ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

プロフェッショナル 仕事の流儀:松本人志と「集合知」

2010年10月17日 | コンテンツビジネス
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でダウンタウンの松本人志を取り上げていた。結局はNHKで再放送する松本のコント番組の番線かよ、みたいなところもあるのだけれど、まぁ、松本人志の裏側(作り手側)をこれだけ追ったのもこれくらいだろう。で、これを見ていて感じたことを。

この番組の中で松本人志は「お笑い・コントの求道者」のように描かれていた。常に新しい笑いを求め、出来上がった笑いを定型化させるのではなく、それを否定する。そのため「ガキの使いやあらへんで!!」の次回ネタの企画会議では、深夜の番組収録にも関わらず、収録後、翌日の朝まで打ち合わせが実施される。

せっかく出来上がった企画も、編集作業などの日数からNGになったりと、様々な条件が付与され、そんな中で常に新しいものを目指そうとする。

そうした企画会議には番組の出演者やスタッフ、放送作家などが加わっているのだけれど、放送で見ている限り、やはり松本の考えはかなり「重み」をもつ。それはそうだ。新しい笑いの旗手として20年以上、笑いの最前線に君臨しており、しかも「ガキの使いやあらへんで!!」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「人志松本のすべらない話」など、「笑い」を中心にした番組で戦い続けてきたのだ。

だからこそなのだろう、いつしか「松本の笑いは難しい」として敬遠されるようになる。地上波での「コント」は既に打ち切りとなり、松本が求道者として「笑い」を求めれば求めるほど、視聴者の求める「適度な」笑いからは乖離する。その時にバランスをとるようにアドバイスできるスタッフがいればいいのだろうが、松本の追い求めているものは誰にも止められない。独りっきりの天才ゆえの苦悩。

そして様々な放送に対する規制もあり、テレビはマンネリ化していく。変わりに「笑い」を提供してくれているのが「YouTube」の投稿映像だ。彼らの多くのは素人であり、ネタの完成度も作品に投資されている予算も松本のコントとは比べようがない。

しかしここにあるのは、素人だからこその新鮮な「笑い」だ。

仲間と思いついた「とびきり」くだらない笑いを映像かする。馬鹿げたネタに挑戦し、とんでもないハプニングに見舞われる。笑いというのはいかに予測を外すかだ。素人の映像には、作り手にとっても予想されていない「オチ」がある。

これを毎週作れといわれればそれは難しいだろう。しかしネットの世界では発信者は数多いる。テレビの世界では松本が独りで新しい笑いを作り続けねばならないが、ネットの世界では人生に1度か2度の面白い作品を投稿する人間が何万といる。

この構図は「知識」の問題とも似ている。

これまでは大学教授や出版社、マスメディアなど一部の特権的な役割を果たす人々が「知識」を供給してきた。しかしネットの登場で市井の人々のそれぞれの行動や断片的な知識が、新しい動的な知識(集合知)として世界に影響を与えることとなった。その代表か「Wikipedia」だ。

Wikipediaでは、誰もがいつでも自らの知識や意見・判断を下に掲載されている内容を更新することができる。もちろん中には間違った内容や偏った内容があるかもしれない。しかしそこは多数の人々が参画し、訂正していく。部分的には大学教授よりも詳しい人間の投稿もあるだろう、数年に1度しか改訂されない辞書よりも最新の情報が素人によって掲載されることもあるだろう。多数の投稿があることで、その時々のバランスがとれた内容として落ち着いていくのだ。

そう考えると、松本人志はこれまで同様、自ら笑いの新しい地平を開拓し続けねばならないが、そのライバルとなるのは同業者の若手ではなく、既にネットの世界全体なのかもしれない。「集合知」の問題と同様、松本人志がその価値を維持していくためには、日々アップロードされる動画やブログなどの「集合笑」以上に「面白いもの」を作り出さねばならないのだ。

そうした僕の感想を知ってか知らずか、最期に松本仁志が述べた言葉は、

「素人に圧倒的に力の差を見せ付ける」

だった。

松本人志の孤独な戦いはまだまだ続くのだろう。


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