ヘルガ・シュナイダー著『黙って行かせて』は、アウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウの看守だった母と娘ヘルガの別れを描いた自伝的小説である。
ヘルガの母はナチス党での活動を経て、ザクセンハウゼンとラーヴェンスブリュックの強制収容所に勤務し、最後にはアウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウに配属されていた。ラーヴェンスブリュック女子強制収容所では、人体実験に携わり、その後絶滅収容所の看守になるための訓練を受けた。ビルケナウにはもっとも非情で冷酷な人材が派遣されていたのだ。母はヘルガが4歳の時に家族を捨てた。それから、母子が会ったのは1971年と、1998年の2回だけだった。
1971年の再会においては、娘や孫には肉親の情を一切示さず、ただただ絶滅収容所の優秀な看守であったことを誇る母に、そしてガス室に送られたユダヤ人の金品を奪ったことを自慢する母に、絶望させられただけだった。
そして、1998年。再会の喜びは感じていないが、気持ちは高ぶっている。少し期待もしている。何といっても、終戦から50年も経っているのだ。母の心も変わっているかもしれない。だってあなたは私のお母さんなのだから…。
――何を期待していたのか?懺悔?母子の情?母の実像を掴むことで、ナチの子としての呪縛から解放されたいと思ったのだろうか?
しかし、母の口から溢れ出すのは、相変わらずのナチス礼賛だった。
「今じゃ、みんながドイツを見下しているけど…どうしてだかわかる?戦争に負けたからだよ。勝っていたら、世界中が総統の足にキスしただろうね。」
SSたちが皆高い教養を身に着けた紳士で、理想的なマイホームパパであったこと。自分がいかに効率よく囚人を「しごき上げた」か、という自慢話。具体例を挙げて自分が関わった人体実験や虐待、虐殺を得々と語る母の姿に娘は打ちひしがれる。
娘の心が離れていくのを感じ取った母はこう主張する。
「自分が潔白だなんて顔をしないで!あたしの目を逃れることはできませんよ、あんた!それともユダヤ人に対して一度も憎悪の念を抱かなかったって、ほんとうに主張できるの?」
その瞬間、ヘルガの心に嫌な思い出が蘇ったのだ。まだ6歳だったヘルガは、寄宿舎の近くでユダヤ人夫婦のリンチに参加したことがあったのだ。あの時代にドイツ人だった者は、被害者面でナチスを糾弾することなどできないのである。
ユダヤ人の子供や妊婦をガス室に送ることに何の心の痛みも感じなかったという母。彼女はせめて自分の子供は愛したのだろうか?たとえそれが一瞬だったとしても…。
最後まで「私には何の罪もない、命令を実行しただけなんだから」と言い募る母に、娘は何の接点も見いだせないまま別れの時を迎える。訣別してもなお「この母の遺伝子の何かを自分は受け継いでいる」という嫌悪と「なんと年老いて弱々しいのだろう」という憐憫に娘の心は引き裂かれ続ける。
いいえ、あなたを憎むことはできないわ。ただ愛せないだけ…。
母との再会と訣別によって、ヘルガは母の罪を明確にし、自分に母と同じ血が流れているという事実を突きつけ、母の罪を引き受ける宿命を自覚することとなる。
「あなたが憎いわ!あなたの母親がビルケナウの看守だったからよ。」
そう睨みつけるユダヤ人女性にどもりながら詫びるヘルガ。彼女はただ自分の過去を克服するために本書を執筆したのではない。加害者の身内として、犠牲者のために戦うという課題に取り組んだのだ。
その勇気を讃えたいと思う一方で、私は厳しい現実にも目を瞑れないでいるのだ。それは、娘がいくら人道的な立場から糾弾しても、母のナチス的正義を打ち負かす決定打には欠けていたということである。その戦後民主主義の脆弱さは日本においても同じである。戦争賛美者から「平和ボケ」と鼻で笑われる論理しか持っていない我々の未来は決して楽観できないのである。
ヘルガの母はナチス党での活動を経て、ザクセンハウゼンとラーヴェンスブリュックの強制収容所に勤務し、最後にはアウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウに配属されていた。ラーヴェンスブリュック女子強制収容所では、人体実験に携わり、その後絶滅収容所の看守になるための訓練を受けた。ビルケナウにはもっとも非情で冷酷な人材が派遣されていたのだ。母はヘルガが4歳の時に家族を捨てた。それから、母子が会ったのは1971年と、1998年の2回だけだった。
1971年の再会においては、娘や孫には肉親の情を一切示さず、ただただ絶滅収容所の優秀な看守であったことを誇る母に、そしてガス室に送られたユダヤ人の金品を奪ったことを自慢する母に、絶望させられただけだった。
そして、1998年。再会の喜びは感じていないが、気持ちは高ぶっている。少し期待もしている。何といっても、終戦から50年も経っているのだ。母の心も変わっているかもしれない。だってあなたは私のお母さんなのだから…。
――何を期待していたのか?懺悔?母子の情?母の実像を掴むことで、ナチの子としての呪縛から解放されたいと思ったのだろうか?
しかし、母の口から溢れ出すのは、相変わらずのナチス礼賛だった。
「今じゃ、みんながドイツを見下しているけど…どうしてだかわかる?戦争に負けたからだよ。勝っていたら、世界中が総統の足にキスしただろうね。」
SSたちが皆高い教養を身に着けた紳士で、理想的なマイホームパパであったこと。自分がいかに効率よく囚人を「しごき上げた」か、という自慢話。具体例を挙げて自分が関わった人体実験や虐待、虐殺を得々と語る母の姿に娘は打ちひしがれる。
娘の心が離れていくのを感じ取った母はこう主張する。
「自分が潔白だなんて顔をしないで!あたしの目を逃れることはできませんよ、あんた!それともユダヤ人に対して一度も憎悪の念を抱かなかったって、ほんとうに主張できるの?」
その瞬間、ヘルガの心に嫌な思い出が蘇ったのだ。まだ6歳だったヘルガは、寄宿舎の近くでユダヤ人夫婦のリンチに参加したことがあったのだ。あの時代にドイツ人だった者は、被害者面でナチスを糾弾することなどできないのである。
ユダヤ人の子供や妊婦をガス室に送ることに何の心の痛みも感じなかったという母。彼女はせめて自分の子供は愛したのだろうか?たとえそれが一瞬だったとしても…。
最後まで「私には何の罪もない、命令を実行しただけなんだから」と言い募る母に、娘は何の接点も見いだせないまま別れの時を迎える。訣別してもなお「この母の遺伝子の何かを自分は受け継いでいる」という嫌悪と「なんと年老いて弱々しいのだろう」という憐憫に娘の心は引き裂かれ続ける。
いいえ、あなたを憎むことはできないわ。ただ愛せないだけ…。
母との再会と訣別によって、ヘルガは母の罪を明確にし、自分に母と同じ血が流れているという事実を突きつけ、母の罪を引き受ける宿命を自覚することとなる。
「あなたが憎いわ!あなたの母親がビルケナウの看守だったからよ。」
そう睨みつけるユダヤ人女性にどもりながら詫びるヘルガ。彼女はただ自分の過去を克服するために本書を執筆したのではない。加害者の身内として、犠牲者のために戦うという課題に取り組んだのだ。
その勇気を讃えたいと思う一方で、私は厳しい現実にも目を瞑れないでいるのだ。それは、娘がいくら人道的な立場から糾弾しても、母のナチス的正義を打ち負かす決定打には欠けていたということである。その戦後民主主義の脆弱さは日本においても同じである。戦争賛美者から「平和ボケ」と鼻で笑われる論理しか持っていない我々の未来は決して楽観できないのである。