青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

地球に落ちて来た男

2015-03-18 07:25:34 | 日記
ウォルター・ テヴィス著『地球に落ちて来た男』は、デヴィッド・ボウイ主演、ニコラス・ローグ監督の同名映画の原作である。

  ……とても驚くべきもの、空から落ちてきた少年を
  見たに相違ないぜいたくで優美な、かの船は
  どこかたどりつくべき場所があり、
  なにごともなくおだやかに航海を続けた。

ブリューゲルの『イカロスの墜落』が、主人公ニュートンが辿る運命を暗示している。
ニュートンは、死に瀕した星アンシアから“地球に落ちて来た男”だった。彼は、最初の登場シーンから寂しい。地球の異質さに戸惑い、緊張し、怯えている。色素の薄い瞳と髪を持ち、体格はありそうもないくらい細く、顔立ちは繊細で妖精のような趣だ。物腰は上品で柔らかく、感情が窺えない。その姿は、有り勝ちなSFにみられる襲来者としての異星人とはまるで異なる。それもそのはず、原作者テヴィスは、SFが専業の作家ではない。彼が描きたかったのは、アウトサイダーの悲しみだ。
映画化するに当たっては、原作のままではメランコリック過ぎると考えられたのであろうか。大筋は変わっていないものの、細部には映像映えするような改変が施されている。
例えば、原作では小太りの中年女性であるベティ=ジョーは、映画版では若い女性だし(名前も異なる)、原作では内省的な性質の化学者ブライスは、映画版では教え子たちと火遊びを重ね、裏切り行為に走ったりもする分かり易い俗物なのだ。原作の二人はどちらも、ニュートンの孤独に寄り添おうとして寄り添えない、疎外感に苦しむ人間として描かれていて、読者に与える印象は悲痛だ。
映画版ではやたらと多いセックスシーンも、原作にはいっさい出てこない。ベティ=ジョーはニュートンを愛していて、彼とセックスしたいと思っているが、実行に移すことはない。ニュートンが体に触れられるのを恐れていることを知っているからだ。アンシア人の骨は、地球人よりはるかに脆く、エレベーターの重力にも耐えられない。そして、アンシア人であることを隠しているニュートンの心には、地球人を受け入れる余裕はない。
正体を暴かれたニュートンを襲う過酷な運命――。彼は両目を潰されただけでなく、心まで潰されてしまった。

「ぼくはきみたちみんなを救いに来たんだ」

アンシアと地球、二つの星を救える可能性があったはずなのに、もはや縋る希望も信念も失った。アンシアに帰ることは叶わず、地球に馴染むことも出来ない。両目を潰されてしまい、あれほど愛した地球の自然を見つめる事さえ出来なくなった。酒に溺れることで残りの人生をやり過ごすこととなったニュートンの孤独と諦念はあまりにも痛ましい。
この残酷な地球に武器も持たずに落ちて来たニュートン。

「きみ。ぼく。故郷にいるぼくの仲間たち、わが賢明なる仲間たちがさ……ぼくらは無邪気だったんだよ」

頭を垂れ、潰された両目から涙を流すニュートンを、つかのま見つめるブライス。次の瞬間、片腕をニュートンの背中にまわし、そっと抱きしめた。手の中に包んだその細い体は、羽ばたきをしながら、苦しんでいる、ひ弱い小鳥のようだった――。
ブライスには、ニュートンの元で働くことで、自分の人生がとても重要なものに、とても価値のあるものに関わっているのだという気がしていた時期もあった。しかし、喜びの日々は永久に失われてしまった。彼もまた敗残者である。たぶんいまごろは、船の一部には錆が浮いてしまっているだろう。アンシアも地球もいずれ滅びてしまうだろう。
助けが必要だ。だが、この世界はソドム並みに命運が尽きている。打てる手は、何もない。
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