私のための覚書にもあるように、さまざまな研究発表を読むようにしています。
糖尿病患者の予後について調べた発表も、数多く、見聞きしています。
本日、亡くなった父の、元の通院先から、私の携帯へ電話が鳴った。
とある病院のセンセ 「20**年に、こちらの病院で診断させていただいて、お父様の、その後はどうしていらっしゃいますか?」
低姿勢の先生の口調だった。
亡くなった年月日を知りたいという。
「それは、病気の予後をお調べになっているわけですか?」
「ハイ、そうです。(父)さんは、肺がんと肺気腫を併発していらっしゃいましたから。」
肺がんで、肺気腫があれば、余命は短い。
何か月だったのかを知りたいのでしょう。
闘病中だった時の父の容態を尋ねてくることもなかったのに、亡くなった年月日だけを知りたくて、わざわざ、嫁いだ娘の携帯先まで、掛けてきたのか・・・。
弔辞もありませんでした。
正直、良い気持ちにはならなかったし。
私のところにまで電話しなきゃならないほど、聞き取りは難しい事なんだろうし。
それだけ、好事例(ドンぴしゃな研究対象という意味で・・)だと思われたのでしょう。
私自身、病気になって、そういうスタディやら、追跡調査のおかげで勉強させてもらっていることを、あらためて、逆の立場で知りました。
絶対、私の望む治療を、自分で選びたいです。
そのためにも、知るべきだし、知りたいし、知る必要がある、と、考えます。
絶対、ぜったい。