ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

Kindle、iPad電子書籍は出版社のビジネスモデルを変えれるか

2010年02月11日 | ネットビジネス
KindleやらiPadやら、にわかに電子出版・電子書籍が盛り上がりつつあるけれど、こと日本にいるとそうした盛り上がりに違和感を感じてる人も多いと思う。そんな中、岸博幸さんが出版業界にとっての電子出版・電子書籍について書かれていた。

電子書籍の流通支配に出版社はいかに立ち向かうべきか?インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

岸さんの話をまとめてみると、

ユーザーから見たKindleのメリットは3点ある。

・無線通信によるダウンロードの簡便性
・端末の使い勝手
・書籍の安さ

出版社からみたキンドルのメリットは「コンテンツの購入」につきる。それに対してデメリットは以下の3点。

1)書籍の価格の低下による出版産業全体の収益の悪化
 -平均 ハードカバー 25$、ペーパーバック 13$⇒ベストセラーの標準価格を9.99$に
 -印刷や配送コストがかからないとはいえ、出版産業全体の収益が悪化

2)価格設定権など主導権が流通側に移る

3)流通主導ではコンテンツに対する愛情や理解が欠如する

日本では再販価格維持制度がありすぐに価格の低下とはいかないだろうが、出版社の立場は弱くなるだろう。amazonなどの電子出版の流通業者に対抗するためには、出版社がネット流通へ進出する・ビジネスモデルを進化させる、作家(権利者)との関係において出版社の存在価値を再定義・明確化するといったことが必要である。

とのこと。これらのことはその通りだと思いつつ、いくつか補足しておくと、そもそも出版業界が「電子出版」「電子書籍」にもう1つ乗り気でないのには、「電子出版」とリアルな「出版」のビジネスモデルの違いがある。

電子出版・電子書籍の場合、指摘のあったとおり印刷や配送のコストが必要なくなり、販売サイト・配信サーバのコストだけですむ。これに対して「出版」のコスト構造をみると、

-書店・取次店などの流通費用:約30%
-印刷費用:約30%
-著作者への印税:約10%
-編集・出版社の管理費用など:約30%

となっている。このうち印刷費用と管理費用をあわせた約6割が「固定費」にあたり、印刷部数・販売量に関わらず必要なコストとなる。逆に言うと、この固定費用を回収してしまえば、後は売れれば売れるほど利益となる構造だ。出版社のビジネスモデルというのは、ほとんどの利益のあがらない書籍の出版費用を僅かなベストセラーがそれを補っているのだ。

仮に電子書籍でのみ販売するのであれば、電子出版でのみコストの回収を目指せばいいが、多くの場合、「書籍」と「電子書籍」の両方での販売が前提となるだろう。ここに出版社が二の足を踏む理由がある。電子書籍で新しい読者の開拓に繋がればいいが、「書籍」から「電子書籍」に読者が流れた場合、「出版」自体を維持できなく可能性がでてくるのだ。

またkindle、iPadなどの登場でアメリカの電子出版市場というのが非常に大きいようなイメージがあるが、実は日本の電子出版市場も決して小さくない。2008年度の日本の電子書籍市場は約464億円、これに対しアメリカのそれは1億1300万ドル、約100億円前後というところ。しかもこの市場規模の中には「恋空」の大ヒットで話題になった「魔法のiらんど」のような、無料投稿型の市場は含まれていないため、実際には日本の市場はさらに大きいだろう。

ただし日本の市場の特徴としては、約85%がケータイ向けのサービスであり、コミックが中心となっている。これは日本ではまず個人が利用する電子ツールとして、PC以上にケータイが普及したことが大きい。通勤・通学中の隙間時間、外出先や就寝前の隙間時間を埋めるためのツールとして、常に/既に個人の傍にあるのがケータイというデバイスなのだ。

またそのケータイには小額課金のプラットフォームとDRMが用意されている。そのためコンテンツホルダーや出版社はある程度、市場の成立を予想しながら参画することができた。

その結果、ケータイ・リテラシーの高い10代から30代が電子書籍のメインターゲットになり、彼らの興味の中心である漫画やBLなどのコンテンツが市場を引っ張っていった。

実際、このケータイ主導の電子書籍は単に「本」の電子化という以上の革新を含んでいる。漫画の場合、単に1ページを画像として取り込むということではなく、画面上で見やすいように、1コマ1コマに分割して画像として取り込んでいくのだが、その「コマ」をスライドさせたり、ズームさせることで画面上で迫力を出したりするなど、紙媒体ではできない表現の工夫がなされている。また「書籍」として1冊単位で販売するだけではなく、より手軽に利用できるように1話単位・1回単位の販売を行うなど、ビジネスモデルでもケータイならではの工夫がある。

ただここで忘れてはならないのは、こうしたケータイの電子書籍を引っ張ってきたのは必ずしも「出版社」ではないということだ。キャリアの電子書籍の上位に位置する「コミックi」「コミック・シーモア」などを立ち上げたのはNTTソルマーレ社だし、「ケータイまんが王国(FALCOM)」、「Handyコミック(bitway)」なども出版社ではない。出版社では「書籍」という枠組で縛らるところを、独自の工夫や方法論を作り出したのは、業界の外部企業だったからなのだ。

岸さんは立場的にも、出版社主導の対応が求められていると書かれていたが、一方で外部に開かれることで可能性が開かれるということもある。また「ブラックジャックによろしく」の佐藤秀峰さんの指摘など見ていると、必ずしも大手出版社が「文化」の担い手になれないのではと思うところも多い。

KindleやiPadのようなデバイスが日本で普及するかどうかはわからない。ただ電子書籍や電子出版が新しいメディアとして盛り上がっているためには、既存の出版業界の秩序やルールにとらわれすぎるのではなく、新興勢力への門戸開放も必要なのだ。その上で、Google書籍検索の場合のように、どこまでを許容するのか、どういうあり方が望ましいのかを探していくことが必要なのだろう。


だれが「本」を殺すのか|出版業界と音楽業界という旧体制の類似性 - ビールを飲みながら考えてみた…

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