ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ニュースの天才:マスメディアに驕りと新しい時代の可能性

2006年01月22日 | 映画♪
ほりえもんを時代の寵児だとしてさんざん持ち上げときながら、特捜が査察に入ったとたんにここぞとばかりに叩きまくる、こうしたマスコミの異常さは今に始まったことではないが、この映画を見ていると、マスメディアやジャーナリズムの持つ「危うさ」について考えてしまう。本来であればジャーナリズムとは「社会的正義」を伝えることが原点のはずだ。しかし今、マスメディアには「おごり」や「馴れ合い」、「商業主義」が蔓延しているのではないか、思わずそんなことを考えてしまう。人気ジャーナリストによる記事捏造事件を、事実を基にリアルに再現した社会派ドラマ。



 1998年、ワシントンD.C.。25歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)は、アメリカ大統領専用機に唯一設置され国内で最も権威あるといわれる政治マガジン“THE NEW REPUBLIC”に勤める最年少の編集者。彼は斬新な切り口で身近な政財界のゴシップを次々とスクープしてスター記者へと成長していく。一方で、その驕らない人柄から社内外での人望も厚かった。だが、ある時彼の手掛けた“ハッカー天国”というスクープ記事が他誌から捏造疑惑を指摘されてしまう。そしてそれを機に、スティーブンの驚くべき事実が発覚していくのだった…


この映画のテーマは2つ。1つは既存マスメディア型のジャーナリズムの抱える危険性と例えジャーナリストといえども何らかの感情に支配されてしまえば冷静に物事を捉えることができないという現実だ。

既存マスメディア型のジャーナリズムの抱える危険性とは、この物語そのものが語るように、特定の発信主体のみが情報を発信することでその情報が作為的に変えられたり、世論操作に使われたりしてしまうということであり、本来、そのチェック機能を果たすべきマスメディアでさえ、そうしたことを許しうる存在であるということだ。例えば、ほりえもんを時代の寵児としてさんざん持ち上げながら、あっと言う間に手のひらを返す態度もそうだし、一部のブログやネットで「耐震偽装問題の黒幕は総合経営研究所の代表取締役所長 内河健」の名前が挙がっていたにも関わらずなかなかマスメディアが取り上げなかったり、ライブドアへの査察直前の「ダイナシティ」株の異常な価格遷移についてはどのメディアも触れることがなかったりと、警察への捜査協力(馴れ合い)のためか、当局が発表した情報のみを記事としてとりあげ、情報操作の1装置として機能してしまっている。

確かにマスメディアは視聴者・読者の数も多くその影響力を考えると慎重にならざろうえないという点はあるとしても、そうした「おごり」と「知っているのに報道しない」「当局の都合のよい情報ばかりを報道する」という態度は現在のマスメディア不信に繋がっているのではないか。そしてそうした「おごり」の延長線上にこの映画のような事件は起こったのだろう。

しかしこうした状態もこれだけインターネット、ブログが普及しだすとこれまでのようにはいかないのだろう。マスメディアが当局や関係団体と談合し、情報のコントロールを行ったとしても、2ちゃんねるやブログ、ネットニュース系サイトを中心とした「暴露ネタ」「ちくり」「推測」「草の根的ジャーナリズム」がそうした裏側を発信してしまう。ネットの普及によってマスメディアやジャーナリズムはそのあり方を変えざろうえない時期にきているのだろう。

 Web2.0時代の読者に求められる感覚


と、もう1つのテーマが「何らかの感情に支配されてしまえば冷静に物事を捉えることができない」ということなのだが、そういう意味で、この映画の恐ろしさは、この主人公スティーブン・グラスという人物が実にどこにでもいそうなところだ。またこうしたシーンはどこででも目にするものではないか。スティーブン・グラスのように人当たりのいい人間、やさしい人間、仲の良い同僚、信頼できる上司などに対して、その人柄とは別に、行っている行為(仕事など)を適切に評価できているだろうか。

もちろん人間は「理性」だけで動くものではなく「感情」的な生き物だ。優しくしてくれる人間に対しては優しく接し返したいし、仲がよい人間には味方になってあげたいとも思う。ただしそのことと彼が行う行為の適切さを測ることは全く別の問題だ。いい人だからといって彼が犯罪を起こした場合に彼をかばうというのはあきらかにおかしいだろう。

時に我々は「感情」が方向性を決め、それにあわせて理屈をつけてしまうことがある。あるいは「感情」に任せるあまり、その感情に基づいた情報のみを受け入れ、客観的に物事を把握できなくなることがある。こうしたことの愚かさが、本来、最も客観的であるべきジャーナリズムの世界でも起こりうるということがこの映画では描かれている。

【評価】
総合:★★★☆☆
メッセージ性:★★★☆☆
でも職場に1人はいそう…:★★★★★


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「ニュースの天才」
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レビュー「ヴェロニカ・ゲリン:ジャーナリストを駆り立てるもの」
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1 コメント

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事実は一つ。 (ねんじ)
2006-01-26 02:47:28
私もほりえもんに対する各メディアのまさに掌を返すような報道には納得がいきません。そこに在る事実をメディアがぼやかし、まるでドラマ制作のように面白く世間にウケルような報道作りは事実の本質を描くという報道の原点からはあまりにも遠い気が。。。
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