山之口洋著『完全演技者 トータル・パフォーマー』
完全演技者――それは、別の自分として生きることを許された特別な存在。求めるのは、痛みを伴う甘美な世界。
本書は、80年代に活躍した歌手クラウス・ノミのパフォーマンスから着想を得ているのだが、読みやすい文章と所々に散りばめられた仕掛けのおかげで、ノミを知らない人でも最後まで楽しく読めると思う。しかし、多少はノミ知識があった方が作品から受ける透明な悲しみは深まるだろう。
クラウス・ノミ。
1944年1月24日、ドイツ生まれの歌手・パフォーマー。本名はクラウス・スパーバー。
そのスタイルについてはオペラ、ニュー・ウェイヴ、ディスコ、ダンスなど色々言われているが、それらすべてを絶妙なバランス感覚と高度な歌唱力で融合させており、特定のジャンルに押し込むことが出来ない。
ベルリンの音楽学校でオペラを学び、1972年に渡米。異星人ともロボットともつかない強烈なビジュアルとカウンターテナーを武器に、NYのアンダーグラウンド・シーンで注目を集めた。デヴィッド・ボウイのバック・コーラスを務めたことで一般にも名が知られ、1981年にファーストアルバム『Klaus Nomi』をリリース。翌82年にはセカンドアルバム『Simple Man』をリリースした。
しかし、『Simple Man』が発売される頃には、彼の身体はAIDSに蝕まれていた。83年8月6日、死去。まだAIDSが「ゲイの癌」として忌み嫌われていた時代、著名人患者第一号として誹謗中傷に曝される中での非業の最期だった。遺灰は風に乗せてNYの街に撒かれた。
死後長らくその存在は忘れられていたが、2005年にドキュメンタリー映画『THE NOMI SONG』が上映され、熱烈な支持者を生み続けている。
さて、『完全演技者 トータル・パフォーマー』であるが――。
東京で冴えないロック・バンドのボーカリストだった井野修が、クラウス・ネモの音楽に惹かれNYに渡り、ネモ・バンドの一員として受け入れられ、シュウ・イーノと名を改める。ネモはシュウをパフォーマーとして徹底的に鍛え上げる。なぜ、ネモはシュウに目をかけるのか?そこには周到かつ倒錯的な計画があったのだ――。
ネモのビジュアルはノミそのものであるが、性格はかなり異なるようだ。しかし、作中でネモが歌うのは、「Keys of Life」「Cold Song」「Wayward Sisters」「Total Eclipse」「After the Fall」「Death」と、ノミが実際に歌った曲である。それらは私の脳内でノミの歌声で再生された。
わたしを忘れないでおくれ
だけど ああ! わが運命は忘れておくれ
地縁も血縁も顔も…心さえも捨て去り、人生のすべてを捧げ尽し、死をも欺き、完全演技者として己の芸術に殉じる――。「クラウス・ネモ」のペルソナはネモ自身からシュウに受け継がれ、やがてまた別の誰かに受け継がれていく。そして魂は「詩人の天」へと昇って行く。パフォーマーにとって、これ以上の幸福はないだろう。たとえそれが、人の道に外れた選択だったとしても…。己の生涯を一つのパフォーマンス作品にすることなど、才能とチャンスに恵まれた一握りの超越者にしか許されないことだ。
怒り、恨み、憎しみ、流した涙の一滴まで、すべてはシュウを完全演技者として転生させるためにネモが用意したものだった。
最後に恋人の背中を見送る場面、一秒の何分の一かの間、「クラウス・ネモ」は「井野修」に戻る。彼女と暮らしていた頃の、ほんの一年前の「井野修」に。たった一年。だがそれは歳月というより一光年の距離のように二人の世界を隔ててしまった。その行間に秘められた悲哀はあまりにも深い。しかし、マントを翻した瞬間、感傷は失せ、「井野修」はこの世界から完全に消滅する。すべては、ネモが計画したとおりに――。
完全演技者――それは、別の自分として生きることを許された特別な存在。求めるのは、痛みを伴う甘美な世界。
本書は、80年代に活躍した歌手クラウス・ノミのパフォーマンスから着想を得ているのだが、読みやすい文章と所々に散りばめられた仕掛けのおかげで、ノミを知らない人でも最後まで楽しく読めると思う。しかし、多少はノミ知識があった方が作品から受ける透明な悲しみは深まるだろう。
クラウス・ノミ。
1944年1月24日、ドイツ生まれの歌手・パフォーマー。本名はクラウス・スパーバー。
そのスタイルについてはオペラ、ニュー・ウェイヴ、ディスコ、ダンスなど色々言われているが、それらすべてを絶妙なバランス感覚と高度な歌唱力で融合させており、特定のジャンルに押し込むことが出来ない。
ベルリンの音楽学校でオペラを学び、1972年に渡米。異星人ともロボットともつかない強烈なビジュアルとカウンターテナーを武器に、NYのアンダーグラウンド・シーンで注目を集めた。デヴィッド・ボウイのバック・コーラスを務めたことで一般にも名が知られ、1981年にファーストアルバム『Klaus Nomi』をリリース。翌82年にはセカンドアルバム『Simple Man』をリリースした。
しかし、『Simple Man』が発売される頃には、彼の身体はAIDSに蝕まれていた。83年8月6日、死去。まだAIDSが「ゲイの癌」として忌み嫌われていた時代、著名人患者第一号として誹謗中傷に曝される中での非業の最期だった。遺灰は風に乗せてNYの街に撒かれた。
死後長らくその存在は忘れられていたが、2005年にドキュメンタリー映画『THE NOMI SONG』が上映され、熱烈な支持者を生み続けている。
さて、『完全演技者 トータル・パフォーマー』であるが――。
東京で冴えないロック・バンドのボーカリストだった井野修が、クラウス・ネモの音楽に惹かれNYに渡り、ネモ・バンドの一員として受け入れられ、シュウ・イーノと名を改める。ネモはシュウをパフォーマーとして徹底的に鍛え上げる。なぜ、ネモはシュウに目をかけるのか?そこには周到かつ倒錯的な計画があったのだ――。
ネモのビジュアルはノミそのものであるが、性格はかなり異なるようだ。しかし、作中でネモが歌うのは、「Keys of Life」「Cold Song」「Wayward Sisters」「Total Eclipse」「After the Fall」「Death」と、ノミが実際に歌った曲である。それらは私の脳内でノミの歌声で再生された。
わたしを忘れないでおくれ
だけど ああ! わが運命は忘れておくれ
地縁も血縁も顔も…心さえも捨て去り、人生のすべてを捧げ尽し、死をも欺き、完全演技者として己の芸術に殉じる――。「クラウス・ネモ」のペルソナはネモ自身からシュウに受け継がれ、やがてまた別の誰かに受け継がれていく。そして魂は「詩人の天」へと昇って行く。パフォーマーにとって、これ以上の幸福はないだろう。たとえそれが、人の道に外れた選択だったとしても…。己の生涯を一つのパフォーマンス作品にすることなど、才能とチャンスに恵まれた一握りの超越者にしか許されないことだ。
怒り、恨み、憎しみ、流した涙の一滴まで、すべてはシュウを完全演技者として転生させるためにネモが用意したものだった。
最後に恋人の背中を見送る場面、一秒の何分の一かの間、「クラウス・ネモ」は「井野修」に戻る。彼女と暮らしていた頃の、ほんの一年前の「井野修」に。たった一年。だがそれは歳月というより一光年の距離のように二人の世界を隔ててしまった。その行間に秘められた悲哀はあまりにも深い。しかし、マントを翻した瞬間、感傷は失せ、「井野修」はこの世界から完全に消滅する。すべては、ネモが計画したとおりに――。