今日は近所のフランス人のお客様がお店に寄ってくださいました。
大変気に入ってくださったようで、
彼女のジュエリー関連の展示会に弊店の小物等を使いたいなどとご提案いただきました。
ありがたいお話です。
ありがとうございます。
さてRomeから戻り、直ぐにBirminghamへお引越し。
Birminghamはイギリスの中部の都市。
日本で言うと大阪という感じです。
インドやパキスタンからの移民が多く、
カレーで有名な町です。
至る所にカレー屋があり、
比較的安いので良く食べに行ったものです。
Birmingham という町は当時決して魅力的な町ではありませんでした。
Bull Ring という汚らしいマーケットがあったり(しかし学生の頃は毎週待つ友達と買い物に行っていましたね。安かったので)、70年代のモダニズムな建物が多かったのですね。
私が大学を卒業するあたりから再開発が進み、
今ではマーケットも一掃されて、綺麗になったようです。
Birminghamでも4箇所くらい引越しをしたでしょうか。
同じBirmingham近郊でも移民文化が強い場所であるとか、
学生街であったりと違った楽しみがありました。
大学のメインキャンパスは赤レンガ造り。
時計台を中心にメインキャンパスがあり、
自分の惚れ込んだ心理学部もメインキャンパスの中心部。
メイン図書館の他に、各学部が図書館を有し、
心理学という学問のお陰か、医学部の図書館や教育学部の図書館など頻繁に行ったものでした。
懐かしい・・・
大学にはバーが3箇所あり、
銀行も2箇所、巨大なスポーツ施設、湖など、
一つの街が出来上がっています。
大学内を一周するにも1時間以上軽くかかってしまいます。
まるでお城みたい!
やはり大学の勉強は辛かったですね。
エッセイなど頻繁に書かせられるのですが、
英語の文法もチェックされるので、最初の1年は成績は最悪でした。
もう一年英語学校で勉強し直した方が良いかも?!
などと考えるほどでした。
イギリスの学生は講義を真面目に受けに行きます。
講義を聴かないとついていけないからです。
講義はあくまでも補足的な内容で、
講義の最後に読む必要のある本のリストなどが与えられます。
講義が終わると一斉に図書館に駆け込み、リスト上の本の取り合いです。
イギリス人の学生も勉強熱心なのに、
自分は外国人というハンデもあり、
むちゃくちゃ勉強をしました。
図書館へはほぼ毎日行っていましたね。
しかも経済学部などは日本人や外国人学生が多かったのですが、
心理学部は殆どがイギリス人。
外国人も1%くらいしかおらず、日本人は自分一人。
まず最初に住んだのは、
大学の寮の一つです。
Birmingham 大学は巨大な大学であったので、
寮が何箇所もあります。
1年生は寮に住み、2年目から一軒家を友達と借り切ってシェアーをするというのが一般的です。
最初の寮は5部屋あるアパート(イギリスではFlatと呼ぶ)。
キッチンやトイレ、シャワーは共同です。
イギリス人の学生が3名に、イタリア人が1名、そして自分という構成でした。
夜は一緒に飲んだり、それなりに楽しい寮生活でしたが、一人暮らしもしたいと思うようになり、
引越しをする場所を探し始めました。
CadburiesというチョコレートメーカーはBirmingham 近郊に工場がありました。
その町にも住む場所を探しに行ったのですが、町全体チョコレートの香り。
それはそれでよかったのですが、やはりチョコレート漬けの毎日は嫌だったので、
様々な場所を見に行って、結局落ち着いたのがAstonという町。
大学の駅から30分くらいの場所でしょうか。
AstonはAston Villaというプロサッカーチームがあるところです。
しかし町の80%くらいが移民者と思われるほどパキスタン系やインド系が多い町でした。
また低所得者が住む町です。
明かりも少なく、ちょっぴり危険な感じのするところでした。
安くて綺麗なFlatが見つかったので、
そこに引っ越すことにしました。
ちなみにHPソースというウスターソースのようなソースを作っている工場がAstonにあったため、町は甘いソースの匂いで満たされていました。
さてさて、次はAston へお引越しです。
大変気に入ってくださったようで、
彼女のジュエリー関連の展示会に弊店の小物等を使いたいなどとご提案いただきました。
ありがたいお話です。
ありがとうございます。
さてRomeから戻り、直ぐにBirminghamへお引越し。
Birminghamはイギリスの中部の都市。
日本で言うと大阪という感じです。
インドやパキスタンからの移民が多く、
カレーで有名な町です。
至る所にカレー屋があり、
比較的安いので良く食べに行ったものです。
Birmingham という町は当時決して魅力的な町ではありませんでした。
Bull Ring という汚らしいマーケットがあったり(しかし学生の頃は毎週待つ友達と買い物に行っていましたね。安かったので)、70年代のモダニズムな建物が多かったのですね。
私が大学を卒業するあたりから再開発が進み、
今ではマーケットも一掃されて、綺麗になったようです。
Birminghamでも4箇所くらい引越しをしたでしょうか。
同じBirmingham近郊でも移民文化が強い場所であるとか、
学生街であったりと違った楽しみがありました。
大学のメインキャンパスは赤レンガ造り。
時計台を中心にメインキャンパスがあり、
自分の惚れ込んだ心理学部もメインキャンパスの中心部。
メイン図書館の他に、各学部が図書館を有し、
心理学という学問のお陰か、医学部の図書館や教育学部の図書館など頻繁に行ったものでした。
懐かしい・・・
大学にはバーが3箇所あり、
銀行も2箇所、巨大なスポーツ施設、湖など、
一つの街が出来上がっています。
大学内を一周するにも1時間以上軽くかかってしまいます。
まるでお城みたい!
やはり大学の勉強は辛かったですね。
エッセイなど頻繁に書かせられるのですが、
英語の文法もチェックされるので、最初の1年は成績は最悪でした。
もう一年英語学校で勉強し直した方が良いかも?!
などと考えるほどでした。
イギリスの学生は講義を真面目に受けに行きます。
講義を聴かないとついていけないからです。
講義はあくまでも補足的な内容で、
講義の最後に読む必要のある本のリストなどが与えられます。
講義が終わると一斉に図書館に駆け込み、リスト上の本の取り合いです。
イギリス人の学生も勉強熱心なのに、
自分は外国人というハンデもあり、
むちゃくちゃ勉強をしました。
図書館へはほぼ毎日行っていましたね。
しかも経済学部などは日本人や外国人学生が多かったのですが、
心理学部は殆どがイギリス人。
外国人も1%くらいしかおらず、日本人は自分一人。
まず最初に住んだのは、
大学の寮の一つです。
Birmingham 大学は巨大な大学であったので、
寮が何箇所もあります。
1年生は寮に住み、2年目から一軒家を友達と借り切ってシェアーをするというのが一般的です。
最初の寮は5部屋あるアパート(イギリスではFlatと呼ぶ)。
キッチンやトイレ、シャワーは共同です。
イギリス人の学生が3名に、イタリア人が1名、そして自分という構成でした。
夜は一緒に飲んだり、それなりに楽しい寮生活でしたが、一人暮らしもしたいと思うようになり、
引越しをする場所を探し始めました。
CadburiesというチョコレートメーカーはBirmingham 近郊に工場がありました。
その町にも住む場所を探しに行ったのですが、町全体チョコレートの香り。
それはそれでよかったのですが、やはりチョコレート漬けの毎日は嫌だったので、
様々な場所を見に行って、結局落ち着いたのがAstonという町。
大学の駅から30分くらいの場所でしょうか。
AstonはAston Villaというプロサッカーチームがあるところです。
しかし町の80%くらいが移民者と思われるほどパキスタン系やインド系が多い町でした。
また低所得者が住む町です。
明かりも少なく、ちょっぴり危険な感じのするところでした。
安くて綺麗なFlatが見つかったので、
そこに引っ越すことにしました。
ちなみにHPソースというウスターソースのようなソースを作っている工場がAstonにあったため、町は甘いソースの匂いで満たされていました。
さてさて、次はAston へお引越しです。