ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【演劇】アマヤドリ「うれしい悲鳴」:広田淳一が描いた「モダンタイムス」的世界

2013年10月30日 | 演劇
広田淳一主宰の劇団「ひょっとこ乱舞」改め「アマヤドリ」を初観劇。「ひっとこ乱舞」が2001年旗揚げとのことで、その頃、関西にいたこともあって正直、馴染みがない。DULL-COLORED POPの今回も百花亜希が出ているということと、チラシのデザインが気に入ったので観に行くことに。いやー、面白かった。



『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』
期間:2013/10/23(水) ~ 2013/11/03(日)
場所:吉祥寺シアター 
作・演出:広田淳一
出演:西村壮悟、藤松祥子、西川康太郎、百花亜希、鈴木アメリ、他

【レビュー】

世界は何人かの独裁者によって「決断」が行われた後の誰かによって決断されない=責任を取らない世界。否、思いつきと無根拠が支配する世界。そしてその出鱈目な決定を超法規的に実行していく組織「泳ぐ魚」。そんな世界で、痛覚を失った男「マキノ久太郎」と、いろんな物質にアレルギー反応が出る過敏症の女「ミミ」は出会い、恋に落ちる。

しかし世界は残酷だ。出鱈目な決定によって出会った2人を再び出鱈目な決定が切り裂こうとする。その時、2人は何を決断する/しないのか。あるいはそれぞれの人々は何を決断し/しないのか――。

この物語では「泳ぐ魚」が、自らの意思決定/決断を放棄し、ひたすら決定された事項を実行することに力を注ぐ。決定されたことは例外なく実行せねばならない。そこには個人的な感情などはさむ余地はない。それは伊坂幸太郎の「モダンタイムス」の世界観に近い。

「モダンタイムス」ではナチスのようなホロコーストも、組織や職務として機能することで、個人の感情や倫理を置き去りにし、どんな残酷なことも平然と実行できるとし、そうしたものがシステムとして機能することで、「悪意」や「敵」が存在しないまま、「悪い行為」が存在しつづける様を描いた。

この物語でも、ミミが最期に闘おうとした相手は姿かたちが存在しない。具体的な敵など存在しない。ただ無責任に決定され、実行されるシステムだけが存在するのだ。

ただ伊坂幸太郎はそのシステムとの闘いから逃れることを選択したが、広田はその日常の中でジャンプすることで対抗しようと試みる。もちろんそれで全てが変わるわけではないだろう。しかし皆か1つジャンプをすることで、世界は確実に変わっていくだろう。

それにしてもやはり演劇というのは、役者によって支えられているのだと思う。マキノ役の西村壮悟もいい味をだしていたし、何よりも、ミミ(藤松祥子)と亜梨沙(鈴木アメリ)のやり取り、それに続くミミの母(百花亜希)とのやり取りは心に響く。ミミの言葉とその裏腹な感情、それを受ける亜梨沙や母の想いが観客にまで伝わってくる。

この一連のやり取りを見るだけで、見に来てよかったと思う。

今回の公演は「うれしい悲鳴」と「太陽とサヨナラ」の2本立て。うーん、何とか予定を調整して「太陽とサヨナラ」も観に行きたいところ。

アマヤドリ(「ひょっとこ乱舞」改め)紹介映像


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