ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

第9地区:アパルトヘイトを彷彿させる人間たちの残酷さ

2010年10月31日 | 映画♪
ドキュメンタリータッチの斬新なスタイル、難民化した異星人たちが住み着き28年後という設定…予想外に面白かったのがアカデミー賞4部門にノミネートしたニール・ブロムカンプ監督の「第9地区」。エイリアンをモチーフにしながら、しかしそれを1つの記号と見なすのならば、考えさせられることは多々あるだろう。

【予告編】

映画「第9地区(District9)」予告編(日本語字幕)


【あらすじ】

南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に突如現れた巨大な宇宙船。船内の宇宙人たちは船の故障によって弱り果て、難民と化していた。南アフリカ政府は“第9地区”に仮設住宅を作り、彼らを住まわせることにする。28年後、“第9地区”はスラム化していた。超国家機関MNUはエイリアンの強制移住を決定。現場責任者ヴィカスを派遣、彼はエイリアンたちに立ち退きの通達をして回ることになるのだが…。(「goo映画」より)

【レビュー】

エイリアンものである以上、人間側がエイリアンを殺すシーンがあるのは当然だけど、この映画の場合、エイリアンと戦うというよりもひたすら人間側の残酷さが描かれる。

まず設定が面白い。巨大なUFOが地球にやってきたという設定は「インディペンデンス・デイ」などでも一緒だけれど、高度なテクノロジーを持っているエイリアンが栄養失調で人間に保護される。彼らは決して理知的な存在ではなく、「野蛮」で「獣」や「未開の人」のような存在だ。結局、彼らは「第9地区」に隔離されるのだけれど、そこはスラム街と化している。

ここでのエイリアンは圧倒的に「強い」わけではない。高度な武器などをもってはいるものの、どちらかというと「野犬」やアパルトヘイト制度下での「黒人」のような扱いだ。

人道的な観点からエイリアンたちを抹殺するわけにもいかない人類は、彼らを強制収容所に収容することを思い立つ。そのプロジェクトの最中、1つの不幸が起きる。このプロジェクトを請け負ったMNUのエイリアン対策課職員でもあるヴィカスが謎の液体を浴び、自身の体が「エビ」と呼ばれるエイリアンへと突然変異し始めるのだ。

ここまでは「異物」を排除しようという人間の「エゴ」や「独善性」が中心だったのが、この後では人間の欲深さと残酷さが描かれる。MNUの幹部や研究者たちは、その「研究欲」やその研究から得られる「金」のために、エイリアンだけでなく、ヴィカスをも人体実験に使い、さらには臓器などを研究素材として取り出そうとする。まだヴィカスが生きているにも関わらず、だ。

逃げ出したヴィカスを追い詰めていくのはMNU傭兵部隊のクーバス大佐とギャング団の首領オビサンジョだ。クーバスは「エビ」たちを殺すことに喜びを感じ、オビサンジョは自らが強くなるためならエイリアンを食べさえする。徹底的に排除されていくヴィカス。そのヴィカスとある種の連帯感・友情を育んでいくのがエイリアンのクリストファーだ。彼は他のエイリアンに比べ頭脳明晰であり、子供に対する愛情や仲間に対する共感の感情もある。

ヴィカスはもう一度人間の体にもどるために、クリスファーは故郷の星に帰るために、MNUの忍び込もうとするのだが…

それにしてもこの映画で人間側がエイリアンやヴィカスに対してやっている行為の「残虐さ」というのは何ともいえないのだけれど、よくよく考えて見れば、過去に人間がやってきたことでもある。

自分たちにとって危険と見なされた「人種」や「民族」を排除に強制収容所に入れようとした例など、この100年に限ってみても、ナチスはもちろん、日本やアメリカでもやってきたことだ。南アフリカで行われた「アパルトヘイト」などはその代表例だろう。また731部隊のような「人体実験」とまではいかなくとも「生体実験」や「動物実験」などは、今でも医学の進歩のために、新薬の開発のためにと当たり前のように実施されている。

エイリアンたちに行っている「残酷さ」とはまさに人間が人間や動物たちに行ってきた/いる行為でもあるのた。

終盤、ヴィカスはエイリアンであるクリストファー親子を守るために、MNUの傭兵部隊やギャング団と戦う。このシーンになると「友愛」や「友情」「(見殺しにできないという)仲間意識」のような高度な感情をもつ存在(クリストファーとヴィカス)が生き残るために「野蛮」な連中と戦うという構図になる。はたして「人間らしい」のはどちらなのか、「人間らしさ」とはどのような感情によってなのか。

ラストの字幕。第10地区でエイリアンたちは280万にも増加していると書かれている。ホロコーストのようにエイリアンたちを抹殺しなかったことに人間の「良心」を見るべきなのか。

ますます増加していくエイリアン(異邦人/異文化の民)をこのまま排除することに限界があるのだとしたら、どのような共存・共生のあり方があるのか。ダイバーシティや文化多元主義などと言葉では様々なことが説かれていながら、その実はまだまだ困難な問題を抱えているのだろう。これを記号としての「エイリアン」、「難民問題」や「民族問題」として捉えるのであれば、日本人に問われていることでもあるのだろう。


【評価】
総合:★★★★☆
切り口の斬新さ:★★★★★
エイリアンが微妙にコミカルで…:★★★☆☆

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