ピアノを習うことの意義について、最近脳科学者の方たちが、なかなか力強い事を仰っていますね。
これは本当に実感として思うことです。
今やっていることが色々な能力に繋がる・・・これを「般化現象」と言うらしいですが、これらを育てることが大切で、ピアノが一番効果を期待されるそうです。
ただね・・・こういうことのためにピアノ・・・と言うのもちょっと抵抗はなくはない(本当は純粋に音楽を感じ楽しむところから入っては頂きたいのですが)・・・が、、とにかく良いそうです(笑)
一番よくないのは何かに特化したものだけをやり続け(例えば計算が早くなるとか)、その成果だけに満足しているのはキケンということ。
本当にそう思います。
いくら計算が早くても、計算機やコンピューターがやってくれますしね。(“そろばん”はとてもいい!!)
受験勉強など、あらかじめ期待される解答を即座に言い当てるような勉強の仕方をしていると、人生を生き抜くための能力が育たない・・・自分の頭で考え、判断し行動できる能力・・つまり地頭を作ることが大事だということです。
そして、どうか目の前の結果や成果、成功失敗に一喜一憂しないで、人生を生き抜く力を育ててください・・・とあります。私の言葉ではなく最近マスコミにもよく出て来られる脳科学者の方です。
テレビに出ている割にはまぁまともな事を言っていらっしゃいますね(笑)
全く同感です!
これって、若い時には見えにくいのですが、ある程度歳をとって、自分も含め多くの人の人生を見つめてみると、本当に実感としてあります。
まだまだ先は長いですよ。。果てし無い道です。。しかも予期せぬことに遭遇することばかり。。絶対に計画通り思い通りにいかないのが人生ですよ。。と。
さて、脳を解剖したってどうなっているか分からない話ですが、、
優れた能力と感覚を持っている第一級の方たちは、自分の身体感覚としてお持ちのようです。
例えば作家の方が、書く作業だけしていると脳の働きが偏ってしまうので・・・おそらく脳のある部分だけ特化して酷使してしまうことになるのかも知れませんが・・・必ずランニングして体を動かす(ホノルルマラソンにも参加されているぐらい)・・・これはおそらく動物として生きていくために必要な身体機能、呼吸とか運動を司る??(小脳・脳梁・脳幹??専門知識はほとんどありませんが)・・・シリアスなものの他に笑える別の作品を書いてみたり・・・そうやって、バランスをとっていらっしゃるのだそうです。
最近パパッと読んでみた「虫眼とアニ眼」養老孟司、宮崎駿の対談集でも、人が認識する・・・つまり脳での捉え方なども書かれていましたが、宮崎駿監督は作品が出来上がった後は、閉じない部分があるのでしばらく自然の中で籠っていらっしゃる・・・ということが語られていました。
これ、どういう事かお分かりでしょうか?
何かの作品を作る時、かなり深いところまで潜っていかないと、つかまえて来れないものがあるんです。
創作すると言う大きな仕事を終え、日常生活に戻る時、ある程度その部分から戻り、蓋を閉めなければならない・・・感覚的な例えですが、そういうことです。
日常が創作に向けられる芸術家の方は、殆どこの世界に行ったり来たり、頻繁に行き来を続けている人達・・と言えます。
監督の作品などに関しても、私たちが何気なく見逃しているワンカットの中にも、相当深い思考の痕跡が練り込まれていて、深く読み取れる人には、そういうところまで分かる・・・でも、理屈では語れないことも沢山あるので、感度のいい子供たちには感覚で分かる・・・のかも知れません。
と言っても宮崎駿監督は、子供たちがバーチャルな世界に身を置くことを非常に危惧されているので、アニメばっかり見るのはちょっとキケンです
ついでに書くと・・・その事はずっと以前から憂慮していらっしゃって、「うちの子はトトロが好きでずーっと見てるんです」と言われると、「いけません!だめ!やめてください。年に一回ぐらいにして下さい」と、、(言いたいのを我慢しつつ小出しに出しているのかな・・?)
―――そんな事をしているうちに、子供たちにハッキリ結果が出てきた―――若い人が恐ろしくやさしく傷つきやすく、恐ろしく不器用でグズで、、いい子なのだ―――と。。
小さい頃から非現実のバーチャルなものばかりに取り囲まれてきた結果、“イ、イカン・・・恐ろしいことになっている”と感じていらっしゃるようです
良い環境を与えて、手出し口出ししなければ子供たちはすぐに元気になる。大人たちがオロオロしないでじっくり見てあげることだと、アニメを交えて語っています。
さてさて、本題、、
今さら??・・・と言わないで~~なるべく手短に
先ほどの宮崎駿監督の、開いた部分・・・と言う話をしましたね。
これにちょっと近い事なのですが、音楽をするとき“自己解放”は、大切な一つの目的と言えるかもしれません。
目的・・・と言ってしまうと、ちょっとつまらない表現ですが、何ものにも捕らわれない自分・・・あらゆる属性から解放された状態で、音の中で遊ぶ事が非常に大切なのだと思います。
よく“魂の洗濯”などと言いますが、なかなかいい表現かもしれません。
「心の栄養」だと思っています。
これは芸術全般に言えるでしょうか?
幼い時は、大いに笑って、夢の中で戯れてほしいのです。
しかしある程度、児童期から思春期になる頃、冗談やたとえ話をしていても開かない状態になった時、叱咤激励する場合もあります
分かりやすいのはTVでおなじみの俳優さんが、自らの主催する子供の俳優養成所で、子供たちにかなりひどい罵声を浴びせかけている場面・・・ご覧になったことがありますか?
なぜ、そんなことをするのでしょうか?
誉めて育てればいいのに・・・と、思われますかね??一般的には。。
あれは、子供たちの演技が“こんなもんでいいでしょ”と言うところで留まっていて、本当の心からの感情に本人も気付いていない時、ああいう風にしか開けない事もあるんです。。恐らく宮崎監督の開きっぱなしになるところと近い。
でも、監督の場合は、製作する時の日数(年数)の長さから考えると、これはもう相当で、命がけかも知れません。
一般人にはとても行きつけない領域です。
演技したり演奏する時も、そこまでのスパンでないにしても、ここの部分を開ける必要があります。
ちょっと常識的すぎて、優等生過ぎると、この部分が開きにくく、「なんでマジメにやってるのに怒られるんだろう」と思われるかもしれませんが、そのマジメこそが取り去りたい部分、かえってジャマになってしまう部分で、お利口さんを取り除くと、ピッカピカに“ステキな何か”が表れてくるはずなのです。
このステキな何かは、良い人との関わり、絵や本や自然・・・あるいは心を砕いてやったこと、、料理を作ってみんなに喜んでもらったとか、ケンカして泣いた、、仲直りして気恥ずかしかった、嬉しかった、、ドキドキしたりションボリしたり、やったーと思ったり、、そういう多くの感情に支えられ育ってゆきます。
全部お膳立てされると、育たないのです。
よくお料理に例えますが、良い料理人に育てたければ、良い「舌」を育てること・・・「味覚」を育てることです。
小さい頃は、毎日毎日野菜を刻む事ばかりしていても良い舌は育ちませんよね。
感情を動かすことなく日がな一日キーボードをたたいている状況では、ピアノが楽しくなるはずもないし音楽好きも育ちませんよね。
まず「なんて美味しいんだ!」「きれいな彩りだなぁ」から、もっと複雑な味わいまで感じ取り、本当に美味しいものを知ること。まがい物でない「本物の味」を知ること。
情感に支えられた味覚・・・音楽なら聴覚を育てる。もちろんそこには情感・・・「心」が充分に伴うこと。
筋力など身体的に未発達な時にムヤミにトレーニングし過ぎない事。
細かい筋肉より、まずダイナミックな身体的機能を発達させる、、まぁ簡単に言えば全身を使ってよく遊んでください
細かいトレーニングをするのはその次です。
良い音楽を聴かせてあげる。
音楽会にたくさん足を運ぶ。
楽しかったね、素晴らしかったね、と、親子や友達と喜びを共有する。
うちの生徒さんの場合を考えてみても、ある程度頑張って小学校高学年から中学生以上になると、ソナタやそれに匹敵する多くの名曲といわれるものを手がけるようになった時、この「心」の部分がそれに伴って成長してゆかないと、心からの表現に行きつくことが難しくなります。もちろんそれ以前の幼い段階から育てるべきことです。。
すこーしずつ、一人称から三人称にむけてシフトチェンジしてゆく必要があります。
これって、成長期に伴う心の発達と、とてもよくマッチしているんです。
演奏する曲の内容とともに、心も次第に大人に向かう・・と考えて頂ければ良いのかな。。
宮崎駿監督が感じておられるように、やはり強くしなやかな心・・・すぐポキッと折れないで、しなやかにたわみたくましく成長し続けてもらいたい・・・いや、そうでなければ、、未来は空恐ろしい事になりつつあるカモ・・・恐ろしがらせてスミマセン・・・が、ホントウのことです
さいごにオマケ
先日ネットで見つけた江戸後期からの言葉・・かな・・おそらく・・
(インターネットも使い方・・とも思いますが、バーチャルな世界は自然には遠く及びません。たまーにもらう情報の中に、皆さんにご紹介したいものもあるにはありますが・・)
【子育て四訓】
乳児はしっかり肌を離すな。
幼児は肌を離せ手を離すな。
少年は手を離せ目を離すな。
青年は目を離せ心を離すな。
【子育てに関する格言】
三つ心 六つ躾 九つ言葉 十二文(章) 十五理で 末決まる
しっかり抱いて 下に降ろして 歩かせる
三つ子の魂百までも
可愛くば 二つ叱りて 三つほめ 五つ教えて良き人にせよ
ではでは~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます