和62)年に鈴鹿にF1がやってきて、2007,2008年で富士スピードウェイで開催されたのを除いて、毎年開催されています。
 私は1997年に初めて鈴鹿でのF1を見に行きました(初めてのF1観戦は別の場所なのですが、その話はまた別の機会に)。すでにF1ブームは下火になっていましたが、それでも多くの観客を集めていた頃です。
 そこから毎年のように秋に鈴鹿に行くのが年中行事となっていますが、過去のリザルトを見ているうちに、忘れていたこともいろいろと思い出しました。
 一つは開催時期のことで、2000年代以降は10月の体育の日の前日に決勝が行われることが多いのですが、1987年の鈴鹿初開催のときは11月1日が決勝日でしたし、11月に決勝というのは他にも2回あります。また、90年代はほとんどが10月中旬から下旬の開催となっています。
 90年代は観衆の服装もブルゾンやトレーナー(どちらも最近は使わない言葉ですね)が目立ちます。逆に、最近はチームシャツと呼ばれる半袖シャツやポロシャツ姿の方を見かけることが多くなりました。開催時期が早くなっていることと、年々温暖になっているせいでしょうか。
 1950年にスタートしたF1の歴史の中で、30回以上グランプリが開催されたサーキットは10か所だけで、これだけ長く開催できているのは関係者の努力もあるでしょうし、ドライバー、チームからも愛されている証拠でしょう。長い期間開催されているサーキットの中には大掛かりな改修でコースレイアウトが大きく変わっているところもあり、それらに比べると鈴鹿の場合も改修を何度か受けてはいるものの「原型」をとどめているというのが特徴です。
 もちろん、F1開催前から、1962年(昭和37年)のオープンから鈴鹿ではたくさんのレースが行われ、その蓄積も大変なものです。そのような歴史があって、F1も続いています。私が実際に見たレースだけでも、名勝負あり、感動的なシーンありで印象に残るレースはたくさんあるのですが、今年はどうなるでしょうか。
 さて、個人的な感傷はこのへんにして、次回は鉄道ファンの方も読んでくださるようなお話をしましょう。

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